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「みんなの物」は誰の物なのか


こんにちは、のろっこです。


学生の頃、公園を散歩しながら、次のようなことを考えたことがあります。


「ここでポイ捨てしたら周りの人は何と言うだろうか」

「きっと、 "ここでポイ捨てをするな" 、と言うだろう」

「そしたら私はこう言い返そう、 "なぜここでポイ捨てをしてはいけないのか" と」

「 きっとこういう返事が返ってくるだろう、 "公園はみんなの物だから" と」

「みんなの物なら、私の物でもあるのではないだろうか」

「私の物なら、好きに使っても良いのでは」


要するに、「みんなの物」ならば「私の物」でもある。

ゆえに、「ポイ捨てをしようが私の勝手ではないだろうか」と考えたわけです。

しかし、この論理は一般の人には通用しません。

では、どのような論理が成り立っているのだろうかと考えました。

その結果、「みんなの物」の定義について、次の2つが言えると考えました。


 1.みんなの物とは、私以外の全員の物である

 2.みんなの物とは、誰の物でもない


まず1について。

私以外の全員の物であるなら、私はポイ捨て出来ませんね。

それなら仕方ないな、と私も納得するはずです。

しかし、私の物ではないのだから、そもそも立ち入ることが出来ない、ということになります。

しかし、立ち入ることについては現に許容されているのだから、これではまたまた論理が通らないことになります。

したがって、1の定義は却下です。


次、2について。

誰の物でもないのなら、私の物でもないので、ポイ捨て出来ませんね。

仕方ないです、納得です。

お?これなら論理が通りますね。

採用です。

みんなの物とは、誰の物でもない。


ちょっと無理やりな印象を受けますが、取りあえずはこの定義で良いのではないのでしょうか。

暇な時にでも、もうちょっと深堀りして考えてみようと思います。


では、本日もポイ捨てせずに良い一日を。

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