自分がバーチャルに惹かれた理由がにじGTAに詰まっていた話
※この記事はVtuberのメタ話を多少含みます。
まず自分がVtuberの何に惹かれたかという話だが、端的に言うと「本人の人格+付与された世界観によってVtuberとしてのキャラクター性を生み出している独自性」である。
端的に言えていないのでこれらの要素を嚙み砕いて語っていく。
まず"本人の人格"、これはVtuber本人の性格や思想で、特に生配信なんかをしていると顕著に顕れる部分である。これによりゲームに対する反応や雑談・および他の人と絡んだ時の面白さが変わってくるので、配信者・タレントとしての魅力と言える。
次に"付与された世界観"、これは無粋な言い方をすると「設定」で、魅力的なストーリーやビジュアル、それに沿ったRPはオタクを惹きつける要因になり得る。またこの要素は普段の動画や配信では動きが少ない分、主にファンアートの存在によって何気ない会話の一節からも世界観が拡張され、ファンの間でVtuberの概念的な魅力を再認識するきっかけとなる。これは二次元コンテンツとしての魅力と言える。
この2つを掛け合わせることで"Vtuberとしてのキャラクター性"が生まれる。そのキャラクター性はどちらかが欠けてもVtuberたらしめることは無く、もちろん人によってその2つのパーセンテージ、RPの総量などは変わってくるのだがそれすらもキャラクター性の多様化に繋がっていると考えている。
(その他コメントとの双方向性とか色々あるが、ここでは割愛)
前置きが長くなったが、にじGTAの話に移ろうと思う。
今回のにじさんじGTAという企画は、GTA5というゲーム内の都市ロスサントスにて、にじさんじライバーが各々好きな役職に就き、疑似的な生活を楽しむというメタバース的なものである。(という解釈でいる。間違っていたら申し訳ない。)
筆者は主に周央サンゴ視点でこの配信を見ていたのだが、
店長レオスとチーフンゴによる生徒会パン屋さんがロスサントスに開業。パン屋の傍らで次第にレオスは危ない事業に首を突っ込んでいくが、レオス側はンゴを危ないことに巻き込ませたくない思いで奮闘し、ンゴ側は次第に感づいていくがレオスのやる事を否定したくないという思いで気づかないフリをし、互いの優しい嘘は打ち明けぬままパン屋として成功し、大団円を迎える…
かなり大雑把にまとめたが、こういうストーリーが配信上で完成していたことに驚いた。
ここまで綺麗なストーリーが出来た要因として、元々親交の深かったライバーやロスサントスで偶発的に起こるライバー同士の絡み、GTAというゲームによって付与されるビジュアルや画面の動き、双方を掛け合わせたストーリー性のあるファンの解釈やファンアートの増加、それに感化された演者達(特にンゴ)のRPなどが挙げられる。
それらが複雑に絡み合った結果GTA上での新しいキャラクター性が確立されており、この構造がまさしく本人の人格+付与された世界観によってVtuberとしてのキャラクター性を生み出している、というVtuberの魅力そのものに通じていると感じた。
にじGTAが面白かった理由はこれだけではないのだが、他の箱内の大型企画で感じる楽しさとは別にクソデカ感情を抱けたのは、配信者・タレントとしての魅力だけではない、自分がバーチャルに惹かれた理由の根底たる部分が詰まっていたからではないかと思う。
ごちゃごちゃ言いましたが、要するににじGTAが面白かったと言う話をしたかっただけです。
にじさんじ、最高~~~。
ここまで読んでいただきありがとうございました!