「ありふれた演劇について」35
円盤に乗る派extra『MORAL』が終演した。今回のプロセスはいつもと比べてかなり特殊だったし、他の団体でも同様の実践は少ないと思うので、改めてここに記述しておきたい。
まず、今回の概要は「演技経験を問わず、一般公募で募集した出演者と一緒に上演を立ち上げる」というものだった。このコンセプトを設定したのは、俳優と観客の垣根をあいまいにして、誰でも戯曲に取り組むことができるということを打ち出したいと考えたからだったが、同時に「戯曲を深く読むことがそのままよい演技、よい上演につながる」という近年の創作における実践を、別の形で行いたかったという面もある。
「戯曲を深く読むことがそのままよい演技、よい上演につながる」というのは当たり前に聞こえるかもしれないが、実際の演技や上演は、ただ戯曲を読むということから離れて取り組まれることも多い。そこには俳優の受けてきた訓練や、演出家の意匠が反映されることもあるし、戯曲を読んでいくうちに本来の戯曲に書かれたことから遠ざかっていくこともある。まさに一義的に、ただ書かれたものを舞台の上で発話すること、その体験をひたすら豊かにしていくことこそがよい演技につながるというのは、自分ながら随分ストイックな考え方であると思う。
出演者の決定にあたっては選考を行ったが、いわゆる演技のオーディションは行わなかった。webフォームで提出してもらったのは、特定の指示の下で課題テキストを読んだ音声と、それに関連しての作文だ。名前と連絡先だけは必須事項にしたが、年齢、性別、演技経験などは聞かなかったし、プロフィール写真も不要にした。選考の基準は、テキストを読むという体験をまさに自分個人の問題として捉えようとしているかということや、テキストの中身そのものへの感度、答えを求めず、わからないことを見つめようとする姿勢、など。要するに、ただひたすらテキストを読むという体験に耐えられそうかどうかだ。そして集まったメンバーは、見事にその期待に応えてくれた。
8月いっぱいで出演者の募集をし、9月頭に選考を行い、9月下旬から週末のみのワークショップを行って11月中旬に本番、というスケジュールだったため、上演に向けて試行錯誤をしている時間はない。最初の段階から枠組みを固め、決まった段取りに従って上演までもっていく必要があった。出演者の募集と平行して上演台本を構成し、映像や音楽が必要な箇所も明記した。おおまかな舞台の使い方を決め、シンプルな動線のみで上演できるようにした。音楽のTOMCさんには、出来上がった上演を見てではなく、如月小春のテキストに対して自由に音楽をつけて欲しいと依頼し、この時点で制作に着手していただいた。
ワークショップの最初の2日間は全員参加必須で、演技についての基礎的なワークを行い、同時に戯曲に対する取り組み方を共有した。日常生活において囚われている関係性の網目から離れて、周囲の環境をフラットに眺めること。そのうえで、戯曲の台詞を口に出してみること。2日目には1つのシーンを組ごとに発表してもらい、感想を言い合うなどした。主にこのときの演技を見て配役を決め、今後のワークショップのスケジュールを組んだ。
それからの3週間は土日を昼と夜に分け、合計16コマの中で出演者の予定も加味しつつシフトを組み、自分のシーンをやるときに来てもらうという形で行った。この期間にやったのは、ひたすら戯曲を読み込むというワークショップだ。まず最初に台本を手にして立ち、台詞を口にしてもらう。それから文字通り一行ずつ、その場にいる全員で丁寧に精読していく。最後まで読んだらもう一度立って、台詞を言う。明らかに最初と比べて、言葉に対する精度が上がっている。これを1コマあたり2シーンずつ行う。
全部のシーンをあたったら、再び全員集まってのワークショップ。大勢が登場するいくつかのシーンの段取りをつけ、台本を持たずに、最初から最後までのラフな通しを行う。この時点で初めて全員が全てのシーンを共有する。全体の流れがわかった時点で、それぞれの出演者の戯曲に対する印象も大きく変わったのではないかと思う。同じタイミングで音楽が完成し、衣装合わせも行って、まさに上演の形が整ってくる。この時点で、本番まで残り1ヶ月弱といったところ。
それから再びシフト制となり、今度はシーンごとの完成度を上げていく。これまで仮で決めていた立ち位置を確定させ、出入りの段取りを細かくつける。演技に対しても具体的な演出をつけるようになったが、しゃべるスピードや声の大きさが主で、やはり演出の中心は戯曲に対する読解を促すことだった。その読解も、より上演らしくなったことで多角的になってくる。今度は1コマあたり3シーン行い、2週間ほどで全てのシーンをあたる。
本番まで1週間を迎え、再度全員集まって最後の通しを行う。全員出るシーンにも細かい演出をつけ、各所の微調整を行う。土日の2日間で2回の通しを行ったが、やるたびにニュアンスが変わり、どれも面白さがある。この時点でほぼ上演としては完成したので、あとは劇場に入って設営をし、リハーサルを行うだけだ。
実際の上演をご覧になった方にどう見えたかはわからないが、自分としては、専門的な俳優が時間をかけて練り上げたものでも、未経験者が偶発的に生み出したもの(盆踊りのように)でもない、一味ちがったスペクタクルが生まれていたのではないかと思う。あの場で行われていたのはまさに、戯曲を上演しようという試みそのものだったのではないかと思うし、そこで生まれたスペクタクルはまやかしや威圧、熱狂ではなく、観客が同等に対峙できるものとしてあったのではないだろうか。
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