高校生よ、シェークスピアを勉強せよ
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:シェークスピアくらい読んどいたほうがいいという気づき。主に英国人、米国人と付き合う時に”常套句”を口にすることのチャンスとリスク。常套句=クリシェを使いこなすには、深い教養が必要であることの理解。
ゼレンスキー、英議会での演説の衝撃
3月8日、ゼレンスキー大統領が英国議会で行ったスピーチへの賞賛は、特別ななものだった。
シェークスピアのあの有名な一節を、引き合いに出したからだ。
ハムレットの「to be or not to be, that is the question生きるべきか、生かざるべきか、それが問題だ」というあまりにも有名なフレーズである。
もちろん、これは訳しかたは色々ある。
生きるべきか死ぬべきか、生きるべきか否か、存在するかしないか、などだ。
しかし、ゼレンスキーは、まさにこの一節を、生きるか、それとも否か、と
真正面からとらえた。
ゼレンスキーはこう言った。
シェークスピア劇場カンパニーのディレクターGoldwin氏は、この演説を評して、
「世界で最も深い真実を、シェークスピアを見事に引用して語った稀有な演説」
と大絶賛した。
さて、どうだろう、高校生のキミ、シェークスピアは読んでいるか。
いや、誤解しないでほしい。
「世界のリーダーになるキミは、シェークスピアくらい読んで、スピーチをするときは、気の利いた引用くらいできなきゃだめだ」と言いたいわけじゃないんだ。
常套句を使う難しさ
古今東西の名セリフを引用することは、歴史上の人物が様々な形で行ってきた。
それは、影響力のある人がやるから、様になる、ということがある。
我々のような一般ピープルが、時と場所を考えずにやると、失笑を買うことにもなる。
「陳腐なことを」ということになってしまう。
風と共に去りぬ、の教訓
風と共に去りぬ(原題:Gone with the wind)。
言わずと知れた、アメリカの南北戦争を描いた、映画史上の傑作だ。
僕の知り合いが、アメリカ南部のある州で、あるスピーチをした。
そして最後のしめにこの言葉を使ったんだよ。
「風と共に去りぬGone with the wind」ってね。
僕はその場にいたんだけれど、日本人として「いいじゃない」と思ったんだ。
スピーチの文脈も、「これでお世話になった皆さんともお別れです」というものだったから。
でも、100人の聴衆の反応は微妙だった。拍手は、なかった。
苦笑いをする人もいた。
そうなんだ、陳腐なんだ。
そして、今考えると文化的な配慮も足りなかったのかもしれない。
なにせ、風と共に去りぬ、は南北戦争を描いたものだ。
この戦争はアメリカが二分された、悲しい内戦がテーマである。
奴隷制度も描かれていて、今なお差別的だ、という評もある。
今なお複雑な思いを抱いているアメリカ人は多いはずだ。
それを考えると、うっかり使えなかった、と思う。
”クリシェ”という問題
フランス語で、このシェークスピアなどを引用することをクリシェ(cliché)と言い、これは英語化されている。
辞書でクリシェを引くと、
まさに、このto be or not to beはクリシェなのだ。
しかし、ゼレンスキーが使った、この退屈な常套句は、世界中を新鮮で深い感動に包んだ。
なぜならば、この言葉を使うべき、最高の文脈がロシアによって皮肉にも完全に用意されたからだ。
理不尽極まりない一方的なジェノサイド(大量虐殺)。
これに人間としての誇り、そしてこれまで脈々と繋いできたウクライナの歴史に対する思いを持って、必死に抵抗するウクライナの無辜の民。
まさに、to be の問題であり、not to beの問題である。
これほど切実なまでに、ハムレットのこのセリフを使うのにふさわしい状況はあるまい。
ゼレンスキーは、最後 to be 「私たちは生きる」と言った。
クリシェが生きる歴史的背景
ゼレンスキーのシェークスピアのあの一説の使い方は、まさにTPO(Time時間、Place場所、Opportunity空気)をわきまえたからこそ、当代随一のシェークスピア専門家から絶賛を受けたのだ。
ウクライナ、そしていまウクライナを最も助けている国、ポーランドは、ウクライナ同様他国に侵略され、言葉も文化も奪われた悲惨な過去がある。
だからこそ、to be or not to beは、ウクライナの今を表現するために引用が許されたのである。
クリシェという正攻法で世界をうならせろ
クリシェを使って拍手をもらうのは、相手を感心させるのは難しい。
でもキミはやってみるがいい。
ウケなかったり、恥をかくかもしれない。
でもその試行錯誤は、やってみる価値がある。
キミだけの世界に通じる、世界を変えるクリシェを生み出してくれ。
その時、キミは世界の歴史に残るだろう。
ゼレンスキーが、そうなったように。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。
じゃあ、また明日会おう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー