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親ガチャという言葉が流行ってるので私見

最初に言っておくと、親ガチャという言葉を使っていいのは親から独立してからだと思っている。

なぜかと言えば、親と共生しているときは、最も身近で馴れ馴れしい存在なので、お互いに本音と本音でぶつかりあい、悪いところを見がちだからだ。

独りになって暮らしていけば、親がいないという環境の元、そのありがたみを後々噛み締められ、冷静な頭で親の評価を下すことができるのだ。

だから、親ガチャというのは「親をどう思っているか」という考えを現代風の用語にしたに過ぎない。

この前提がわかっているなら、別に使おうが使わまいが私はどうも思わない。

とはいえ、こんな記事名なのだから私見を述べるべきだろう。

とりあえずSSRからNまで取り揃えたので、それぞれ述べていこう。

SSR:親の名声(場合によっては不要)、資金、家柄、人柄において全て揃っており、本人も大成していること、そして親を深く尊敬していること

SR:親の資金や人柄が備わっており、それなりに充実した人生になっていること、そして親を信頼していること

R:親の人柄が備わっており、いくらかの面で苦労したものの、悪くない人生になっていること、そして親をそこまで憎んでいないこと

N:どれも並で、親を特別好いてはいないが、嫌ってもいないこと

Nより下はいわゆるネグレクトを受けた方々だと思うので、レアリティを設定しないこととする(下限がないと思うので)。

SSRはもはやその人が確固たる地位を確立しており、その原動力に親が含まれていることだろう。親がいたから自分は立派に、かつ社会に大きく貢献できた!というレベルだ。個人的にはイチローはSSRの親を引いたと言ってもいいだろう。赤の他人である第三者が親ガチャの評価をするのはどうかと思うが、あかるみに出ている情報があるのでそう勝手に判断したまでだ。

SRは有名人とまではいかないが、それ以外はSSR並に裕福な人生を送れている人のことを指す。

Rは成功者とはいえないくらいの人生だが、それでも親とは仲良くやっていけて、「足りないものは多いけど、それでも自分はこの親で良かった」と自覚できているレベルを言う。ちなみに私自身はこの辺。

Nからはやや事情が変わってくる。親のありがたみをあまり感じなかった、というのが共通認識で、本人が大成したかどうかは特に関係ない。つまり、親をまったく頼らず立身出世に成功した人たちがここに食い込むこともある。もちろん、R程度の稼ぎで、かつ親とはあまり仲良くなれない人もあり得る。

N未満、つまり親から明確な虐待を受けたり、親の愛情をまったく受けられなかった人たちはすべてここに入るだろう。N未満は本人の現状に大きな差が存在している。成功者もいるだろうが、多くは親や家族がトラウマで、その手の話題に触れたくない方ではないかと思う。

例えば矢部浩之は今でこそお笑い芸人としては大御所並の知名度を誇っているが、家族関係については悲惨の一言。特に父親の素行の悪さは語り草である。赤の他人である第三者が(以下略)。矢部氏がそうでない、と否定するのであれば、彼は親ガチャに失敗していないといえるだろう。


以上、親ガチャに対する私見になる。

最後になるが、端的に言えば親の葬式で泣けるかどうか、が大きなポイントじゃないかと考えている。

私の両親はまだ健在なので、まだはっきりとRと自己評価できるか自信はない。

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