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「ありふれた演劇について」32

今秋に如月小春の『MORAL』を上演する予定なので、最近は如月小春に関連する書籍を色々と読んでいる。活動のほとんどは80年代から90年代に集中しているので、当時に書かれた内容は、今からすると隔世の感が否めないことは多い。特に80年代に書かれたものに関して言えば、今や演劇界の重鎮と言っても過言ではない野田秀樹氏や渡辺えり氏を始め、小劇場第三世代と呼ばれる人たちがまだ若者で、新しい感性の台頭などと言われている。もはや自分にとって「クラシック」とすら思える表現が、そこでは瑞々しいものとして扱われているのは、なんだかかえって新鮮に思える。

また演劇をめぐる状況も今とはかなり違う。「小劇場ブーム」という言葉は知っていたが、演劇というコンテンツが「人を呼べるもの」として捉えられ、企業がこぞって参入して若手演劇人をフックアップしようとしていたというのは、どうも現実感がなく、うまく想像できない。しかもその集客における大きなファクターが「俳優」であり、人気俳優目当てで小劇場にファンが詰めかけてくる…というような状況は、たしかに昨今ではいわゆる2.5次元演劇のような、商業寄りと言われる演劇にはあるのかもしれないが(自分は詳しくないのでよく知らない)、インディペンデントの演劇シーンにおいてはほとんど絶滅した文化と言ってもいいだろう。なんとなく自分の演劇も、これら過去の演劇の実践の歴史的な系譜上にあると認識していたが、改めてこうしたものを読んでみると、この30年そこらでいかに環境が変わったかを思い知らされる。

その中で興味深い挿話があった。1987年に出版された『都市民族の芝居小屋』という本の中に、「演劇は批評する」というタイトルで、当時新しく導入された概念だった「パフォーマンス」という言葉について如月小春が論じた章がある。この中で、当時の若い演劇人たちは「パフォーマンス」というものに「否定的な態度をとる傾向がつよかった」という。象徴的なことに、1985年7月号の『新劇』の特集は「大っきらいだパフォーマンスなんて!」というものだったらしい(しかし、時代を感じるコピーである)。

もちろん、シェクナーの『パフォーマンス研究』すら世に出る前の時代だ。如月小春自身が書いている通り、まだこの言葉の意味するところは曖昧であり、ただ新規なイメージをもつものとして軽薄に消費されていたのだろう。

はっきりした定義づけを持たないまま、いや、そういった曖昧性こそがこの言葉の大流行をもたらしたのだろうが、商業主義と結びついて、「新しくて自由なイメージ」をつけるために、「パフォーマンス」は用いられた。

如月小春『都市民族の芝居小屋』(1987年、筑摩書房)

この「パフォーマンス」という言葉と、当時の小劇場第三世代を中心とした演劇状況を比較しつつ、如月は非常に鋭い分析を行っているのだが、詳細は別の機会として、自分はまず素朴に、当時の演劇人が「パフォーマンス」を否定的に捉えていたという状況が興味深かった。

その理由のひとつとして、「生身の人間によって〈見せる〉メディアとしての演劇にこだわって創り続ける人々にとっては、即興性を帯びて、なおかつ演技術に裏付けられていない表現行為が脚光を浴びることは決して面白いことではなかっただろう。」という、ある種のプロフェッショナルとしての矜持があるだろうと推測している。そしてこれを読んだとき、何か腑に落ちる感じがした。演劇の上の世代の、「プロとしてちゃんと見せる」こと、一定の技術やクオリティを保つことのこだわりは、折に触れて感じることが多かった。これは創り手だけでなく観客も同じくで、一定の水準に達していないとみなした作品はことごとく批判する(「これは演劇ではない!」)というような風潮は、自分にとっても身近なものとしてあったのだった。

これにはさらに上の世代、小劇場第一世代や第二世代への反発もあったのだろう。それと同時に、如月が分析しているように、消費社会の発達による環境の変化や、それと平行した商業主義との結託もあったのだろう。そしてまさに1985年前後の数年において、「小劇場運動は終わりを遂げた」と如月は同書の別の章で述べている。〈小〉が〈小〉であるから意義をもっていた時代は終わり、演劇は商業主義やマスメディアといった〈大〉と共存しつつ、別の形での生存戦略をとるようになったという。これは言わば、〈小〉であることによって成立していた「小劇場運動」が終焉し、〈大〉との結託による「小劇場演劇」が残ったということだろう。

さて、なぜこんなことを書いているのかと言えば、この〈小〉と〈大〉が結託しつつあった「小劇場演劇」の時代も、今ではもはや終わったのかもしれないと感じているからだ。

先日、セゾン文化財団の方と話していた折、支援プログラムである「セゾン・フェロー」に、近頃「パフォーマンス」枠での申請が増えているということを聞いた。自分はそもそも、このプログラムに「パフォーマンス」枠があるということを認識しておらず、「演劇」か「ダンス」しかないものと思っていた。これまでも「パフォーマンス」枠はあるにはあったそうだが、人数が少なかったため目立つことはなく、意識していなかったのだろう。しかし本年度の若手向け支援である「セゾン・フェローⅠ」対象者15名のうち、実に4名が「パフォーマンス」枠だったのである。

しかもその方曰く、客観的に見れば「演劇」と思われる人でも、「パフォーマンス」で申請してくるという事例もしばしばあるとのことだった。もちろんセゾン文化財団のプログラムに申請してくるアーティストは、どちらかと言えば非商業的な傾向があるとは思うが、それでもかつての演劇界では否定的に捉えられていた「パフォーマンス」をわざわざ名乗る人が増えているという状況には、どことなく潮目の変わりを感じざるを得ない。

もちろん、この20年ほどの間でも、いわゆる劇場以外での上演や、ダンスや現代美術とのジャンル横断的な作品など、「パフォーマンス」的な潮流があったことは自分の経験としても知っている。しかしそれでもやはり、「小劇場演劇」というものの磁場や意義は、それなりに残っていたのではないかと思う。私が近頃感じているのは、「パフォーマンス的な志向も最近出てきたよね」というものではなく、まさに「小劇場演劇終焉す」くらいのものなのだ。小劇場演劇はダサくなった。これまで〈大〉となんとか折り合いをつけつつ共同してきた路線が、いよいよ行き詰まってきた…という風にも言えるのかもしれない。

「パフォーマンス」を名乗るということは、「演劇」という名前にどうしてもつきまとう、〈大〉との関係から決別するという態度なのかもしれない。〈大〉と切っても切れない関係にある以上、「演劇」という言葉には期待ができない。そう思う気持ちは事実、私自身の中にもある。「小劇場演劇」が終焉したあと、では演劇はどこに向かうのだろうか?

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