「こんこん」
小さい頃の自分は、都合の悪いことがあると仮病を使って、わざとらしく咳を「こんこん」と言っていたらしい。「都合の悪いこと」というのは色々あって、たとえば上半身を脱いでタオルで体をこすってあっためる「寒風摩擦」(保育園の慣例だった)とか、苦手なスイミングスクールとかだ。身体を動かすのが昔から大嫌いだったから、今でも幼少期の自分に同情する。「なおみちゃん、お風邪ひいちゃったみたい。こんこん。」とか言ってごまかし、欠席しようとする幼少期。かわいいじゃん、と甘やかしたくなるけど、日常的にそんな幼児を見ていたら、もしかすると憎らしく思うのかもしれない。親のつけいていたノートには「なおみちゃんがまた仮病でこんこんしていた」といったような記録がしっかり残されており、多少なりとも憎たらしかったんだろうと推測する。
そんな下手な嘘をつく幼児が大人になり、当たり前だけど仮病で「こんこん」とは言わなくなった。ただ最近は疲れが溜まっているのに無理をしたり、仕事で不安が重なると、ほんとうに咳が出る。このご時世なのでコロナ?と頭をよぎってネットで症状を確認するが、「いや、どうもこれはストレスだな」という判断に落ち着く。身体は正直だ。休みたくて、不安から逃げたくて仕方ないのだ。
でも私は逃げない。大人だから。がんばりやさんだから。などと気持ちを誤魔化して、また机に向かう。すると、こんこんと咳が出続ける。なんだか呼吸が浅くて、気道が狭いような気がする。家族が心配して買ってくれた龍角散のど飴を舐めてみることにする。でも残念なことに飴をかみつぶす癖が抜けないため、一瞬にして飴が消える。また、こんこん。
そうこうして仕事がなんとなく前進すると、ほんのりとした安心感と共に咳が消える。本当に素直な身体だ。
でも心はどうだ?
素直に「こんこん」と言えなくなってしまった自分の心はどうなってんだ。
まあ、仮病という時点で素直かどうかは分からないけど、でも大人になるとバカみたいにバレバレの仮病「こんこん」も素直にやりきらんのか。
そう思うと無性に寂しい。
2021/8/25の下書きに残っていた文章を今さらですが公開しました。これを書いた頃から半年以上経ち、いつのまにか咳は出なくなりました。
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