金で買えないものならとっくに俺の
手の内にある とうの昔から
「金で買えないものはない」と断言できる人もいるでしょう。
今や、いち民間人が宇宙旅行を買える時代。
そういった体験や物品に限れば、たしかに金で買えないものはないのかもしれません。
しかして「人生の価値」とは。
大金を払い、即物的に味わえる幸せだけではないでしょうと。
例えば私が神様ポールマッカートニーと共演したいっつって、大金払ってサーのライブに出させてもらったとして、それは本当の意味で「ポールマッカートニーと共演した」とは言わんわけで。
目覚め、志し、己を磨き、牙を磨ぎ、
喰らいついて勝ち取ってこそ、価値があるものだってあるでしょうと。
まあ、こういう歯の浮く自己啓発本のような決まり文句は嫌いなので置いておいて。
例えば同じ体験をしても、その年齢、その環境、その立場、でしか味わえない心持ちって多分あるわけで。
端的に言うなら、子供時代にその経験をすることでしか、味わえない感情ってあるはずなんですよ。
前置きが長くなりました。
小学生の頃、「いい子なんだけど粗忽でやんちゃな少年BOY」の友達が、学校の窓ガラスを割っちゃった時に言ってたんですよ。
「・・・でもちょっとスカッとした!」
って。
怖せし者の恍惚と不安
みなさんは窓ガラス割っちゃった事ありますか?
そうですか。それは羨ましい。
私は割っちゃった事ありません。
小学生の時分において、「学校の窓ガラスを割っちゃう」ってのは、そりゃあもう最大級の大罪なわけですよ。
先述の粗忽少年も、普段のおちゃらけ挙動の延長で割っちゃったときには、およそ子供のものとは思えない蒼白の表情をしていたわけで。
まず、先生からこっぴどく怒られることへの恐怖。
親からも怒られるという、近い未来へのまた恐怖。
自分ではどうあがいても賠償責任を取れない罪悪感。
単純な話、破壊の感触と、甲高く響き耳に残った音へのショックもあるでしょう。
事に際し、子供ならば誰もが抱くであろうそれらの感情を、事後切々と語ってくれた彼は、しかし最後にその言葉を漏らしました。
破片の如く勢いよく、無造作に飛び散り、心を切り裂く、様々な悪感情。
それでも最後残された希望のように、僅かに、しかし確かに輝いたスカッと感。
こんなパンドラの匣みたいな心象風景が描かれる体験が他にあるでしょうか。
やらかし感
恐怖と絶望
不安と悔恨
自身の卑小さ愚昧さの知覚
でも支配からの卒業
こればっかりは、子供の頃に体験しないと、まさに二度と味わえない、
ひいては金で買えないものに他なりません。
それこそが、本当に価値のある人生体験であると。
経験できなかった私は、ハンケチを噛む思いで想像するばかりなのであります。
現代には様々なニーズにお応えするべく、ガラスを割るなどの破壊行動を、お金を払って楽しめるってサービスもあるそうです。
でも結局いくらそんなことをしても、上に挙げた「ガラスを割っちゃうことでの、本質的な心象体験」には届き得ません。
キャバクラで金払ってチヤホヤされて、それで満足できるんならそれで満足できるんでしょう。
そうじゃねえだろうと。
もう取り戻せないあの刹那にこそ、人生の妙味が詰まった、儚くも脆い、ガラスのような価値があるのでしょう。
もし一度だけタイムマシーンが使えるのなら、小学生の自分に会って助言したい。
「今しかできないから、ガラス割っちゃっときな」と。
もしくは一年前の自分に「今すぐ歯医者に行け!」と助言するか。
その二択ですね。
おわり