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ジョッキの持ち手と指切りげんまん
「なんで持ち手使わないの?」
私が生ビールを飲んでいると、友人に問いかけられた。
友人に言われて初めて気が付いたが、確かに私はコップを持つように、ジョッキ本体を指先の力で持ち上げている。
何故今まで気が付かなかったのだろう。いや、持ち手があることは気が付いていたが、無意識的にも、それを使わずに飲んでいた。
「紅茶じゃなくて、緑茶派だからじゃないかな」
私がそう言うと、友人は「別に関係ないんじゃない」と興味なさげに言った。
紅茶で使うティーカップには、湯呑とは違い、ハンドルと呼ばれる小さな持ち手がある。それを日常的に使用しているならば、きっとジョッキの持ち手も使う可能性が高いだろうと踏んだのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。
「だって、緑茶を飲むときはこうじゃん」
友人は、空気の湯呑を左手で持ち、右手を底に添えるようなジェスチャーをした。友人は、緑茶派の私がジョッキをそう飲まないのはおかしいと言わんばかりにこちらを見やる。
そんな「結構なお手前で」と言わんばかりの持ち方でジョッキを持つ奴がいるかと思ったが、友人は大層上品なご家庭で過ごされたのだろう。あまり納得いかなかったが、そう思うようにして無理やり留飲を下げた。
「そもそも、なんでジョッキには持ち手があるんだろうね」
「そりゃ重いからでしょ」
ジョッキなんてせいぜい500グラムなんだから、持ち手なんて必要ないだろうと思うのは、些か勝手だろうか。何の自慢にもならないが、私は普段1リットル入るジョッキ型タンブラー(勿論持ち手付き)を持ち手を使わず愛用しているため、普段から鍛えられているのだ。本当に何の自慢にもならないが。
しかしまあ、こんな軽いジョッキの持ち手を使っていては、マイタンブラーに叱られてしまう。「へえ、あの子の持ち手はちゃんと掴むんだね」と蔑んだ持ち手を私に向ける彼女を想像すると、背筋がピンとなった。私の重いタンブラーは愛もまた同様である。
「直接持つなんて、冷たくないの?」
「まあ冷たいけど。店内も暖かいし、指先くらい冷たいのが丁度良くない?」
友人は「よくわかんない」と言った。どうやら、私が持ち手を使わないことがすこぶる気に入らないようだ。もしかしたら、友人の前世は持ち手職人だったのかもしれない。かなりニッチな産業だが、やっていけたのだろうか。いや、やっていけなかったからこそ前の世に幕が下りてしまったのか。可哀想に。私は友人に同情の眼差しを向けた。友人は「こっちみんじゃねえよ」と言った。口悪いなあと思った。
まあ、「丁度良い」という表現は少し違うかもしれない。どちらかと言えば、気持ち良いとか、風情があるとか、通みたいな感じ。炬燵で食べるアイスクリームしかり、寒い冬につつく鍋しかり、冬に観る花火しかり、環境とは真逆の物質を感じるだけで特別な気持ちになれるというものである。例が冬ばかりで恐縮だが、とにかく、目の前で焼き鳥を焼いていて、目がしばしばするほど煙たいこの店の中では、ジョッキの冷たさが唯一のオアシスと言っても過言ではないのだ。友人はそのことに気が付きもせず、「持ち手があるから持ち手を持つ」という短略的な考え方をしている愚かな人間であることに、憐憫の情を禁じ得ない。私は友人に哀れみの眼差しを向けた。友人は「だから、みてんじゃねえよ」と言った。なんで友達なんだろうと思った。
「ジョッキ掴んでるとき、小指が微妙に立ってるのもキモいよ」
友人は私にそう言った。もう嫌いじゃんと思った。
左手を見ると、確かに他の指はしっかりとジョッキを掴んでいるのに、小指だけは使っていない。しかも、ぴんと張っているわけでもない。指切りげんまんをするときカギを作るように、微妙に遊んでいる。優柔不断な人間にはお似合いだなと思い、小指にふふっと笑いかけると、友人のあたりから、キモっという声が聞こえた。確かにこれはキモい。
なんにせよ、私はこれからもジョッキの持ち手を使わず生きていくのだろう。持ち手職人だった友人には少し申し訳ないが、私の生活には必要ない。なんだか少し居た堪れなくなり、頭を下げると、友人も「自分も言いすぎた」と謝ってきた。別にそういう意味で言ったわけではなかったので、謝られ得だ。勝った。
会計を済ませた私たちはまた次に会う日を約束し、解散した。今思えば、あの時指切りでもしておけば、所在なげなこの小指にも意味が生まれていたのかもしれない。
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