げんざいのすみびらき〜#確定未来 から考える「シェア実家」について〜
先日、アベマプライムに出演した。
うっかりYahooニュースに載ってしまったことをきっかけにAbemaPrimeのディレクターさんが発見。「新しいライフスタイル」の一つとして「住み開き」が特集されることになった。
しかし、番組内でも多く話題になったのは6年前の住み開き。つまるところGroundMole和光のお話だった。
当時のインターネットはpolcaのような寄付循環文化が存在し、移民問題も少なく、コロナ前なこともあって今よりもかなり平和だった。
6年経った現在、僕は「24時間」「誰でも」な住み開きは現在しておらず、「シェア実家」という新しい概念を提げて住み開き活動を再開している。
自分でもかなりぼんやりしていたが、今回の出演にあたりいろいろ思考を巡らせた結果、ある程度言語化できるようになった。
ここ10年で実家が消える。だからこそ、自分で実家を作り出す活動は意味があるだろう。
確定未来としての実家クライシス
みなさんは実家について、どこを思い浮かぶでしょうか?
実は今の時代に実家=自分の家族が住んでいる家を思い浮かべている人はかなり少ないのではないかと考えている。
というのも、現在日本人の9割は核家族であり、そのうちの3~4割が単身世帯なのだ。
さらに、持家世帯比率を見ると年々その比率が低下していることもわかる。さらに、40歳未満に絞ればかなり多くの割合の人たちが家賃を払って生活をしている。
また、空き家についてもかなり増えており、持ち家はあるけど帰ってないって人は結構いるのではないかと考えている。
地方の人口がどんどん減り、大都市の人口がどんどん増えている状況を見ると、「田舎」であったり、「実家」を持つ人がどんどん減っていくだろう。
物理的に実家が消えているのだ。
「正解」や「希望」がなくとも生き続けなければならない。
6年前の和光にやってきた人たちを見ていたり、「親ガチャ」の流行を見ていると、どうにもこうにも私たち以下の世代は「大人」を敵視し、「家庭」から逃れようとしているように見えている。
今回の都知事選の石丸氏に寄せられた20代の異常な得票数は上の世代に対しての恨みのこもった票のように感じられてしまう。(石丸氏が老人議員を論破する様子が主にバズっていたため)
僕らの世代からそうなのだけど、生まれたときから「失われた30年」の渦中だし、物価が高くなる割に自分たちの手取りはあまり変わらなく、竹中平蔵に親の仇の如くヘイトが集まる現状を見ると未来に希望を持ちづらくなってきているのだろう。
しかし、僕たちにはテロを起こす行動力もなければ、ハラキリをする勇気もない。なんだったら、常日頃から「暴力」に対して強い嫌悪感を抱いているがために、「暴力」の一切を禁じている。
このまま衰退していく世界に流されるままに上の世代がいなくなるのを待つことしかできない絶望を味わっているのではなかろうか。
「大人」も希望を持っていない
絶望している理由は単純に上の世代も元気がないというのもある。
親しい人がシニア世代に向けた研修をやっている関係で、彼らがかなりの絶望を抱えていることをよく聞いている。
会社のために一生懸命働き、尽くしてきたが、気がつけば人生に残された時間もわずかで、体もボロボロになってしまっている。
しかし、それ以外の生き方を知らなければ、その生き方の果てにあるものにも目を瞑りたくなる現状、「これから」に悩む。
研修講師はこの課題を把握しているが、ほとんどの会社員は把握するよりもその不安をアルコールで押し流すことに必死になってしまっているだろう。
子供たちはちゃんと見ている。「こうはなりたくない」という反骨と「こうなってしまう」という絶望を。
実家でやりたいこと①できる限り、好きな人に生き残ってほしい。
シェア実家をやっている理由はここにある。
実家とは安定しているが故に非常に退屈な場所で、安定しているが故にメンテナンスに最適なのだ。
正直、これはシェアハウスではできない。家賃を低くしたり無料にすれば当然ながらお金に困っている人が来るので安定しない。それなりのバリューを出そうとすればお金がかかるため、魅力的に見せる必要性がある。そしてなによりも、オーナーとの間に大家と入居者の関係が生まれる以上、「一人暮らしの延長」にすぎなくなる。
(もちろん例外はある)
24時間誰でも遊びにきていいよを現在やっていない理由は「安定」した「生活」をつくるためにある。
安定を思い出してもらう。生活における幸福を共に楽しみたい。
実家でやりたいこと②自身の終活
シェア実家は僕の終活の一つだ。
年齢と共に肉体が衰えるのは必至だから、「おじいちゃんになったときに何やりたいか」を考えた上で、ライフプランを立てる。
ありがたいことに、自分から外に出まくった結果、「この歳にこれやりたいな」と思えるサンプルがたくさんある。
40歳をすぎても子どもと同等に遊ぶことができるベビーシッターさん。40をすぎても夜行バスで自分がやりたいことをやるために東京に来れる人。段ボールにアルミホイルを巻きつけてテレビアンテナを作る人。
何かを積み重ねたことによって、何かを得て、それを自然と人に提供できる人たちに憧れている。そんな人たちを見ていると、今何を積み重ねていくべきかがハッキリとわかってくる。
そして、それは積み重ねられるものでなければならない。
一旦、70歳になったら「子どもから社長までいろんな人が訪ねてくる謎の駄菓子屋をやる」を目標に、それをやれるように金融資本・人的資本・社会資本を積み重ねている。
※金融資本・人的資本・社会資本
橘玲氏の『「幸福」の資本論』より。
家なんて、300万くらいあればそれなりのものが買えるんでそこを目指す。なお、20代最後の目標が貯金100万なのでかなり先は遠そう。30代のうちに買えればいいかな。もらってもいいけど。
実家でやりたいこと③最小労力で続ける
和光のときはとにかくリソースが少なかったためにかなり苦労した。
しかし、今の住み開きは終活であるが故に続けられることを第一目標にしている。場が残り続けていることに価値があるから。
ご近所とのトラブルを減らすためにちゃんと面識のある人だけしか呼ばないし、自分の会いたい人しか呼ばない。
自分の睡眠時間を確保するために、無理な対応はしない。
飯を出すにしても基本的に自分が食べているもののお裾分け以上のものを提供しない。
自分の城を守るために、きちんと外交をする。内政をする。
「気持ちよく眠る」を軸に行動を定める。
シェア実家に遊びに来たい人へ
まあ、とりあえず話そうや。
令和市のオープンチャットに入ったり、Twitterでリプくれてもいいから、とりあえず話そう。
まずはそこからだね。
無茶はするな。イキるな。生きろ。
自分の手で自分の生き方を開拓しようとしている人、この世界で共に生きようとする人であると言えるならだいたい友達になれる気がする。