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オンラインの退職セレモニー

会社で1年間同じチームだった、7歳ほど年上の先輩が退職した。

仕事熱心で美しい人だった。
私との関係性はというと、あいにく仕事で絡む機会がほぼ無いままコロナで在宅に突入してしまい、濃い関係だと胸をはれるような間柄ではなかった。でも近くにいて周囲の信頼が厚いことはよく承知していたし、存在感の大きい人だった。退職について詳しい事情までは知る由もないけれど、ワークライフバランス等さまざまに検討して、ついに生き方を変える決心をしたのだそうだ。
周囲から惜しまれる退職だった。

その先輩の退職セレモニーは、昨日、オンライン会議形式でささやかに行われた。退職者ご本人含めて数名の出社メンバーが映りこむカメラと、在宅組の約15名の自宅カメラを繋げた。私も、在宅でオンライン上から見守る側だった。

10分ほどの短いセレモニーだった。上司2名が壮行のメッセージを伝え、若手社員が恒例の寄せ書きとプレゼントを渡し、最後に退職する先輩ご本人が挨拶のスピーチをした。第一線で20年働いてきた仕事への誇りと愛情がたっぷりの挨拶だった。飾らない言葉で、仕事への未練も隠さない、ほんとうの言葉だとわかる素敵なスピーチだった。

オンラインでのセレモニーは、ちょっと不思議な空間だった。いつものセレモニーなら目に入ってこない、「スピーチを聞く聴衆の顔」も目に入ってくるからだ。
中でも、とある一人の様子が目にとまった。

その人は、自宅のクッションを抱きしめて、退職のスピーチを聞いていた。
顔をクッションに半分うずめて、肩を震わせ、しゃくりあげるほど泣いていた。
カメラに映ってるのも全然構わず、自宅でひとり、号泣していた。辛そうだった。

チャット画面で、その人はこう書いていた。

「この人がいるから、ここで頑張ろうと思える人の一人だった。」

・・・それは辛いですよね、と勝手ながらつよく共感した。
私もなんどか似た思いを経験したことがある。長らく心の支えや目標にしていた人が職場を去っていくのを見送る側の辛さ。
過去に、どうか続けて欲しいと願っていた素晴らしい人の退職セレモニーで、絶対泣かないぞと決めていたのに、結局 耐えられず、うっかり号泣した記憶がフラッシュバックした。

もしこれがオンライン会議形式のセレモニーじゃなかったら、だれかが号泣する姿も、その惜別の言葉も、私の視界には入らないままだったかもしれない。オンラインだったからこそ、ダイレクトに周囲の感情が流れ込んできた。
不思議な副産物だ。

いろいろなことが現実味を伴わなくて、でも唐突に感情を揺さぶってくる。
まだ心の整理ができないまま、不器用に土曜日を過ごしている。

オンライン退職1

余談:
記念に、オフラインとオンライン融合の、不思議な記念撮影をした。
PCに映ったまま写真を撮られるのは変な気分だった。

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野瀬奈緒美
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