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「ありふれた演劇について」8

小さくて豊かな声、というときに自分がイメージする具体的なものとして、はっぴいえんどの「続はっぴーいいえーんど」がある。ファーストアルバム「はっぴいえんど(通称:ゆでめん)」の最後に収録されている曲だが、歌というより松本隆によるポエトリーリーディングと言ったほうが近い。

「もうずっと昔に 楽しい振りや 愉快な
振りや 淋しい振りや 悲しい振りや
苦しい振り することなんか 忘れ
ちまったと思ってた」

というフレーズの中の、ぼそぼそと消え入るように発話される「ちまったと思ってた」の言いかたが昔からひっかかっていた。思弁的なのか内省的なのか、意図のはっきりしないまま繰り出されるこのフレーズは、最後の「てた」になるともはやかすかにしか聞き取れない。決してうまい朗読ではない。発音は曖昧だし、声も美声ではない。しかし「これは一体なんだろう」という気分にさせる。それが松本隆であることは知識としては知っているが、誰が喋っているのかわからないような感じがある。だがそれは明らかに誰かではある。その誰かのことが、こちらからは何もわからない。この言葉が彼の本心なのか、誰かに言わされているのかもわからない。この朗読が始まる前、ギターの演奏の背後にメンバーのお喋りがかすかに聞こえるのだが、こちらの声はリラックスしているし、後のYMOのコントにも通じるような、半ばわざとらしいとぼけた雰囲気もあって(「ところでこれ本番なの?」)不可解さは特に感じない。しかし「もうずっと昔に」と発語した瞬間、空気が変わる。最初は少し意気込んでいるようにも感じるが、「楽しい振り」「愉快な/振り」と「振り」を繰り返すにつれ、その勢いは失われていき、だんだん言葉が言えなくなる。そして「ちまったと思ってた」で完全に消沈してしまう。

ここでこの「ちまったと思ってた」が、ほとんどモチベーションを失いつつも最後まで一応発音することができるのは、「ち」「たと」「てた」と連発されるタ行の音が、あいだのふたつのm音+促音を挟みながら、ひとつのリズムを形成しているからだろう。ドラマーでもある松本隆の身体にしみついたフレーズのような「ちまったと思ってた」は、その全体でひとつの言葉となっていて、分割することができない。「ちまっ」まで言えばあとは「たと思ってた」までは一気だ。そしてその発音と不可分に貼り付いたイメージ、意味合いも、たったひとつのものになる。それは身体に染み付いた「ちまったと思ってた感」としか言えないもので、それ以上にはまるで説明できないのだが、少なくともそこには「ちまったと思ってた感」でしかないものがあり、そしてそのイメージや意味合いは発音と同じく、分割することができない。発音もイメージも意味合いもたったひとつであるから、どれだけモチベーションが低くても「ちまっ」まで言えば最後まで言い切るしかないし、言い切ることができる。「ちまったと思ってた」ほど、長くてしかもたったひとつでしかない言葉というのは稀だ。ちなみに海ぶどうは単細胞生物らしいが、それくらい珍しい。

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