「ありふれた演劇について」5
これを書いている4月15日現在、多くの演劇公演が中止や延期、無観客となっている。個人的に関わる予定だったいくつかの公演も延期になったし、円盤に乗る派でも秋の次回公演に向けて動いてはいるものの、果たして予定通り開催できるかはわからない。ここ最近何人かの演劇関係者と話す機会があったが、今後の見込みの感じ方はまちまちで、人によっては来年の公演も見送るつもりだという意見もあった。人が密集することを前提とする演劇公演はどうしてもリスクが高く、また不要不急の集まりとも見做されやすい分、感染が落ち着いてもすぐに通常通りの公演を行うことは難しいだろう。演劇はどうしても創り手の判断だけではなく、劇場や主催者の意向も大きく影響する。これは純粋に疫学的な問題ではないし、具体的にいつごろまでこの状況が続くのかどうか、誰もわからない。
だからこそ、今演劇関係者の間では、人が密集しない演劇の形態が模索されている。この状況でも発信できる作品を、ということだ。それは収益のためもあるし、演劇を観たい観客の需要に応えるためでもあるし、新しい表現を追求するためでもある。議論に上がるのはほとんどはオンライン配信を使った演劇だ。劇場を使った無観客での上演中継もあるし、俳優が自宅などからビデオ通話を使って演技をする形態のものもある。後者は具体的には劇団テレワークや、(まだ始まっていないが)ロロの『窓辺』といった動きがあるようだ。
また、ふじのくに⇄せかい演劇祭2020はくものうえ⇅せかい演劇祭2020と名前を変え、「「演劇によって地域と世界が直接つながり交流する」ことを、この状況下で可能な手段によって実現する企画」を展開している。これはオンラインで上演をやる試みとは少し違うようだが、問題意識として共通している部分は多いだろう。他にも、鳥取県がライブ配信に対する支援も盛り込んだ「とっとりアート緊急支援プロジェクト」を画策していたり、EU・ジャパンフェスト日本委員会による#KeepgoingTOGETHERというオンライン活動資金支援プログラムが立ち上がったりと、支援にまつわる動きも現れてきている。
自分としては、配信を使っての演劇上演に対して、決して抵抗感を感じてはいない。円盤に乗る派になる前、sons wo: の時代には『耄碌車リン軸ヂャヤ』というUSTREAM配信を使った演劇作品をやったこともあるし、前回の「ありふれた演劇について 4」でも書いたが、自分の演劇の原体験のひとつに、深夜のテレビで観た演劇番組というのがある。演劇は絶対に劇場で観るもの、生身の身体と向き合うもの、ライブで観るものでなければならないとは、私は考えていない。しかし、今この状況の中で生まれている演劇の配信や、それらをめぐる言説には、どうもしっくりこないものを感じる。もちろん、こういった動きはまだ始まったばかりだし、これからどんどん発展していくだろうとは思う。だが私が違和感を感じるのは、演劇を配信するということに対する態度そのもの、さらにその前提にある、そもそも演劇をどう捉えているのかという部分であると思う。
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