【雑記】みんな「被災者」なのかもしれない
2024年の日本社会は空前絶後と言っていいほどに壮絶なスタートを切った。
一粒万倍日かつ天赦日という暦上では最高のスタートではあったものの、地中で龍が暴れたせいか地震に飛行機火災に通り魔とまるで世紀末のような様相だ。
こんなにも全国各地で1ヶ月くらいワイドショーで話題になるレベルのニュースがまだ3週間も経たないうちに次々と起こっている中、今回の年末年始で大量を大きく崩している人も多い様な気がしている。
そんなことを先日の令和市のミーティングで話してみたところ、この状況から「被災」というキーワードが生まれてきた。
この言葉を聞いたとき、昨今の余裕のなさの原因はたしかにそうなのかもと妙な納得感があった。
心配されていいんだよ。そんな言葉を自分にかけてあげるといいのかもしれない。
今回の災害についての違和感
今年の年明けは能登半島で震度7の大地震から始まった。
地震による被害の程度を見ると東日本大震災級の災害だったので、新年のタイムラインは北陸の地震を心配する声で埋め尽くされた。しかし、その後のタイムラインの様子は13年前のあの大地震の様子とは大きく違っていた。
2016年の熊本地震くらいまではTwitterで各地の情報共有、有志による物資の支援、そこに関われなかったとしても「一緒に頑張ろう」といった日本全体で地震から立ち直ろうという雰囲気があった。
しかし、今回の地震は被災地にボランティアに行く人たちへの非難が多い。もちろん、能登の地理的な要因もあるし、能登に行く人たちがあまり信用のない人というのもあるが、ここまでボランティアや外からやってくるものに対して非難が集まっている災害は初だろう。
また、去年はイスラエルによるガザ侵攻に電通の営業停止やジャニーズ解体、一昨年はウクライナ危機や安倍晋三銃撃事件から始まった統一教会問題など歴史の教科書でもかなり話題になりそうなニュースばかりだった。
さらに、有名人の相次ぐ死去と心を痛めるようなニュースばかりで、希望のあるニュースは大谷SANくらいだっただろう。
今回の能登の地震についても、世間のニュースの流れはだんだん松本人志の方に移りつつある。未曾有の大震災も大事件の有象無象に埋もれつつある。少なくともあのとき地震で染まり切ったタイムラインは北陸の人たち以外いつもどおりになっているように見える。
東日本大震災があった頃を思い出すと、あのときのテレビは地震関連の報道とACのCMばかりで2週間ろくにテレビ番組が見れなかった。そして、福島原発も含めて世界的にも注目されたのもあるが、1年を通して東日本大震災の話題が出ていた。
あのときの自粛ブームの教訓であまり過度に共感しないようになっているのかもしれない。
しかし、ワイドショーが「ショー」であるがごとく、次々といろいろな事件が起こってはそれに振り回されることが日常になってきたとも思っている。
年末年始、体調不良者続出??
そういうニュースばっかりだったせいか、今年の年末年始で体調を大きく崩した人が多かったような気がした。
実際にアンケートをとってみたが、やはり体調不良者が多かったらしい。
フォロワー700いかない程度の影響力のないアカウントなので、信用に足るほどのデータではないものの、30票という数字はそれなりに回答してもらえた方かなとは思う。(最終的には50票近くきていた)
僕のタイムラインでは1人肺炎になって、10人くらい高熱を出して寝込み、4人ほど石川のアレで物理的な被害を受けてた。 あと、僕自身も離婚生活が終わるなどなかなかな大事件があった。そして、泊まる予定だった宿の近所で大規模な火災が起きた。
去年や一昨年の年末年始、全国的にかなり冷え込んでいたものの、今回の年末年始は暖冬もいいところ。むしろ、前の年末年始で体調を崩している人の方が多そうだが、今年はかなり目立った気がする。
また、現在はある程度の割合いるものの、回答者数30人の時点で「知り合いがそうなった」が0なのも面白い。
兆候があったのは2022年後半から??
追加アンケートの方で自分が離婚した時期から何か大きな変化があったかを聞いてみた。
2022年の後半では、仲の良いカップルが急にその関係性について大きく見直す機会が増えてきたようで、実際に離婚した人たち、他の異性との関係をOKにした人たち、なんとか元に戻ろうと今でも頑張っている人たちと現時点での着地点はさまざまだ。
やはり約1年半という長い期間だからこそ、ほとんどの人が何かしらの人生の転機があった。その割合は85%。しかし、一年半はそんなに長い期間なのだろうか?こんなに状況が変わるものなのか?とも思う。
ここ数年で亡くなってしまった人もかなり増えた気がする。65歳以上の人もそれなりにいたが、まだまだ長生きしそうな30〜40代の人たちが急死することも多かった。
だが、人生は残酷なもので、どんなに悲しいことが起こったとしても日々のコストは変わることなく、私たちに「いつもどおり」に戻ることを強いてくる。
人生の大きな転機に見舞われながらも、日々の生活をしていかなければならない関係上、これについて大きく見つめなおす機会も少なかったのかもしれない。
何かしらの心の傷を負いながらも走り続けなければならなかった状況。それが年末年始に体調不良という形で現れたのだろう。
そもそも、コロナ「禍」という大災害にあってたわ
「いつもどおり」に戻ろうとすると、どこかで歪みがでてくる。
2020年以降、わたしたちの生活の中に「感染」が強く入り込んできた。
未知のウイルス、重症化した場合の苦しみながらの死、そこに至らずとも呼吸もままならないほどの苦しみ….
そんな恐怖と私たちは3年間過ごしてきたため、大きな歪みが生まれても仕方がない。あのコロナ禍の日々は間違いなく私たちに降りかかった災害と言えるだろう。(正直、コロナ禍のストレスの半分くらいが民衆の疑心暗鬼による人災だった気もするが、それも含めて災害と言えよう。)
ウイルス…というよりいつ出てくるかわからない緊急事態宣言に怯えながら日々を過ごし、ワクチンや大統領選挙をはじめとした陰謀論関連の話題にタイムラインが染まったインフォデミックの日々。
これは私たち日本人が今までの人生で経験したことない異常な事態だったと言えるだろう。
禍中に生まれた令和市の4期目のありかたついて考える
令和市はそんな渦中でスタートした。
思えばコロナの1年目では特定の相手としか連絡を取らず、新しい出会いもない、遊ぶにも人目を忍んで遊ぶような非常に「内」にこもる様な日々だった。
そんな「世界的な未曾有の大災害」の中、全員がそれぞれの「内」に引きこ丸ことによって生まれた分断について考えるべく立ち上げた。
4年目の令和市。災害の渦中だったあの頃とは違っている。しかし、あの頃のように「世の中の歪み」に対する何かの対処が必要だろう。
去年くらいから令和市にやってくる人を「お客様」として出迎え、その中でこちらからコンテンツを提供する傾向があった。しかし、今年はこの流れを変えてみたいなと思っている。(と、言いつつ本日chatGPT講座とかやってるけど)
そもそも、令和市はメタバースでもなければ最新技術が学べるスクールでもなかった。何もないところから試したいものを持ち寄り、試すためにみんなに教えていたような感じだった。そして、7月24日に全てを捨て去るが如くオープンチャットの削除ボタンを押す。次の年の1月10日にまた蘇る。
コロナ禍という災害が終わった後、次々と襲い掛かる「災害」。災害に振り回されるよりもそろそろ「復興」をみんなで考えつつ、新しいまちづくりをしていきたい。
シェルター、用意してます。
僕個人の活動としては、まちまちが出ていったために住み開きが完全なものになる。和光のようなエキサイティングな日々を送っていくための場というよりかは、生活や退屈をやっていく場としてやっていきたい。
青春18きっぷ遠足など去年好評だった企画は引き続きやっていくものの、それ以外にも世の中に必要だと思うことを随時やっていきたい。
….いろいろ書いてみたけど、やっぱり「復興」ごっこがしたいのかもしれない。みんなで新しい街をつくる。元通りでなくても「今より良い世界」を作るためにアクションを起こす。
まだまだ何をするかを書けるほど考えが深まっていない。しかし、今までお世話になった団塊世代の「遺産」がどこまで残り続けるか、それを失った・捨て去った我々は何をやっていくべきかを真剣に考えるタイミングかもしれない。2025年問題(団塊の世代が後期高齢者になることで起こるさまざまな問題)が起こる期限は着々と近づいてきている。
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先日行った長崎の原爆資料館で見た焼け野原をここまでおしゃれな街に変わらせた先人へのリスペクトも込めて世界の起こし方を。
災害の渦中でやっていたことから、災害から立ち直っていくフェーズへ。進んでいこう。