今すぐ死にたい!後腐れなくこの世を去ることは可能?

「この世から消えてなくなりたい」
「自分なんて、世界の誰からも必要とされていない」

そんなお悩みはありませんか?生きている意味を見いだせず、ふとこの世か消えてなくなりたくなることもあると思います。

とはいえ実際に、死を遂げるのは案外難しいもの。「自分が消えても、誰も困る人がいない」なんて思っても、ちょっとした関係に後ろ髪を引かれ、なかなか踏ん切りがつかない人も多いのではないでしょうか。

ひょんなことから「死にたい」なんてググってみると、表示されるのは自殺防止関係の記事ばかり。「そういうことじゃねぇんだよ」と、世の中への失望が加速してしまった経験を、誰でも一度はしていると思います。

この記事では、「誰にも迷惑をかけずに死にたい」と考えている方のため、後腐れのない死のあり方について検証していきたいと思います。

実際に誰に迷惑をかけるのか

「自分が死んだら、方々に迷惑をかけることになるなぁ」と、死ぬことを思いとどまっている方は多いでしょう。実際のところ、私たちは死ぬことで誰に迷惑をかけるのでしょう。

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」においては、

恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り

ということが言われています。近しい関係にいる人たちに対する精神的負担を考える方も多いかと思いますが、自分が死にたいときに、周りの人たちのことを気遣ってしまう、そんなことだから死にたくなるのだと発想を転換してみてはいかがでしょう。自分の存在を必要以上に重く考えてしまうと、普段生きているのも苦しくなるばかりでなく、いざ死のうと思ったときにも苦しくなってしまいます。軽やかに死のうと思うなら、自分の存在についても軽やかに考える必要があるでしょう。

親しい人がいなければ、すんなり死ねる?

「死のうと思ったときに、親しい人の顔が浮かんでくる」というのは、死を思いとどまる理由として相当に多いのではないでしょうか。

そこで、「親しい人の人生に、自分がはじめからいなかったらなぁ」なんて考える人もいるでしょう。けれども、親しい人がいないからといって、人間そう簡単に死ねるものなのでしょうか。

他者との関係性を考慮から外せば、死へのハードルは純粋に「自らの生存本能」となるでしょう。阿呆のように生にしがみつく、例の醜い本能のことです。自分の生きる意味なんて理解しているわけでもないのに、なぜだか漫然と生きることを選択してしまう、惰性に満ちた力のことです。他人に馬鹿にされたり嫌われたり傷つけたりフラれたり、いいことなんて一つもないのに、それでもどこかで何かを期待してしまう心のことです。年に一度くらい、「あ、なんかこの瞬間、いいなぁ」なんて思ったりして、その思い出を後生大事に抱えながら「またこんなことないかなぁ」なんて望みを抱いてしまう愚かな性向のことです。失敗ばかりで自分に才能がないことなんてとうに知れているのに、それでも自分を諦められない往生際の悪さのことです。

それは希望とも呼ばれています。どのような状況にあっても、希望は私たちのことを見放してくれません。最後のひと時まで、もしかしたらを待ち続けています。このもしかしたらを断ち切ることは、いかに絶望していたとしても、完全に成し遂げられることではないのでしょう。電車に飛び込む瞬間、首吊りの台から足を踏み出す瞬間、もしかしたらを一筋ほども残すことなく、事を遂げることができるでしょうか。

村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の序文は、次のように始まります。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

文章は、自分と相手が違うということを前提としています。自分と相手の考えていることが同じなら、そもそも文章は必要ありません。完璧な文章というのは、100%の意思疎通を達成できる文章でしょう。しかしそもそも、文章が必要であるという時点で、100%の意思疎通などありえません。

完璧な絶望というのは、何かに対する期待が100%失われた状態でしょう。しかし、何かに対する期待なしに、絶望することはできません。絶望する心のうちには、常に何かへの期待が、打ち砕かれた形ではあれ存在しているはずです。

期待することなしに、「死にたい」と思い至ることはありません。「死にたい」と思い至ったときにはいつも、打ち砕かれた期待があるはずです。

それは本当に、打ち砕かれているのでしょうか。打ち砕かれていたら、そもそも「死にたい」と積極的に希望することも、ないのではないでしょうか。

死にたいと思うことは、生きようとすることと同じものなのではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか?人はすんなり死ぬことができるのかを、今回は検討してきました。結果として、死にたい気持ちと生きようとする気持ちがひとつなぎのものであることがわかりましたね!死のうとすればするほど絶望的に生きてしまう、そんなあまりに人間的な人生を、ともに苦しみ抜きましょう!


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