手術から帰ってきました
手術お疲れ!
12月頭に肝臓二箇所と腹膜にある肉腫のかたまり(遠隔転移)を切除してきた。
そもそも私は末期なので、なんで今更こんな痛い思いまでして手術をしなければならないかと思う人も有るだろう。自分自身でも何度も何度も自問自答をしたけども、やっぱり「ちょっと」でも長生きしたいという気持ちが勝った。
こんなに痛い思いをして大きな傷を作って内臓を引っ掻き回し、二ヶ月くらいは不自由な生活をしなければならない。もしかして手術してすぐに別の肉腫のかたまりができてしまうかもしれない。こればっかりは運だし賭けだとも思う。
主治医にもわからないし、誰にもそれはわからない。
手術までの葛藤
九月頃に、整形外科の主治医に「これだけ(肉腫が)小さくなってきているから、手術して今あるかたまりを取ってしまうという方法もありますよ」というお言葉があった。
これはよく考えねばならない言葉だと思った。
私のがんは「サルコーマ(肉腫)」という悪性腫瘍。
そのなかでも軟部肉腫という分類になる。
昔のドラマでよく「骨肉腫」というのを聞いたことがあると思う。骨のがんのことだ。
それの筋肉や脂肪や神経などにできるバージョンを軟部肉腫という。
軟部肉腫は国内で年間2000人患者がでるかどうかの疾患だ(2018年度で1980名)。
私の肉腫は軟部肉腫で「粘液型脂肪肉腫」という病名になる。
名前の通り、脂肪ががん化するものだ。
いわゆる希少がんというやつだ。
そのため、肺がんや胃がんなど比較的罹患する方の多いがんに比べて、圧倒的に治療薬が少ないしわからないことも多い。だから粘液型脂肪肉腫に効くとされている二次使用(遠隔転移で使用)の抗がん剤はたったの一種類だ。
そのため末期になってから死ぬまでの期間は他のがんに比べて短い。
もちろん個人差はあるし、状態にもよる。例として、うちの父は大腸がんの末期で手術不可。複数種類の抗がん剤を使用しおおよそ五年程度生きられる(後期高齢者なので進行が遅いからもう少し長いかも)という診断だが、使える抗がん剤が一種類の私はそれが効かなくなったら終わり。主治医の受け持った粘液型脂肪肉腫の患者で同じ抗がん剤を使って一番長く生きた方で二年だったそう。
私はその一種類の抗がん剤を昨年八月から定期投与されていて、少々時間が掛かったが良く効いて、今年九月にはがん(肉腫)が縮小傾向にあった。
先生の言葉をよく考えたけども、結論は出なかった。
だって手術したら痛いし、辛いのはわかっている。
しかも今度は内臓をいじることになる。今までの三度の全身麻酔の手術は銅体の外側の手術だったから、内臓の手術は未知である。どれだけの痛みに耐えなければならないんだろう。正直こわい。
そう思うと「スパっと切っておくれ!」みたいな気分には到底なれなかった。でも「ちょっとでも長く生きられるなら」という気持ちも消せない。
十月の抗がん剤定期投与の前後に、手術に必要な検査や診察を受けた。
診察を受けてどういう手術か聞いてゆっくり考えるつもりだったのだが、試しに診察を受けた外科の先生(スペシャリティは肝臓)はもうやる気だった。
や、ちょ。待て。
そうは思ったけど、とりあえず一回目の診察では「やりましょう!」と言われ、うんともすんとも言えずに帰ってきた。
そこから次の診察まで悩んだ。
手術を受けたら、確実にちょっとは長生きできる。
でもほんの数ヶ月程度の話で、年単位で長くなるわけではない。
いずれ抗がん剤が効かなくなったら体のどこかで肉腫が異常増殖して、それが生命に関わる場所に影響して死に至る。
がん細胞は細胞ひとつなら悪さをしない。ただそれがどこかに引っかかってかたまりになると一気に悪さをする。
今すでにあるかたまりを除去すれば時間稼ぎにはなるけど、手術を受けて「自由に動けるはずであろう数ヶ月の時間」を犠牲にしてまでやることなのか。私に果たしてそんな時間が残されているんだろうか。
手術は八時間掛かると言われた。今までにない大手術である。
肝臓二箇所(表と裏に一個ずつ)と腹膜(一個)にある遠隔転移のかたまりを取ってしまうのだが、肝臓は裏側のが大きいので一度体の外に引っ張り出して切除してから戻さなければならないとのこと。腹膜のものは大腸の管に癒着している可能性があるから管ごと切除しなければならない。
入院期間は二週間とのことだが、ネットなどで調べてみると本調子に戻るまで腸と肝臓を切除すると退院後二ヶ月ほどは見なければならないようだった。
果たして「自由に動けるであろう二週間と二ヶ月の時間」を消費するだけの価値があるのか。
手術に踏み切った理由
悩んでいる間に慌てて友人たちに会った。もしも手術を受けてしまったら、もう年内は会うことができないだろうと踏んだからだ。
身だしなみを整えることもした。悩んでいて数ヶ月美容室に行くことができていなかったのだが、幼馴染の経営する美容室にも行った。
県外から東京時代の先輩が名古屋に行ったついでに、ふらっと立ち寄ってくれたりもした。
その中で友人たちが言ってくれた言葉が背中を押してくれた。
「少しでも生きることにあがいてくれたほうが嬉しい」
そのような意味のことを複数の友人に言われたのだ。
前述の通り、私に使える抗がん剤は一種類のみだ。
あと一種類、乳がんで使う抗がん剤が適用できるということなのだが、これは効くかどうかは全くわからない。頭髪が抜け落ちるだけで効かない可能性は高い。(今使っている抗がん剤は頭髪は抜け落ちない)
よしんば効いたとしても、延命できる期間は数ヶ月だと主治医には確認が取れている。年単位で命を長らえることはできない。
だから私は今の抗がん剤が効かなくなったら、それ以上の治療はしないでおこうと思っていた。周囲にも主治医にもそのようなことを話している。
だから私が手術をするということが嬉しいというのだ。
漫然と死を待っているように友人らは感じていたのかもしれない。
もう頭髪が抜け落ちるのは嫌だなと言っているので、そんな理由で新しい治療をしない(抗がん剤を試さない)って言ってると思われているのかもしれない。
それだけじゃなくもうひとつの抗がん剤は他の副作用も強そうだから、試すのも嫌なのだ。正直これ以上苦しいのは嫌だなと思っている。
そんな状態だったから、手術するかもしれないということが嬉しいんだと言われたんだと思う。
そしてあとひとつ。
X(旧Twitter)で末期がんの方を何人かフォローさせていただいているが、高須クリニックの高須先生が全身がんを切除しまくっていたのをご存知だろうか。(今はもう切除できなくて、温熱療法をしている)
自分が手術するかもという段になって、はたと気づいた。
「ああ、私がいまからやろうとしていることは、高須先生と同じことなんだ」と。
高須先生はご高齢なのに、精力的に新しいことを試していらっしゃる。
主義主張はさておき、後進のためにもいろいろな治療を試そうとする姿勢は頭が下がる。私もだから入院中に研修の方がいらしたら積極的に治療に参加してもらっているくらいだ。
著名な方の名前を出すのは気が引けるが、それに気づいた時、なんだか勇気をもらえた気がした。
何度も何度も手術してるのに、高須先生はお元気そうにされてるから。
あ、あともうひとつ言えば…
もう抗がん剤をする生活に疲れていたというのもある。
比較的副作用が少ない抗がん剤ではあるが、つらいものは辛い。
だから正直少しでもいいから、抗がん剤をしない生活を久しぶりにしてみたかったっていうのもあった。抗がん剤投与後のしんどさから逃げたかった。
ということで、暫く悩んでいたが手術を受けることを決意したのだった。
友人や先輩、幼馴染には感謝している。
めっちゃしんどかった術後
手術は八時間の予定が六時間ほどで済んだ。
というのも、大腸に癒着していると思われていた腹膜のかたまりが、癒着していなかったのだ。先生によると「するっと取れた」ということで、肝臓二箇所を切除しただけで済んだということだった。
その前日、頑張って強い下剤を二回も飲んで、水やポカリをがぶ飲みして何回もトイレに行って中身を出した。あの苦労は、一体笑
術後はICUに入って一日半(くらい?よく覚えていない)管理された。
だから麻酔から覚めて記憶があるのは、ICUに入ってからだ。
意識が戻ってしばらくはなんともなかったのだが、その後地獄を見た。
それというのも、手術の二週間前から薬の管理をされていて、そのせいで体調をもともと崩していたからだ。
普段服用している更年期障害の薬(ホルモン製剤)は手術中に血栓ができる恐れがあるから休薬してくださいとのことだった。そのせいで、ホットフラッシュが復活してしまったのだ。
外出してても家でも、カーっと暑くなって汗が吹き出てくる。外気温には関係がない。だから暑くなって汗をかいて、着替えられない時が重なって冷えて、少々風邪気味だったりなんだりしたのだ。
前日に先生に風邪気味なんですが大丈夫ですか?と確認したら、そのまま手術しましょうってことになったから、軽い気持ちで居たが、これがいけなかった。
ICUで、お腹を大きく切られているのに咳と痰と喉の痛みに耐えなければならなかった。
咳をするたびに傷が痛い、挿管の管のでっぱりが当たってつばを飲み込むと喉が痛い。
鼻水が大量に出てきて、鼻をかむたびに傷が痛む。
痰を切るために咳をするが、大量に出るため常に傷が痛い。
そして酸素マスクをしているのに、常時苦しい。
挿管の影響で風邪をひいていなくても痰が絡むひともいるということで、多分風邪気味だったのとダブルで食らったんだと思う。本当にしんどかった。
何度か、血中酸素の濃度は問題ないのに呼吸が浅くなり、急激に苦しくなって看護師さんに助けを求めてしまった。
看護師さんは優しく汗塗れの私の頭を抱きしめてくれたり撫でてくれて、一緒に深呼吸をしてくれた。
お仕事だとわかってはいても女の私ですら惚れそうになったんだから、女性にあまり免疫のない男性はコロっと看護師さんに落ちてしまうんじゃないかと頭の何処かで思ったのを覚えている。
硬膜外麻酔は手術前からずっと背中から入れてるんだけども、やはりお腹が痛んでぐっすりと眠ることもできず。私は視力が極端に悪いのだがメガネをする気力もなかったからぼやけた視界のまま約半日以上をICUで過ごした。
看護師さんが気を利かせてテレビをつけていってくれたんだが、昼にぽかぽかで澤部が楽しそうにしている声を聞いて、なんだか殺意が湧いたのを覚えている。
「私はこんなに苦しいのに楽しそうにして、澤部め!!」
完全にやつあたりである。ごめん澤部。
「ああもう、こんなことなら手術しなければよかった」
何度も何度もICUにいる時、頭によぎった。
それほどICUにいる間は辛かった。
もうそろそろ一般病棟に移動するという少し前くらいから、メガネをして周囲を確認する元気がでた。プリンやヨーグルトを食べる元気も出てきた。腸を切らずに済んだので食事の開始が早かったのだ。
多分腸を切っていたら術後三日は絶食だと聞いていたから、あと二日はICUに入っていなきゃいけなかったんじゃないかと思う。本当に早く出られてラッキーなことであった。
移動する直前に医師の集団が私の病室に入ってきて、私のお腹の傷を確認してからああでもないこうでもないと言っているのを聞いた。
「あれだけ腹を切っているんだから絶対痛いでしょ。硬膜外麻酔を追加しよう」
そう言ってくれた先生が居た。
神!!神だ!!!
私は痛みに弱い。痛がりだし、いつまでも痛がる。なんなら退院してきた今でも怖くてくしゃみや深呼吸ができないくらいだ。
だから麻酔が効いている今ですら痛いのに、硬膜外麻酔が切れてしまったらどうしようと思っていたところだった。どの先生だったかで今ではわからないが、本当にあなたは神だ。感謝しています。
先生の言う通りに回復していった
食べられるようになったことを確認して、一般病棟に戻された。
今回はいつになく奮発して個室を取っていた。痛くて絶対唸ると思ったから。実際暫くは唸っていたわけだから大正解だった。
この時病棟はパンクしそうになっていたらしく、もしかして大部屋に移動になるかもと言われていたが、無事に元いた個室に戻ることになった。
大部屋に移動になってもいいように荷物をある程度片付けていたから、病室に帰ってひとりにされて非常に困った。スマホが手元になくて、親に連絡できなかったからだ。このときはまだひとりでベッドから降りることはできない。困った。非常に困った。
心電図や酸素飽和度を図る機械、おしっこの管や体液を排出するドレーンがつながっていたりする。なにより痛いから動けるわけもなかった。
ICUみたいにテレビをつけていってくれるわけでもなく、壁に据付の時計しか見るものがなくて究極に困っていたら、病棟の看護師長さんが挨拶に来てくれた。渡りに船とはこのことだった。大変申し訳なかったのだがティッシュを取ってもらったり、スマホなどを出してもらってなんとかなった。
その後手術を担当してくれた先生が病室に来てくれて、痛いのはあと二、三日でだいぶよくなると言ってくれた。その後、本当に先生の言ったとおりになっていったから、やっぱりプロってすごいと思った。
徐々に体についていたものが取れて、病室に戻った次の日の夕方には、点滴と硬膜外麻酔と酸素以外は外れてしまった。
右胸を全摘したときはドレーンが二週間入っていたので、まさかこんなに早く体液を排出するドレーンが取れるなんて思ってもみなかった。
そうなったら、おむつ生活はおわりで。
個室にあるトイレまで、一人で行かねばならない。
これが苦行だった。
痛いものは痛い。
どこが痛いとか、何が痛いとかもうわからない。
とにかく腹が痛いのだ。
それにまだ風邪の症状もよくならなくて、咳と痰が酷かったから安らぐ暇はあまりなかった。常に咳が出る恐怖と、喉がぜんそくみたいな音が出ていて苦しかった。
あと寝返りが打てるわけもなく。ずっと同じ体勢で寝ているのもキツかった。
そんなこんなで入院から十日目。
だいぶ回復してきて、硬膜外麻酔も点滴も酸素も取れていた。
体についているものが何もなくなって、だいぶ動きやすくなっていた。
先生の言う通りに体は回復している。
退院ということになった。
まだ痛い。痛いけど、家にフォローできる家族がいる人はなるべく早く帰す方針だったみたい。病棟パンクしそうになってたし、コロナが出てて人手も足りなかったみたいだし。
私は痛がりだけども、最後の二日はコロナで閉鎖になってた部屋に挟まれた大部屋だったから、喜んで退院することに同意した。
少々不安はあったけど、無事に退院することができた。
そして現在
やっと昨日くらいから、風邪症状がよくなった。
よく考えたら酷い風邪になっていたんだな。
こんなに長くかかるなんて。
病院でもらった咳止めと痰を切る薬はもう飲まなくて大丈夫。
家に帰ってきて、一日また一日と手術の傷の痛みはよくなってきている。
すごいね!あんなにでっかく腹を掻っ捌いたのに。
医療の勝利なのか、人間の回復力の凄さなのか。
昨日できなかったことが今日できるようになったり。
今日は私室とトイレの掃除をすることができた。
痛みはまだ残っているものの、なんとか日常生活を送れるようにはなってきている。
しかし本来の動きにはまだまだほど遠い。
なにせ痛がりのビビリだ。
今歩いている姿は、遠くから見るとおっかなびっくりでおしっこをがまんしているオバアにしか見えないと思う。
本当はずっとベッドで寝ていたい。寝ている姿勢のほうが正直痛みがマシになるから。だが起きている時間を意識して作らないと首や肩がバキバキになってしまうし足がなまってしまう。
だからどんなにしんどくとも、午後からはベッドから起き上がるようにしている。←どんだけw
しかしこの状態でこのコンディションで、やることがない。
映画やドラマを長時間集中してみることはまだ辛い。
小説や漫画を読むのも痛みで集中できないし飽きる。
部屋の大掃除なんてできるはずもない。
かといってどこかに出かけるなんてとんでもない。
どうしよう。何をして起きていよう。
なにかしていないと、痛みを誤魔化せない。
あ、そうか。記録を取ろう。
もしかして誰かの役に立つかもしれないから、noteに手術を記録しておこう。
ということで、これを書くに至った。
最後に
痛い痛いしか言っていないが、これは私が極度の痛がりでビビリなので、本来この手術はここまで痛いものではないのではないかと思う。
だって傷口はぴったりとくっついていて、ドレーンの入ってた穴からは汁がでているけども傷口からは一切出ていないもの!すごい!
なので、もしも同じような手術を受けようと思っている方。
どうか躊躇しないでいただきたい。
痛みは人により感じ方が違うものですので。
急ぎ足で書いたので、のちのち書き足すかもしれませんがここで終わりたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。