ガタタンは若き日の両親の思い出の味
ガタタン、と言っても、ご存じない方が多いだろう。
北海道のローカルフードだから、道外の方で知っている人は稀だと思う。それに、北海道の中でも、ほぼ芦別市別限定のローカルフードなので、道民でも「知ってる!」「食べたことある」という人は、それほど多くないと思われる。ただ、近年では芦別の道の駅で、アレンジメニューも含めて提供されているそうなので、旅好き・ドライブ好きな人たちの間では意外に認識が広がっているかもしれない。
いったいどんなものかな?と興味を持たれた方のために、リンクを貼っておきたい。見た感じは、あっさりとしたあんかけラーメン、あるいはあんかけ焼きそばである。チャーハンで作ることもあるらしい。そもそも、元は、とろみのあるスープそのものを〈ガタタン〉と言っていたようだ。
私がガタタンを知ったのは、そう……今から十数年も前だろうか。札幌駅だったかデパートだったか、とにかく、北海道物産を置いているコーナーで「ガタタン」という不思議な名前の食べ物のパッケージが売られているのを見かけたのだ。
私の父と母は、芦別で結婚した。だから、私も子供時代は時々芦別を訪ねたけれど、ガタタンという食べ物は見たことも聞いたこともなかった。だから、初めて見た時には(いまどきの創作ローカルフードかなぁ)と思った。箱に書かれた作り方をさっと見すると、とろっとした具入りのスープを温めれば、すぐに食べられるらしい。ネーミングが変わっているな、と思ったので、まぁ面白話のネタにと、家族分を買って帰った。両親も珍しがるだろうな、と。
ところが、二人の反応は、予想と違っていた。
「へぇ〜、ガタタン! 懐かしいね。」
「昔、あったわね。今でも売ってるの? 懐かしい〜。」
……何でも、二人は、喫茶店でデートする際に、ちょくちょくこのガタタンを食べたというのだ。〈赤シャツ〉という名の喫茶店だったそうだ。戦後、まだ十数年経つか経たないかの頃のことだ。
それに芦別は炭鉱で栄えた町だったので、店も、オシャレにコーヒーを楽しむ場所というよりは、ガタタン、丼ものなどで食事も出来る所だった。いわゆる昔のパーラー(軽食喫茶)だったらしい。
「あの頃、洒落た店なんて、芦別にはどこにもなかったね。」「なかでも、赤シャツさんは、まあまあマシだったのよね」と母は笑って言った。「このガタタンは、美味しくってすごく身体が温まったのよね。よく覚えているわ。」
そして母は〈思い出のガタタン〉を作ってくれた。焼きそばの麺を、ジュージュー、こんがりとした焼き目がつくまで焼きつけ、小エビなどの魚介が沢山入った半透明の塩味のあんをたっぷりとかけて出来上がり。父母の記憶の中の懐かしの一品は、ガタタン焼きそばだった。
ガタタンは美味しかった。私は、初めて聞く両親のデートエピソードとともに、それを食した。その後、母はまた、母オリジナルのガタタンも作ってくれて、それもまたいっそう具だくさんで美味だった。「また食べたいね」と皆で言ったけれど、何となくその機会もなく、いつの間にか日々が過ぎていった。
今はもう、父も母もいない。
考えてみれば、あの時、恋人時代の両親の思い出の味を私も共有することが出来て、本当に幸運だったな、と思う。
「ガタタンの由来」を検索すると、「芦別の中華料理店、幸楽が発祥の店」となっている。おそらくはそうなのだろうけれど、〈赤シャツ〉という店でもガタタンを出していたことについては、あまり解説には出てこない。ただ、私にとっては想い出深い話だったので、ここにこうして書き留めておきたい。