子どもも大人も防犯ブザー
季節外れの台風「コンレイ」が温帯低気圧に変わった。それの影響か、肌寒い空気が私を撫でる。ベランダで洗濯物を回収しているうちに、二回くしゃみが出た。ふむ。いい加減短パンにTシャツは卒業しろということなのだろうか。
いや、私はまだこの格好を辞めないぞ。道路を見やると、公園から帰ってきたのか、短パンにTシャツの子供がお父さんと仲良く話しながら歩いている。少年よ、君が短パンでいる限りおじさんも短パンでいるからね。安心してね。脱ぐ時は一緒だよ。
さて、こうした変質的な成人男性がこの世に存在するせいで防犯ブザーが普及した訳だが、私は使ったことが人生で一度も無い。一応、使われたこともない。
小学生の時、「いざという時のために」と手渡された黄色い丸は、ついぞ日の目を浴びることなくどこかに行ってしまった。今になって申し訳なく思う。
私は牛乳を一日一リットル飲む子供だった。学校に行く前、帰ってきた後、それはもうごくごくと飲んでいた。毎朝パック牛乳が届き、私は運んできたバイクのエンジン音で起きる。そんな生活が続いていた。
その甲斐あってか身長はすくすく伸び、六年生のころには170センチあった。そんな人間が防犯ブザーを使うことなんてあるはずもなく、ランドセルに着けようともしなかった。なんだかチープでガキ臭いそれが、「ダサい」気もしていたから。
それに加え当時は、皆が事あるごとに紐を引っかけ、ブザーの誤作動がひっきりなしに起こっていた。私にとってこの玉は徐々に、「不快なもの」になっていったのだ。しかも音を止めるためには小さい穴にピンを差し込む必要があり、焦った子供はそれが上手く出来ない。結果大音量が長引くのも嫌な要因の一つである。違うとは思うが、こうした防犯のための工夫を当時から嫌がっていたのは、変質者としての片鱗だろうか。
まあなんにせよ、そういった理由から防犯ブザーをつけることは無かった。
しかし何かと物騒になってきた昨今、もしかしたら今こそ防犯ブザーを持ち歩く必要があるのではないかと思い始めてきた。狙われるのはもはや、か弱い女性や子供だけではない。私のような男性も標的になりうる。20代も終わりに近づき、体力も不安になってきた。
だったら、悪に抵抗するためにも、私にはブザーが必要なのではないだろうか。あるというだけでいざという時に起こす行動の「答え」が分かるのもいいし、何より変質者にけん制としての抑止力を持つことができる。そう思って、(持ち歩くかは別として)実は前もって一応一個買っておいた。家に侵入するタイプの犯罪も多くなってきたから、今は目につく場所に置いてある。
私の防犯意識は過去最高に高まり、いつだって不審者に出会っても恥ずかしくない対応をすることができる。なんだったらもてなしてやろうと思う。防寒意識は相も変わらずだが、寒より犯だ。
そう思ってもう一度親子を見ると、子供がちらちらこちらを見ているような気がした。ここは五階だが、まさか私の視線に気づいたのだろうか。もしかしたら、さっきのくしゃみは彼らのうわさ話が原因だったのかもしれない。なんとも不名誉だが、彼らの防犯意識も高められたのなら何よりだ。