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「ありふれた演劇について」15

今回は一介の音楽好きとして書き始めようと思う。

先日、Twitterの一部で「ロックは死んだ」という言説が話題になった。ミュージシャンの田畑満氏が、何かの雑誌に載っていたものだろう、「好きな"音楽のジャンル"を教えて!」というアンケート結果の画像と共に「ロックが絶滅した時代。」とつぶやいたツイートがその発端と思われる。記事が何という雑誌のものなのか、その画像からはわからないが、ファッション誌かライフスタイル誌を思わせるデザインで作られたそのランキングは「1位 ヒップホップ」「2位 ジャズ」と続き、「ロック」は全くの圏外(おそらく「その他」に含まれると思われる)だった。

「ロックは死んだ」という話題はそれこそバディホリーの事故死(1959年)からくり返されているような、特段新しいものではないけれども、定期的に話題に挙がるトピックではある。ある程度音楽に詳しい人にとっては「またか」「うんざりだ」という話だったろうし、自分としても特別これを重く捉えているわけでもない。しかし「ロックは死んだ」という言説が、例えば1970年ごろ(ウッドストック、ビートルズの解散、ジミヘンの死)とか、「ホテルカリフォルニア」とか、セックスピストルズに対するジョンレノンのコメントとか、カートコバーンの死とかとは違った意味合いが現代においてはあるのだろう、ということは感じる。とはいえ、ロックと呼ばれるジャンルに良い音楽がなくなったというわけでもないし、新しいものが生まれていないわけでもない。「つまらない音楽になった」とも感じないし、「ロックと呼べる音楽がなくなった」というわけでもないと思う(Tame ImpalaもVampire Weekendもロックだと思うし、好きだ)。では「ロックの死」とはどういうことかと考えたときに、「パロディ」にまつわる精神性の変化というものに思い当たった。

新しいロックは生まれていると思うが、とはいえ近年、影響力をもつ新しいサブジャンルがロックから生まれたという話はほとんど聞かなくなった。ムーブメントそのものはあるだろう。過去の特定のジャンルやアーティストの影響下にあったり、共通する精神性を持ったりといった、一定の志向を持つ集団は確かにいると思う。しかし、それがかつてのように大きなサブジャンルを形成するに至らないのは、これまでロックが自己のパロディを繰り返しつつ発展してきたジャンルであって、その集団的な「パロディ」というものが失効しているからではないのか、という気がする。言い換えれば、これまでのロックが形成してきたのと同じようには、これからのロックはサブジャンルを形成できないのではないか、ということだ。

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