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1月に観た展覧会2つ
1月に、2つの展覧会を観に行きました。
三井記念美術館 国宝雪松図と能面×能の意匠
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三井グループのルーツである豪商、三井家が江戸時代より蒐集していた美術品を収蔵した三井記念美術館。こちらの展覧会を観てきました。
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国宝雪松図屏風
三井記念美術館では、国宝である円山応挙作「雪松図屏風」を年末年始に公開するのが恒例とのことです、こちらのみ館内で撮影可能でしたので画像をあげておきます。
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松の枝に積もる雪のふわりとした質感が素敵です。近くで見ると雪自体は描かれておらず、白い部分を残しながら松の葉を一筆一筆描いているのがわかります。意外とシンプル。これが離れてみると非常に幻想的で、雪の日の静けさすら感じるのですから絵師の技術、すごいですよね。
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能面・神の表情と人の表情
そして能面です。ざっくり理解したのは、能面には神や鬼などの面、人間の面、そしてその中間の面の3種類あるということ。中間というのは、人間が神や鬼などに変化したことを表す面で、般若(はんにゃ)や山姥(やまんば)などがこれにあたります。本当は詳細な分類があるのだと思いますが、あくまでざっくり。
神や鬼の面は極端に大きい目、鼻、口など、非常にデフォルメされた表現が特徴で、全体的に力強い印象です。ユーモラスでもあり、漫画やアニメで見られるキャラクターのようにも感じました。
一方、人間の面。能面は無表情であることの例えとしても使われますが、間近でみると非常に心がザワザワします。見る角度や光の差し方によって微妙な表情の変化があり、誇張の少ない表現で、かえって受け手の感情を強く揺さぶる。
例えば、あからさまに怒っている表情より、あれ、ひょっとして怒ってる?といった微妙な表情の方が怖かったりしませんか?
人が、人の表情からいかに多くの情報を受け取っているのか、考えさせられると共に、能面師の人間の表情と感情に対する深い洞察、それを表現する技術に驚いた展覧会でした。
能、観たいっすね。
五島美術館 茶道具取合せ展
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東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄の設立者の一人であり、後の東急グループの礎を築いた実業家、五島慶太のコレクションをもとに設立された五島美術館。同館が収蔵する茶道具の中からおよそ七十点を展示するこちらの展覧会を観てきました。
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仕覆・名物裂サンプル
仕覆(しふく)とは、お茶碗やお茶入れを持ち運ぶ際に、破損や傷を防ぐために被せる布の袋です、名物裂とは名物(=茶道具の名品)を包む仕覆に使われる布地をさし、また鎌倉時代から江戸時代にかけて中国大陸から輸入された高級な織物を指す意味合いもあるようです。
仕覆に包まれた茶道具の佇まいも非常に美しいものですが、さらに感動したのは名物裂のサンプル帳です。台紙に(紙自体も美しい)様々な文様の織物がずらりと並び、それ自体がずっと眺めていられる美術品のようでした。
注文者と職人がこのサンプル帳を見ながらやり取りをしていた様子や、どれだけ貴重な名物裂を取り揃えているかというのも当時ステイタスだったのだろうなと想像され、なんだか歴史を身近に感じました。
信長や秀吉の書状・茶とNFT
茶室には床の間があり、床の間には掛け軸がかけられます。掛け軸には禅宗の教えを記した「禅語」の書などが用いられ、茶会では客をもてなす主人がその日どんな掛け軸を使うかによって茶会のテーマやメッセージを表現します。
禅語のほかにも、武将の書状なども掛け軸に使われ、今回、織田信長や豊臣秀吉の書状の掛け軸も展示されていました。
秀吉の、正室・ねねにあてた書状は
「ちょっと忙しくて返事が遅れた、すまん」
などといった内容で、歴史上の人物の日常的なやり取りも想起されます。
こうした書状を掛け軸に仕立て、作品化する行為を観て、ツイッターの共同創業者ジャック・ドーシーによる「世界初のツイート」がNFT化され、売買されたニュースを連想しました。
余談ですが、以前読んだ本でこんな一説がありました。
さて、「茶に関する教養」というと、お茶を飲むときに茶碗をどちらに何度回すか、といった作法などを想像されたかもしれない。
しかし、この時代の「茶に関する教養」といえば、「どういう茶入れが名物でそれを今、誰が持っているか」という知識を筆頭に挙げなければいけない。
この時代、というのは戦国時代のことです。これを読んで、あ、NFTじゃん。と思いました。
あるデジタルデータを「誰が持っているか」を、ブロックチェーンによってネットワーク上に示すことができるようになったのがNFT(非代替性トークン)です。無限に複製可能で価格をつけることが困難であったデジタルの情報がNFTによって値付・取引することが可能になりました。
手紙やつぶやき、といった日常的な行為が後に歴史的な意味を持ち、取引の対象にもなる。戦国時代も現代も、物の価値の決まり方には共通したものがあるように感じます。
さらに余談ですが、「どの名物を誰が持っているか」とういう知識が共有されていることによって、以下のようなことが起こります。
現代人は、朝倉氏の滅亡は当時の人々にとっても、ただちに周知の事実となったはずだと考えてしまう。しかし、当時は、報道機関など存在せず、手紙が頼りだった時代である(山田邦明『戦国のコミュニケーション』)。戦いに負けても、生き残ってさえいれば、負けていないという主張はいくらでもできた。だから、遠く離れた地にある戦国大名は、信長から「今度は朝倉氏を完膚なきまでに下した」と手紙で報告されても、それだけで素直には信じなかった。すぐに信じるようなお人よしでは生きていけなかったのが戦国時代であろう。しかし、信長の茶会に参加した者から、瀟湘八景の軸が二幅も出されたと聞いたらどうであろうか。「あれだけの名物をおめおめと朝倉氏が譲るわけがないから、信長のいう通り本当に滅ぼされたのだな」と確信することができる。
朝倉氏が持っていたはずの掛け軸が今、信長の手にある。信長は自分の勝利を世に知らしめるメディアとして茶会や茶道具を利用していたのです。茶会には堺の有力な商人が招かれ、彼らのネットワークによって情報が広まります。
茶の湯を大成した千利休は、ご存じのように信長、後に秀吉に仕えていました。茶の湯という日本を代表する文化は戦国武将たちの庇護のもと育まれたといえますが、武将たちは軍事のみならず文化をも巧みに利用し、戦国の世を生きていたのですね。
実業家と古美術
今回の三井記念美術館、五島美術館に限らず、現在の大企業を育てあげてきた実業家たちのコレクションをもとにした美術館は少なくありません。
どうして彼らは、古美術に惹かれたのでしょうか。
茶道も能も、武士たちの庇護のもと発展しました。前述のように千利休は信長、秀吉に仕えていましたし、能を大成した観阿弥・世阿弥の親子は室町幕府三代将軍・足利義満がパトロンでした。
能には修羅物というジャンルがあります。仏教の教えでは、人を殺してしまった者は死後、修羅の世界という地獄に落ちるとされています。修羅に落ちた源氏や平家の武士が、その苦しみを語るという内容の演目です。人を殺すことが仕事でもある武士ですが、その苦しみを表に出すことはすなわち弱みを見せることであり、決してできることではなかったでしょう。そこでその苦しい胸の内は、能という芸術に託すことで、自らの業を背負えたのかもしれません。
また、戦争や、家臣、民衆の生活といった大きな重圧を背負う中、刀を置き、狭い茶室で人と人が面と向かい一服の茶を飲む時間は、心のバランスを保つために大切だったのではないかと思います。
五島慶太は、競合する鉄道会社を強引に買収する経営手腕などから「強盗慶太」と世間から揶揄されていました。また、経営が苦しい時期は「公園の松の木がみな首吊り用に見えて仕方がなかった」と回想してます。
実業家もまた、大きな重圧を背負う中で、古美術品などを通して、武士たちが背負ってきたものに思いを馳せていたのではないかな、と、そんなことを想像する展覧会でした。
読んで下さってありがとうございます。