最適なモノに満たされて
あらゆる満足はいまやコンビニで手にすることができる、というのは『コンビニ人間』以来周知の事実となったわけだけれど、このような動向においてもっとも重要な機能を果たしているのは、ぼくらとコンビニ側との間に結ばれた「経済的合理性」という絆にほかならない。
セブンイレブンの「金の○○」シリーズは、下手なファミレスに行くよりも安価に、高い満足度をもたらしてくれる。多様なバリエーションからなるスイーツのラインナップはどれも高品質で、ぼくはずんだ餅が好きなのだが、セブンのずんだ餅を食べたとき、「あ、これ仙台行かなくてええやん」みたいに思ってしまった。
巨大資本によるマーケティングと、無数のフィードバックを重ねた商品開発は、「そこでしか食べられない」ローカルなものを駆逐する。端的にコンビニが提供する商品は、「最大多数の最大幸福」を実現するのに最適なシステムのなかで開発されているのであって、たぶんぼくが個人でレストランなんかを経営していたとしたら、涙目で敗走するにちがいない。
巨大資本による「最適解」の導出というのは、コンビニ側の経営の話ではあるのだけれども、重要なのはぼくたちが今や、「最適解はコンビニで手に入る」と知ってしまっていることにある。コンビニは「なるべく多くの人に、なるべく受け入れられるモノ」を提供するし、ぼくたちはコンビニに陳列されているものがそのように「失敗のないモノ」であると心得ているわけである。
「あ、なんかもうこれでいいじゃん」という感覚が、最大多数の最大幸福を実現するためのポイントなのだろう。古くはトヨタの「80点主義」にも通じる考え方であって、「人と違うコダワリがある人は置いといて、普通の人がそれなりに満足できるように」モノを作るというのが、最適解を見つけるポイントになる。
10年くらい前にレンタカーのバイトをしていたとき、カローラに乗るといつも「なんかもうこれでいいな」という感覚があった。ぼくは結構な車好きで、いわゆる走り屋のようなスポーツタイプが好きなのだけれども、それでもそういう感覚を抱かずにはいられなかった。
いま、技術が進んで、もはや軽自動車ですら「これでいいや」感を抱かせるようになっている。N-BOXが日本一売れているのも当然で、乗ってみればきっとほとんどの人が、そこに「最適解」を見出すだろう。
その一方で、「そこにしかないもの」たちはどこに行くのだろう。よくわからないけど癖になる定食屋、安っぽいけど運転が楽しいマツダの車。「ニッチ」として自分をブランディングできればいいけど、そこにしかないものというのは大抵、「なんかわからないけど、やってみるとハマる」という類のものだ。最適化されたものが世に溢れ、なんかよくわからない、謎の高揚感をもたらすものたちは、きっとどんどん姿を消していく。
完全に蛇足だけど、マツダの車はいまでは「ニッチ」をブランド化して、「洗練された少数者」に向けた路線を突き進んでいる。内外装は立派になったけれども、走りのワクワク感はなくなってしまった。かつての「よくわからないけど楽しい」マツダは、どこに行ってしまうのだろう。