GLEAT旗揚げは真のUWFの旗揚げだ
本物のUWFは、なかった
GLEATの旗揚げの意味はとてつもなく大きい。なぜならば、それは本物のUWFの復活を意味するからだ。第一次UWFも、第二次UWFも、UWFインターもリングスも本物のUWFではなかった。田村潔司のUWFこそ本物のUWFだからだ。
昨日話したように、GLEATが純然たるUWFでないことは知っている、軒を借りているような状態であっても、GLEAT旗揚げは、田村UWFが、つまり本物のUWFが世に出たという歴史的な意味を持つのだ。
実は誰も本物のUWFを見たことがないのだ。
本物のUWFは、田村のUWFだからだ。
しかし、田村はUWFのいち選手ではあり、田村個人のUWFはそのファイトで見せた。しかし、プロレスは哲学と行動をひとつにした表現である。それはまだ見せてないのだ。
シャイで、寡黙。わからないやつに言っても仕方がない。
あの時以来26年、田村潔司はその姿勢を貫いてきた。頑なな赤いパンツを本当のUWF愛、プロレス愛で翻意したのが、GLEAT旗揚げの張本人、リデットエンタテイメント株式会社(以下リデット)だった。
UWFが死んだ日
なぜ、前田や高田をさしおいて、田村を真正UWFの象徴というのか。
それはUWFの定義による。私のUWFの定義は、UWFとは哲学であるというものだ。哲学を信念と言い換えてもいい。プライド、そう言い換えてもいいだろう。それは純粋であればあるほど尊いし、信念とはそもそもそういうものだ。
それは、語りつくされたこの一件をもう一度蒸し返せばわかってもらえるだろう。そう、1995年10月9日に東京ドームで行われた 、UWFインターVS新日本プロレス全面対抗戦、だ。
この試合田村潔司は出場を拒否した。このことについてさんざんいろいろ言われてきたが、田村はUWFかくあるべし、の信念をつらぬいた、それだけのことだ。
UWFの純粋性がビジネスに取り込まれるかもしれない、という不純を命を懸けて阻止したのである。
あれは高田が金欲しさに新日本プロレスと取引したのだ、などと、UWFの真実はこうだったと、したり顔に語るものがいる。私はそういったUWFやプロレスを少しでも腐す側には決して与しないが、ビジネス面を含め、いろいろな見方ができるのがプロレスの魅力であることは否定しない。
リデットが開けたプロレス新時代の扉
とにかくビジネスライクなどという考えは、田村のなかには露ほどもなかった。彼にとってUWFとは、本物のプロレスかくあるべし、という信念なのである。それが不純な何かに汚されるかもしれないとき、身体を張って、命を懸けて阻止するのは、田村にとって自然なことだった。
UWFは、あの日その精神とともに屋台骨も消滅した。しかし、UWFの精神は生きていた、田村潔司の精神の中に。それが復活したのだ、GLEATの名のもとに。リデットによって。
田村はもうUWFの精神が、魂が自分のなかに残っていればいいと思っていた。しかし、プロレス界の救世主が、それをよしとしなかった救ったのだ。
試合内容は新日本プロレスをはるかに上回るのに、組織とマネジメントがダメなノアに手を差し伸べ、見事に再建したこの会社は、今度は、眠れるプロレス界最大の遺産をよみがえらせたのだ。
その名はリデット。
GLEAT旗揚げ戦が大成功したのは、ファンのリデットに対する感謝だ。ノアをよみがえらせそして、今度は本当のUWFを復活させてくれてありがとう、という。
コロナでプロレスに逆風が吹く中、そろばん度外視してプロレスを守っているリデット。
この精神がGLEATの名のもとに、田村の純粋なプロレス愛と結びついてこのコロナ禍に復活したのは、決して偶然ではないのである。
今日も最後まで見てくれてありがとう。
今日は高校生のキミたちを完全に置き去りにしちゃったかな。でも、機会があればプロレスの歴史という文脈の中で、いずれ詳しくお話しよう。
じゃあ、また明日。
野呂 一郎