君はどうして書くの

 ずっと昔から文章を書くことは好きだった.小学生の頃はお話を書いて教室のみんなに読んでもらっていた.自分で表紙を描いて,友達とストーリーを考えたり.すごく楽しかった.

 もう少し大きくなっても短い小説を書いてみたり,設定だけをいっぱいメモしてたり.でも,いつからか文章を完成させることを止めてしまった.途中で面白くないと思うと書くのを止めてしまう.始めから面白い文章なんて書けるはずがないことはわかっていたけど,沢山本を読んで目だけが肥えてしまうと自分の文章の稚拙さを受け入れられなくなっていった.なんと自信過剰で,いらぬ自尊心が高いことか.

 いつからか文章を書くことは少なくなっていた.けれども,大学生になって暇を持て余していたとき,ふと思い立って映画のレビューを投稿するサイトの記事を書いてみた.誰かに評価されたわけでもなく,文章が誰かの目に留まることもなかったけれど,久しぶりに文章を書いてみると楽しかった.それから,日記帳に気に入った本や映画の感想をメモすることを始めた.

 感想は誰にも見せたことがなかった.なんとなくそれを見られると頭の中を全部暴かれてしまうような気がするから.それぞれのコミュニティ,他人は僕に要請する役割があり,僕もそれぞれに対して無意味な見栄を張る.そうやって誰かの中にいる僕は自分自身の自分への認識とは異なる印象になる.もちろん他人の中にいる僕の集合体も僕自身であることはわかっている.自分の中にいる僕だけでは,写し鏡が無ければ,自己は朧気になってしまう.繭に包まれた真実の自分なんて存在しないのだろう.だから曝け出す云々なんて考えても仕方のないこと.頭では理解していても本能的に曝け出すことへの恐怖を持ってしまう.話が逸れたけど,とにかくそんな矛盾のせいで誰にも頭の中を見せることはできなかった.

 たった一人,僕の文章を読んでくれた(読ませたといった方が語弊がないかも)人がいた.その人になら読まれても大丈夫,いや,読んでほしいとまで思った.その人は僕の文章を面白いと言って,また読みたいと言ってくれた.こんなに嬉しい言葉があるだろうか.

 あの人の言葉が僕の文章の原点である.一人でも僕の文章を読みたいと思う人がいるなら,それはこの大海に小瓶を流す理由には十二分に足るものだ.

文章を書くと決めたのなら,いつかどこかで貴方に必ず届ける.それまでは書き続ける.

 僕は中途半端に投げ出しがちだから,この原点を忘れないように挨拶代わりにここに書いておこう.そして協力してくれる人を巻き込んで,とにかく止めにくい環境をつくること.あとは覚悟を決めてとにかく書け.