経済学と経営学の違いとは
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:経済学とは何か。経営学とは何か。経済学と経営学の違い。ノーベル経済学賞がもうけられた経緯。経済学を一部の学者の占有物にしてはならない理由。
よく経済学と経営学の違いは何かって尋ねられるんですが、僕の答えはこうです。
どういうことか。
恐れずに言えば、要するに経済学は、理論を振りかざして偉そうにしているだけの学問。経営学は、実践的な知恵をしぼって庶民と一緒に問題の解決に当たる学問、ということです。
経済学は数字と数学の理論で現象を説明したり、理論を説きます。でも現場で困っている人と一緒に汗をかいたりはしません。
経営学はなにかの問題があった時その原因を解き明かし、実態を解明するだけでなく、現場で困っている人と一緒に問題解決に取り組みます。
「事件は会議室で起きてるんじゃない現場で起きてるんだ」
例えば経営コンサルタント。
彼ら彼女らは理論も持っていますが、現場も重んじます。
問題の原因を現場で見聞きした様々な事実、行間に見つけ、理論に実践を加え、新しい問題解決方法を蓄積していきます。
経済学は崇高な見地に立って需要を喚起せよ、供給を抑えよとは言いますが、数式でがんじがらめなので、融通がききません。数式自体が、固定化されているものだからです。
そこへ行くと、経営学は泥臭く、原因を人間に求めます。
やる気がなかったんじゃないか、管理が悪かったんじゃないか、リーダーが馬鹿だったんじゃないか、チームワークが機能しなかったんじゃないか。
製品の使い勝手が悪かったんじゃないか、プロモーション、市場でのポジションが間違っていたんじゃないか・・。
事象のパーツ、パーツに食い込んで、なにか問題がなかったか調べ、考えます。
まるでそれは車の下に潜り込んで、駆動系のすべてをチェックする自動車修理工のようです。
経済学者は、誇り高いクルマの設計者です。
「理論通りに作ったから間違いなく動く」、と何もしません。
そうです。経営学は経済学みたいに上から目線でなく、庶民の目線でなにかあった時、問題解決を目指し、現場に急行するのです。
こんなことをいうと、わかってもないのに経済学を語るな、と絶対にブーイングが経済学者からくるでしょう。ほらそういうところが、上から目線で貴族なんですよ。なにせ、ノーベル賞ですからね。
でもね、あながち僕が言っていることも、そう的外れではないと思うのです。
ノーベル経済学賞の欺瞞
学習院大学客員研究員 前田裕之先生は、2021年9月17日日経新聞の「やさしい経済学」というコラムで以下のような事実を指摘しています。
それは、ノーベル経済学賞がほんとうの意味でのノーベル賞かどうかは怪しい、というものです。
いわゆるノーベル経済学賞は、社会科学で唯一ノーベル賞に名を連ねています。
それはなぜかと言えば、1968年、スウェーデン国立銀行が設立300年を記念し、ノーベル財団に基金を寄託したからなのです。
「ノーベル経済学賞」の呼び名は定着してはいますが、ノーベル財団の中には「経済学賞はノーベル賞ではなく、記念の賞だ」という声もあるのです。
前田氏によれば、選考委員会が「経済学は科学の名にふさわしい学問である」というイメージを世間に植え付けようと必死になって、経済学と統計学を組み合わせた学問である計量経済学をプッシュしたのです。
そしてマクロの軽量モデルを構築したヤン・ティンバーゲン氏に1869年ノーベル経済学賞が与えられたのです。
鈴木氏はこの日経のコラムにこう書いています。
そういうことなのです。ようするに数学モデルを使えば、自然科学と伍してノーベル賞の格を経済学に与えることができるという、政治的な動きがあったんですよ。
権威付けってことだと思います。
「経済学帝国主義」という言葉があるのは知っていたけれど、経済学の地位を向上させようと企んだ一派が、こうした権威付けで経済学の格を上げ利益を得ようとしていたことは事実です。
僕は経済学は科学ではない、と思っています。いや、科学でないから価値が劣るというのではありません。自然科学とは違うものだと考えるのです。
人間の行動から生まれる現象が経済ですから、それは必ずしも合理的ではありません。なぜならば人間は合理的な存在ではないからです。
コロナ禍でその非合理を我々は散々見てきました。だからこそ、その非合理からなにかを得て、教訓にしないとならないと思うのです。
経済を語ろう
僕は、経済学は経営学みたいに庶民の学問でいいと思うんです。
経済は生き物、不確実性に満ちていて、法則なんてあるようでいて、ない。
そういう認識で変化を観察し、そこに何かを感じる、それだって経済学だと思うんですよ。
なにか世の中に、経済学が権威をまといすぎて、一般人が経済に口を挟むことがはばかられるような空気はないでしょうか。
それではダメです。
コロナで僕らは、僕らの世界は不確実性に満ちていることを、さんざん思い知らされました。だからこそ、新しい視点の、新しい理論が必要なのです。
だから、皆さん、もっと自分だけの経済学を声高らかに主張しようではありませんか。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
ではまたあしたお目にかかりましょう。
清和大学教授
新潟プロレスアドバイザー/新潟プロレスマガジン編集長
野呂一郎