チャペル・ローン、チャーリーXCX、ポップ・ガール・サマー

 先週の英語圏メディアはトランプが、自分のキャンペーンの副大統領候補としてJ. D. ヴァンスを指名したことでもちきりだった。ヴァンスは、ケンタッキー州やオハイオ州の、決して裕福とはいえない白人コミュニティに生まれ育ち、海兵隊を経てイェール大学の法科大学院に進むという半生をつづったHillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis(2016年)という著作のある人で、民主党のリベラルな方針から疎外されていると感じる白人層の気持ちを代弁できる人に見えた。というわけで、私もHillbilly Elegyのオーディオ・ブックをダウンロードして聞き始めたところだったのだが、数日後に、バイデンが大統領選からの撤退を表明し、カマラ・ハリスが新しい民主党の候補として確実視されるようになるとまるで風向きが変わってしまった(ように見える)。
 NYTのエズラ・クラインは、共和党がトランプの野心を達成するための道具になり下がったのに対し、バイデンは個人的な野心より国の利益を優先する姿勢を示して、民主党は政治的政党であることを証明したと、いつになく熱っぽい口調で語った("Are Democrats Right to Unite Around Kamala Harris?" 2024年7月23日)。こうなってくると、トランプが中道寄りの副大統領候補を指名して浮動票の獲得を狙うかわりに、トランプの小さな分身として振舞っているヴァンスを指名したのは大きな失策だったように思えてくる(とはいえ11月の本番まで、何が起こるか分からないのが選挙のおそろしいところではあるけれども)。
 そういうわけで民主党の動きがメディアの注目を独占した7月第4週だったが、そんななかでフィナンシャル・タイムズやエコノミストの紙面に躍り出た意外な名前がチャーリ XCX(Charli XCX)だった。私からすると、チャーリ XCXはソフィーやアルカ、リナ・サワヤマ、クレランス・クラリティといったハイパー・ポップ(定義は難しいが、電子音の使用やMVでのCGグラフィックの多用などが特徴的なポップ音楽のサブジャンルのひとつ)の文脈で記憶されていた名前だったので、かなり驚きだった。
 このようなことが起きた経緯についてはすでに日本語圏にも紹介されているはずだが、一般ユーザーがインスタグラムが投稿した、カマラ・ハリスの映像にチャーリ XCXの楽曲を合わせて、さらに画面を彼女の最新アルバム『brat』のアルバム・ジャケットのスライムを思わせる黄緑色に加工した動画がハリスの選挙陣営に発見され、さらに、チャーリ自身も“Kamala IS brat”とツィートして話題になり、普段ゴシップネタには見向きしない経済紙までもが真面目に取り上げる事態になったというわけだ("Charli XCX, the bard of ‘brat’" 2024年7月27日)。

 前置きが長くなったが、ここで私が話題にしたいのはカマラ・ハリスではなく、チャーリ XCX、そして彼女と並んで言及されるようになっているチャペル・ローン(Chappell Roan)の方だ。
 チャーリ XCXだが、こちらはつべこべ言わずに音源を聞いたほうがいい。『brat』はよくまとったアルバムなので、まずは通しで聞いてみることをおすすめするが、キャッチ―なのはオープニングの “360”。 これはYoutubeに和訳つきのMVが投稿されている。歌詞の分かりにくい部分もコメント欄で解説してくれている親切な人がいるので、それを読むとだいたい分かる。
 ソフィー好きとしては、 “Everything is romantic” や “Girl, so confusing” を気に入っている。いずれもキャッチ―なサウンドとややダークなアイロニーを両立させた楽曲。それから、短い曲ながら忘れられないのが最後から2曲目の “I think about it all the time”、女性のバイオロジカル・「クロック」を主題にしてポップ・ソングを作るというすごいことをしている(楽曲のなかにもカチカチという時計が刻むような音が使われている)。クリストファー・ノーランの『テネット』のサントラを彷彿させるようなひずんだ音を取り入れた "B2b" は2人のあいだにあったことをなかったにしよう、という内容で、『テネット』よろしく時間の逆行をテーマにしているという遊び心に溢れる曲。

 チャペル・ローンについては、2024年5月21日にNPRのTiny desk concertに出演した時のパフォーマンスがとてもよいので、ここから入るのがよいと思う。2020年のロック・ダウンで、ステイホーム仕様になってからは、タイニー・デスクもあまり見なくなってしまっていたので、私にとっては久しぶりの視聴になった。
 本当に今日知ったばかりで、おすすめ曲をあげるのはおこがましいのだけど、Spotifyなどでとりあえず音声だけ聞くなら、開始55秒でソフィア・コッポラの映画を観終わってエンディングでフェニックスの楽曲が流れ出した時の気分になれる “Femininomenon” がおすすめ(インスタ上ではこれを利用したハリス支持者によるクリップも出回っているようだ)。
 YoutubeでMVを観られるのであれば、タイニー・デスクでも歌われていた、”Pink Pony Club” と “California” をおすすめしたい。2曲ともミズーリ州出身でカリフォルニアに移住したレズビアンである彼女自身の経験が色濃く反映されていると思える曲で「ピンク・ポニー・クラブ」はテネシー州に暮らすクィアな少女がハリウッド、カリフォルニア州のゲイ・コミュニティを夢見る気持ちを、母に宛てて吐露するという内容。「カリフォルニア」は実際にカリフォルニアに移住してきたものの、キャリア的にはうだつの上がらない語り手が、ミズーリ州の故郷に帰ることを考え始めるという内容。
 LGBTQ的なテーマを含むすぐれた楽曲といえば、ここ10年程だけでも、Mika、Julian Baker、Arcade Fire、Sophie、Arca、Rina Sawayamaと次々と名前が挙がるが、性的マイノリティとしてのアイデンティティと、故郷という「場所にまつわる紐帯」との緊張関係をここまでストレートな言葉で、美しく、説得的に歌った人はあまりいなかったのではないかと思う。
 
 最後にチャペル・ローンの曲で言及される、テネシーや、ミズーリといった土地が、J. D. ヴァンスが生まれ育ったケンタッキーやオハイオといった土地とも隣接している(もちろん、隣接といっても何しろスケールが大きいわけだが)ことは改めて指摘したおきたい。民主党系のリベラルが、こうした場所の人々の気持ちにどれだけ寄り添えるかに、あまりにも多くのことが関わっている。

《参考》
Culture chat: Chappell Roan, Brat and pop girl summer

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