家長むぎに救われてしまった話
「家長むぎに救われてしまった」
初めて家長むぎの配信アーカイブを見たあとの感想がこれだった。
この時見たのはStudy With Me。
一緒に勉強をすることが趣旨の、Vtuberの配信の中ではとても静かなものだった。
私は幼少期から「怪我をすると痛いから」という理由で外遊びが嫌いだ。
今も好きかと問われると首を縦に振れない。
そんな私にとって当時の娯楽は泥団子を作るか、絵を描くか、勉強をすることだった。
無論、ゲームは買い与えられていたしポケモンをするのも好きだった。
ただ、学校にゲームは持っていけない。
自分以外のクラスメイトが全員グラウンドに出ても、私は教室に残りひたすら国語の教科書を読んだり、算数のドリルを解いたりしていた。
これに共感してくれる人がどれだけいるかわからないけれど、私はこの世の"ゲーム"の中で一番面白いものは"勉強"だと思っている。
だから、できることなら勉強時間は増やしたい。
知らないことを知るのは気持ちがいいし、知った知識と知識が意外なところで繋がった時、底知れない幸福を感じる。
ただ、世の中においてこの考えは多数派ではないようだった。
特に中学高校になるとそれは顕著だった。
勉強に注力する友達ももちろんいたが、どちらかというとサボりたい友達の方が多かった。
勉強会を開いても顔を上げたら全員別のことをしているのもザラだった。
勉強が好きならそちらを優先すればいい。
というのは、大変最もな考えだが私は勉強の楽しさ以上に孤独を感じることの方が怖かった。
実際に孤独になるかどうかは別として、私が勉強している最中に友達同士では知らない話がどんどん進んでいく。
それだけならまだいいけれど、前提として「あなたと違います」という行動は敵意を持たれる気がした。
それが怖くてペンを置いて談笑に加わったことが何度もある。
だからずっと「一緒に勉強を楽しくできる友達がいればな」、と思っていた。
後ろめたい気持ちなしに、一緒に勉強できる相手がいればいいのになと。
そして勉強した話を共有できたらいいのにと。
そしてこの歳になってようやく、突然、そういう人を見つけてしまった。
それが家長むぎだった。
Study With Meを初めて見た時、「好きに勉強することを受け止めてくれる場がこんなところにあったんだ」と心から安堵した。
勉強をする家長むぎに、一緒に勉強するリスナー。
勉強することを否定されない温かさがそこにはあった。
そうして長年の勉強と寂しさのジレンマから、私は家長むぎに救われてしまった。
そんなこんなで最近は中国語の勉強をしている。
発音は全くと言っていいほどできないけれど、「原神の原文が読みたい!」というモチベーションのため発音は一旦二の次で問題ない。
簿記もFPも応用情報も色々気になっているし、電子工学を学び直して秋葉原でパーツを買って小さいメラックか何か作るのも楽しそうだなと思っている。
でも、とりあえず今年はとっても絵が上手くなりたいな!
こればかりは手を動かさなきゃどうにもならないからなんとか頑張ろうと思う。
むぎちゃんのFAもそのうち描けたらいいな。
そして、印象派展も行ったので後日その感想も描きたい!
けど今日はもう遅いのでこの辺りでおしまい。
家長むぎちゃんとそのリスナーさんたちに感謝をこめて。
おやすみなさい~!