苦楽を糧に、未来を作る
はじめに
みなさん、こんにちは。
3連休が始まりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私は、3連休を使って家族と旅行にきています。旅行は、その土地の人や食事、歴史を味わうことができる最高の自己投資だと思います。
ただ、旅行に行くまでには、行き先や日程、宿泊先などを決める話し合いをしなければなりません。
すんなり決まれば良いのですが、各々が意見をもち、それがぶつかり合う為、決定までには中々の苦労を要します・・・。
ただ、みんなで納得いくまでとことん話し合い、理想のプランを決め、極上の時間を過ごせた時には、何にも変え難い喜びが込み上げてきます。
一方で、誰かに計画からホテルの予約まで一任した場合はどうでしょうか?
あっさりと楽に旅行に行くことはできると思います。しかし、その旅行で極上の時間を過ごせるとは思えません。
楽をすることは悪いことではありませんが、苦労することで得られるものも大きいと思います。
そこで、今日は【苦楽】について考えたことを記事にまとめました。
ぜひ、お読み下さい。
苦が求められた時代
時代の流れを見てみると、1970〜1980年代は、【苦】が求められた時代です。
とにかく歯を食いしばり、辛くても量をこなせば成果が出た時代です。経済も高度経済成長期から安定成長期に突入しました。とにかく量をこなせば、その分成果が出た時代です。
それだけ、日本の企業には勢いがあり、良い製品を作っていました。だから、量を作ればそれだけ買ってくれる人がおり、とにかくたくさん作れば利益が出ていました。
漫画やアニメでも「巨人の星」や「アタックNo.1」などのスポ根が流行し、苦を耐え忍ぶことで夢を叶えるというストーリーが当時の人々の共感を呼び、心を掴んでいたのが分かります。
また、社会の在り方として、トップダウンがほとんどで、上の立場の人の指示にどれだけ正確に従えるかということが求められました。集団からはみ出たことはせず、みんなで同じように作業をするというスタイルは、主体性が薄い日本人には合っているのかもしれません。
そのような背景から、学校でも「詰め込み教育」が行われた時代です。
多くの知識をもっている人こそ、能力の高い人と評価され、テストも正しい答えを求めるものが中心でした。その為、教師から子供へ1対多数の一斉方式での授業が中心でした。とにかく長い時間勉強し、たくさんの知識を暗記するといった方法を取る人が多かったと思います。
このような時代を生き抜いてきた人たちが、今、40〜50代となって職場の管理職や指導する立場についています。
当時とは、全く違う環境、価値観で育ってきた20代の方々と理解し合えない部分があるのが納得できます。
楽が求められる時代
とにかく時間を掛け、量をこなすという反動からなのか、現代ではタイパやコスパ、働き方改革など、効率化が強く求められています。時短術や最大効率などの言葉がSNSや書店を席巻しています。また、生活の中でも全自動の洗濯乾燥機やロボット掃除機などを使用し、家事を効率化する家庭も増えました。
いわゆる人がどれだけ楽をできるかということを考えている時代とも言えます。
如何にして無駄な時間を省き、自由な時間を生み出せるのかが、重要視されているのだと思います。
しかし、そうして生み出した自由の時間を、本当に意味ある時間にできているのかは、疑問が残ります。
また、先述の時代では集団からはみ出さず、同じことをすることが求められていました。しかし、人は製品のようにみんな同じではありません。当然、同じであることに違和感を感じていた人がいます。前の時代に反発するかのように、現代では多様性が重要視されるようになりました。
セクシャリティも多様性が認められるようになり、働き方も今までの終身雇用だけでなく様々な形態が登場しました。また、家族の在り方も多様になってきています。
それに合わせて学校教育でも、今までのように正解を求める学習に加え、自分の考えをはっきりともち、友達と考えを交流する学習が取り入れられるようになりました。そうすることで、教師から伝達された知識や考えだけでなく、様々な考えをもった人がいることを知れます。
現代は前の時代の反動から、人が楽や自由を求める時代だと言えます。逆に言えば、前の時代では、それだけ多くの人が我慢を強いられ、無理をしていたのかもしれません。それができたのは、すぐに目に見える成果が出ていたからでもあると思います。しかし、すぐに手に入る宝物は採り尽くされてしまいました。
では、これからの時代で必要なこととは、何なのでしょうか?
2つの時代から考えるこれからの時代
現代では楽と自由が求められていると先述しました。
私は、果たしてそれだけでよいのか、と思います。現代で効率化が重要視されているのは、先人たちが多くの時間と労力を積み重ね、作り上げてきたものがあるからです。
言い換えれば1970〜80年代は、たし算の時代です。とにかく量をこなすことで成果を出していました。
そして、現代はひき算の時代です。テクノロジーの発展により、今までよりも労力と時間を掛けずに行えるようになりました。テクノロジーの力を借り、余分を取り除き、多くのものが効率化されました。
では、何も無いところからひき算はできるのでしょうか?
積み上げてきたものがあるからこそ、ひき算ができます。
何の苦労もせず、ただただ効率化を叫び、楽だけを求めるのは違うと思います。
ある程度の苦労と努力を重ね、積み上げたものがあるからこそ、楽を考える権利を得るのだと思います。
しかし、先人たちの努力により、私たちは、前の時代よりも苦労をせずに多くのものを得られるようになりました。
では、次の時代の私たちに必要なのは、かけ算だと考えています。今あるもの同士を掛け合わせ、新しい価値を作り出していく。
それは一朝一夕にはできません。様々な経験を積み、自分の道を信じて進んだ先に、奥深くに眠る新しい宝物が見つかるのだと思います。
そうやって、これまでの苦楽を糧にして、今の社会をより良くすることが私たちの使命だと考えます。