黒人差別の根本構造

Black Lives Matter(BLM)の運動について、日本ではあまり取り上げられなくなったけれども、当然黒人差別の問題そのものが解消したわけではない。

「単一民族国家」という幻想がいまだに蔓延るこの国で、人種差別の問題を内側から理解することは難しいけれども、今回はここ数日アメリカで議論を呼んでいる、とあるNBAチームの黒人オーナーをめぐるニュースについて考えてみたい。

問題のチームは、昨シーズンNBAで優勝したトロント・ラプターズである。事件が起こったのは、ラプターズがまさに優勝を決めたその直後に起こる。

球団オーナーを務めるマサイ・ウジリ氏が、優勝を祝うためコートに入ろうとしたところ、白人の警備員に制止され、揉み合いのような恰好となった。後に警察当局は、「ウジリ氏がIDの提示を求めた警備員に対して暴行を働いた」と提訴することになる。

その後、SNS上では「ウジリ氏の暴行を受けた警備員が車いす生活を余儀なくされている」といったデマが流れ、ウジリ氏のイメージは大きく損なわれた。

ところが先日、ウジリ氏の潔白を証明する動画がニュースサイトで流される。

50秒~の場面では、カメラが遠くどちらが先に手を出したのか判然としない。しかし1分30秒~の新たな証拠は、「ウジリ氏がIDを提示しようとしている」ときに、「警備員に突き飛ばされている」シーンが明確に映っている。

この動画によって、ウジリ氏の潔白は証明され、現在ウジリ氏は警察当局を逆提訴している。しかし潔白が証明されたからといって、「めでたしめでたし」というわけには当然いかない。ウジリ氏に疑いがかけられ、悪評が広められていくプロセスそのもののうちに、黒人差別の根本的な問題が存しているからである。この問題は、大きく以下の四つに分けることができる。

1. そもそもウジリ氏がIDを提示しようとしていたにも関わらず、警備員が彼を突き飛ばしたこと。胸元から何かを出そうとしているところを攻撃する、という構図は、「白人警官が黒人容疑者を取り押さえる際、反撃の予兆に対する過剰反応によって射殺してしまう」という事件の構図に酷似する。

2. 警察当局がウジリ氏を提訴したこと。今回公開された動画は、警備員側のカメラに映されたものであり、警察当局がこの映像の存在を把握していなかったとは考えにくい。にもかかわらず、警察当局は提訴する際、「ウジリ氏の暴行の証拠となる映像を掴んでいる」という旨を公表していた。

3. ウジリ氏の暴力が致命的なダメージを警備員に与えたというデマが広まったこと。「黒人=野蛮」という偏見がなければ、このような「尾ヒレ」はつくはずもない。このことは、「黒人が凄惨な事件を引き起こす」というステレオタイプが、社会に根深く残っていることを示している。

4. ウジリ氏が「NBAの球団社長」という強い立場にある者でなかったら、潔白を証明されることなく罰されていた可能性が高いこと。このこと自体は憶測にすぎないけれども、「被害者側であるはずの黒人が、駆け付けた警官に加害者扱いされ、そのまま処罰を受ける」という構図は、目につくことなく各地で頻発していると考えられる。
(今年の5月、リードをつけずに犬の散歩をしていた白人女性に注意した黒人男性が、反対に白人女性によって通報された事件があった。黒人男性が成り行きを動画に収めていたため、罰されたのは女性の方だったが、そうでなかったらどうなっていただろうか。

注意されただけで、「黒人の男が私を殺そうとしている、助けて」と通報の電話で連呼していたのである。African Americanに置かれた強烈なアクセントは、すでにその単語そのものが、自分自身を被害者とするに十分だと確信しているように聞こえる)


なお、一連の騒動についてウジリ氏は以下のような声明を発表している。

所有するチームの優勝という晴れ舞台で、自分自身が不当な扱いを受けたことの背景には、「黒人にそのような名誉はふさわしくない」という固定観念があると、ウジリ氏は考えている(逐語訳ではなく、要点をかいつまんだ説明とする)。さらに重要なことには、ウジリ氏は、この騒動でもっとも残念なこととして、「自分が正義を証明できたことは、自分の球団社長という立場や、十分なリソースなしにはなかったということ」を挙げている。つまり、自分が強い立場になければ、この件は「黒人による暴行」ということで片付けられていただろうというわけである。先に提示した、4番にあたる内容に重なるものだ。

このことを、ウジリ氏はBlack Lives Matterの本質として考えている。黒人に対する偏見によって、正義が捻じ曲げられる場面は、社会の至るところで存在している。しかもそれはしばしば、公権力によって「なかったこと(It doesn't matter)」とされるのである。

Black Lives Matterの本質は、すなわち構造的に、黒人差別問題にのみ関わるものではない。それは、「正義を捻じ曲げるあらゆる偏見」に対する反抗であり、「正義を捻じ曲げた事実をなかったことにする態度・社会システム」に対する抗議である。

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