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twitterから逃げてきた人間の日記
誰かに話すには小さすぎる出来事も、ここなら自信満々に記していける気がする。
私はこれから日々起こった出来事を書いていこうと思う。誰に見られても、逆に見られなくても構わないので、幾分心は楽である。これは限りなく自己中心的なものであるが、「こうあるべきだ!」と主張する意見書ではない。ただのありふれた日常であり、個人の感想だ。だから、「こういう人もなかにはいるんだなあ」と思っていただければありがたい。
というか、日記なんてものは手帳後半部のフリースペースにでも殴り書きして、新調する際に「こんな日もあったなあ」と一人ほくそ笑むくらいがちょうどいいというか、恋する少女のように、「今日は彼と話す機会があったの。でも私ったら全然気の利いたことが言えなくて……バカバカバカ!」と鍵付きの日記帳に日々したためれば良いものである。それにも関わらず、noteという白日の元に駄文を晒し、人様に私の個人的な感想や主張を投げ捨てるのも非常に忍びない。お目汚しにならないよう精一杯注力するつもりではいるけれど、もしも嫌な気持ちにさせてしまったら申し訳ありません……
私がこうやって日記をつけていこうと思ったのは、twitterの140字という制約の中で思いの丈を正確に綴ることが難しくなったからだ。だって、140字って滅茶苦茶少なくない? そんなことないか。制約と誓約の上で成り立つ文章の方が人の心を打つのか。
それでも、やはり納得がいかない。「真っ直ぐ続く氷川参道を通っていると、春の暖かさに釣られて発生した大量の羽虫(カバシラかショウジョウバエ、それともユスリカというやつか? )が飛び回り、数メートル歩くだけで顔にびたんびたんと当たるのが不快で仕方がない! これから図書館に向かう度にこの苦行を乗り越えなければならないのね……ぐすん。」と、これっぽっちの文章を書くだけで140字超えている。こんなものも投稿できないというのは私にとっては深刻な問題である。(上記の呟きは駄文過ぎてどちらにしろ投稿しないが。)
それに、仮に140字ギリギリで収めたとしても、タイムラインに字ばっかりの投稿が流れてきたってうざったいったらありゃしないだろう。私にも控えめで謙虚な常識が備わっているので、それはわかる。
というか、140字ってなんだ。なんで140字なんだ。100でも、150でも、144でもない、140。この数字になんの意味があるんだ。試しに、googleで「140 意味」と調べてみる。
某サイトによると「140とは形容詞である。130よりも10多い。」と載っていた。そうかそうか。130よりも10多いか。人間を舐めるな。(それと140は形容詞なのか? )
というわけで、これから不定期で日記を更新していけたらと思っているのでこれを読んでいる方がもしいるならば、どうか温かい目で見守っていて欲しい。
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