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週報(2020年第16週)

久しぶりに店に行って食べた。煮込みだけど、ビーフシチューのような味わい。うまい。隣に座ってたおじさんはどうやらここら辺で有名な焼き鳥屋の経営者らしい。店はしばらく閉めているので暇だと大声でしゃべっていた。どこも大変だなとおもいつつ、ビール一杯で店を後にした。

zoomについて

zoom以外にもこれまでたくさんのビデオ会議ソリューションはあったわけだし、10年前くらいからあるwebexなんかにはお世話になっている。で、最近はzoomが人気で、別にGsuiteユーザならhangout、MicrosoftならLync(skype)でいいじゃんと思ってたんだけど、実際に使い込んでみると他のツールとはやっぱり違う。

zoomは音声がいいというけど、そこまで他のサービスと大差が無いように思える。どちらかというと、クリアではなくて、こもって聞こえる。つながりにくいときの聞こえ方も、ぶつっと切れるわけでは無くて、ソフトウェア的に、なんとか音をつなげる努力をしているのがわかる。完全な憶測だけど、よく聞こえるというのは、聞き取りやすさに関する心理的な指標をもっているんだろう。人間の錯覚もうまく利用しているのではないだろうか。

あと、他のノートにも書いたけど、zoomの良さは「ユーザビリティ」だけじゃなくて、「Fun」「楽しさ」の要素が大きい。確かに、バーチャル背景はビデオ会議のユーザの課題をうまく解決している。自分の散らかった部屋は会議でうつって欲しくない。でも、それ以上に遊べるのが大きいと思うし、ユーザが工夫できる余白のあるデザインになっていると思う。

最近の頭の中

シン・ニホン、ちょくちょく読んでるんだけど、風の谷の話はまったく話が頭に入ってこなかった。人それぞれ感じ方あると思うけど、ベストセラーだし僕の考え方のほうがおかしいのかも知れないと疑いたくなる。しかし、風の谷のナウシカを熟読している側からすると、あのメタファーの持ち出し方は、かえってわかりにくくしちゃうと思う。それって僕だけ?

ナウシカ読んでいたらわかるけど、腐海のほとりで生きていけたというのは住民の努力の賜物と運であって、古くから構想してできたものではないとうんだよなあ。ドルクの人々もいれば、森の人、蟲使いもそれぞれの生き方があるように風の谷の住民も土着の民族と言うよりは、火の7日間のあとにエフタルの末裔がやっとたどり着いたみたいな感じなんだよね。ビジョンをもって人間を作り替えることまでした古の神が、その神官を使ってプログラムされたとおりにプロジェクトを着々と遂行していく話と、そういう企みがあろうがなかろうが目の前を必死に生きてきた人々の生活とはどっちが尊いのか、というのがナウシカの後半の主題。で、最後にナウシカは神のほうを倒す。

風の谷憲章に書かれた内容ってどちらかといえば、ヒドラが守っている「庭」のほうに近い。別に、それが良くないとはまったく思ってなくて、風の谷の運動論の中身は共感できることも多い。でも、物語の「風の谷のナウシカ」とは別物なんだから、名前を変えた方が良いと思う。適切な名前なんだろうな。

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