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ゼノブレイド3超正直クリア感想

※クリア後サブクエスト回収などをし、最終項『これはクロスです』追記。そこまでをメインストーリーの感想、最終項をゲーム自体への感想とします。
※タイトルからこれはがんばリベンジ案件なのか?を削除。クエスト等のプレイを進めその心証が和らいだため。
※3だけでなくシリーズ作品のネタバレも含まれているので未プレイの方要注意。


 2010年代前半、RPGの老舗スクウェアの遺伝子を受け継ぐ新規IPRPGが生まれた。ゼノブレイドとブレイブリーデフォルト。同じ時期を生きたRPG好きならともに触れた方も多いだろう。
 今心に抱いているものが完全にそうだというわけではない。だが、ゼノブレイド3をプレイしている間にふいに浮かんだ言葉は『がんばリベンジ』だった。
 伝わる人にはきっと伝わる。これは評価ではなく印象、言葉そのものでなく概念的な話だが、本題に入る前にこれが私の感想の方針だと綴っておく。

 本稿ではゼノブレイド3について、詳細は書きませんが大いにネタバレを含んだ内容となっています。また、正直という名を冠することから方向性を汲んで心したうえで読んでいただけると幸いです。


シリーズファンです

 まず感想を読んでいただく前に、私がもともとこのシリーズのファンであるということは付しておきたい。初代が発売された数年後に初めて遊び何度もムービーを見返し、クロス発売時に本体とそれ用のHDDを購入し、2のUSBサントラも持っている。

 ネタバレを絶対に回避するためにミュートに怒涛のワードを詰め込み100%ゼノブレイド3を楽しめるように万全の状態。そして果てには、実況用のキャプチャーボードまで買ってしまった。

 人生における初見の感動は一度きり。私も作品のファンとして多くの初見プレイを拝見させてもらい栄養を補給してきた。
 初見時の感動や知らないからこそできる考察・予想などを多くの方と共有したくなり、クリアまでのプレイも撮ってある。問題は、まさかの事態にこの扱いをどうするかであるが。

サムネにしようとした画像

 私は胸を張ってこのシリーズのファンであるといえるし、製作陣には絶大の信頼を置いていた。だが一つ肝に銘じたいのは、自分はブランドのファンではなく作品のファンであるべきだという意識である。

 そのブランドが好きである自分というアイデンティティを維持するために、作品に贔屓し評価をしたくない。タイトル名でなく、中身が好きだからその作品が好きなのだという自信を持っていたい。だからこそ、どれだけ愛しているシリーズでも期待外れであればきちんとその姿勢をとりたいと思う。

本題

映像

瞬  間  移  動

 まずはこれ。なんといってもこれ。
強大な能力というのは作劇上扱いが難しい。ゆえにその能力に上限をつけたり、発動条件があったり、強大な敵は後半まで出てこなかったり、その能力を持っていても心の障害で封印していたりと使われない理由付けがされている。

 1は基本的に物理法則の世界。エーテルという魔法はあるがそれらも結局エネルギーの質量となってぶつかるだけであり、そこには特異な現象、シナリオへの変化を起こすほどの力はない。
 2はブレイドらに固有能力があるが、1と同様にさしたる影響のないものも多い。強大な固有能力を持つものも、メツは過去の大戦での後遺症、シンはラウラの拒絶、ニアは居場所を失う不安と、序盤から出ていてもきちんと理由付けされていて齟齬がない。(もっとも、その特異能力がシナリオ上必要だったかは疑問だが)

だが3はそんな繊細な扱いへの意識が欠片もない。

 執政官は誰もが瞬間移動能力を持ち、碌な制限もない精神干渉能力を操り、ストーリー上で好き勝手に振舞う。その好き勝手が、何よりも脚本の都合だとプレイしている間にも意識させられてしまう。
 言ってしまえば、全員が本気にならず余興を楽しんでいるだけならまだ理屈は通る。そこに物語の面白みはかけても、すべて敵の手のひらの上で踊らされている、お人形ごっこを垂れ流されてるだけだと。
 だが執政官は本気で始末しようとする。そんなときに、そしてそうでないときも、物語なんかそっちのけで頭の中で呆れる。
瞬間移動で後ろから刺せと。
 本当に、どの場面を見ても最初にその言葉が出てしまう。実況動画もこれらが原因で簡単にアップできないものになってしまった。シリーズファンなのでネガティブな感想が都度出てくるものはさすがに心が痛い。

 お約束というのは、描きたいものがある場合に用いられる暗黙の同意だ。そこには作り手の"どうしても"のこだわりがあり、それを最大限に魅せる演出のため、多少の違和感や都合のよさを見過ごすという合意だ。
 だが瞬間移動など、ちょっとかっこいい離脱演出でしかない。そこに描き手のこだわりなど一つもない、使い古された演出を惰性的に使っているだけだ。

 別にその場から立ち去るのであれば描写なんていくらでもある。マントを翻し、主人公たちの顔にカメラをアップし、次のカットではもう立ち去っているのでもいい。歩いて立ち去るのが間抜けなら描写しなければいい話だ。
 瞬間移動が"演出"ならいい。別に映像でそう表現されていようが、あくまで映像作品としての強度を上げるためであり実際の現象とは異なる、比喩的な表現を映像で脚色した、なら構わない。
 だがそれを話の中できちんと能力と定義しているのが手に負えない。安易な、意味のない設定はストーリー全体を崩壊させる。3はそれを無視した。

 手癖で書いたようなシナリオ部分でいえば、ミオのメビウス殴りも失望を禁じえなかった。
 超常的な変身能力を持ったものが、変身せず(生身で吹き飛ばせる根拠なく)強大な敵を拳で吹き飛ばす、これもお約束の一つであろう。
こちらに関してはどうしてもこの構図で書きたいというこだわりがあるかもしれない。私は嫌いな演出の一つだが。

 なぜ物理的に相手を上回らないと、反抗する意思が勝っていないかのような描き方をするのだろうか。抗う意思や信念こそが美しいのであり、それが相手にはへでもない石ころを投げつける行為でも何一つ問題ないのではないか。力は劣っていても心は折れない、それこそが気高いのではないか。
 核心は変わらないのに、それ以降のストーリーにケチをつける演出にする理由が何処にあるのか私には解せない。


冗長な映像

 とにかく、とにかく内容的に同じ描写が繰り返される。映像の長さと話の進展具合が割に合っていない。
1話でノアたちの幼少兵時代が回想された際、やけに戦術的に詳しく描写するなと感じた。それは内容のない長ったらしい映像に対する肯定的な解釈でもあった。だがその時すでに違和感は抱いていた。ゼノは過去を描写する際、現在軸にほぼ関係のない描写にこれほど時間を割くだろうかと。
言い換えれば、こんなに下手だっただろうか。
ここで大事なのは、単に「ムービーが長い」といっているわけではないこと。ムービーの長さは1も2も引けを取らない。
3はとにかく、映像の長さに対して情報量が薄すぎる。特に熱くもない能力バトルにその解説、悪いことやめろやめないの空虚感、対話によるキャラの内心の変化が一向に起こらないもどかしさ。

 執政官が愉悦に浸りながら人を刺すシーンがある。これは執政官の残虐性や主人公たちの無力さを表現するための時間だ。
40秒にわたり4人に、執政官は同じように無言で後ろから刺し、刺された兵は無念を語り倒れる。文にすれば『執政官は兵士の後ろに現れ、愉悦を噛みしめるかのように刺すのを繰り返した』という一文で済むものだ。この程度の情報に果たして40秒もかける必要はあるのだろうか?
描写の差異もなく、情報量が増えるわけでもないのだ。殺し方にこだわりがあるのでもなく、刺された兵にキャラクター性の違いがあるわけでもない。

 牢屋の中で己の無力さに打ちひしがれるシーンがある。相手は絶望を味わわせたいという一心で敗北と喪失感を煽る。
 これも同じだ。それ以前の戦いから内容的には同じものが繰り返される。力の差を明かし絶望させたいの一点張り。それに反抗するだけの戦闘描写が長々と映される。相手は議論するつもりもない空問答。どちらかの思考が進展するわけもなく新たな情報が提示されることもない。暖簾に袖押し。

 あとはストーリー性のない戦闘映像が多すぎる。ゼノブレイドが評価されているのはただかっこいい動きをしているだけの殺陣ではなく、そこで繰り広げられる哲学的な問答や感情の発露も含めてだと考えている。
 個人的に、問答もなくただ戦ってる様を移すだけの映像の長さは、2の7話プネウマ覚醒後のシンとの剣戟が許される限度だと思う。

 とにかく映像が洗練されていない、尺稼ぎのように感じるものが多かった。序盤で展開されるなら一向にかまわないが、クライマックスに向けて盛り上がりを見せなければいけない時期にも本題に関係ない描写が多すぎて退屈感を味わわされた。

 ゼノブレイドは意思の物語なんじゃないかと思う。
 テーマがあり、哲学があり、問答があり、作品として示す答えがあった。
本作にはそれをあまり感じなかった。説得力をあまり感じなかったという表現に訂正します。

 

見返したいムービーが、ない

 これが私の3に対する最も端的な評価であり、その事実に気付いた時に私自身強くショックを受けた。
こんなこと発売前には一切危惧していなかった。
 私がゼノブレイドで最も時間を使ったのは、クロスでの武器掘りを除けばムービーを何度も見返し考察したり感傷に浸ることだった。最初は特に琴線に触れなかったが今ではマクナとガラハドでの敵との対峙シーンが大好きだし、セリフを暗唱できるほど繰り返したムービーも多い。

 機神界頭頂部のザンザ、監獄塔のディクソン、ゲトリクス神託跡地のレックス、ゲートオブゼブルのシン・マルベーニ、そしてメツ…。
 いろいろ言われるクロスも、エンディングのリンちゃんの語りがすごく好きなのです。クロスは新たな惑星で生き始めた新人類たちの話。人々の内に生きる覚悟と前向きな気持ちを代弁するようで。

話の緩急、ピーク

 物語全体での構成を見たときに、話の緩急のつけ方・ピーク部分の持っていき方が悪い。特に『それ数十時間前に消化できたでしょ』という話が多い。
 キャラクターへの理解を深めるために掘られるエピソード、パーソナルな葛藤と解決は序盤にあるべきだ。理解と愛着を得られたキャラクターが、話が進むにつれ壮大であったり難化する問題に対して、過去の教訓を活かしたり成長した結果をみせることにこそカタルシスが生まれる。

 最終話を控え説得力を持っていないキャラクターに、急ごしらえで理由を持たせるようなその場しのぎ感を抱かせる。1年スパンのアニメで20話までにやるべき話を30台後半でされても、本筋のピークを邪魔するノイズになりかねない。
 また、無駄に引っ張るところもある。キャラを延命させるのであればさせる意義を、倒せないフラストレーションを貯めるならば報酬として新たな情報の提示を。でなければフェアでない。


作風

語彙


 高橋総監督の表現力は本当に素晴らしい。One last youを筆頭に彼の作詞だからこそ至極の名曲になっているのだといえるし、そんなセンスがゼノブレイドという作品全体に出ているからこそ魅力的なのだ。複雑な感情を、キャラクターの心根の温かさを感じられるような綺麗な比喩や言葉選びで表現する。とにかく豊かでうまいのだ。

 だが、今作はそこに違和感を覚える。あの堪能な語彙の監督とは思いづらい、単調なワードの繰り返しやシンプルな言葉選びが目立つ。
 モナドは意思の力、命の輝き、光である。高橋総監督は作中で色々な言いかえをした。だが3は、『想い』という言葉の一本調子である。そこに作中の具体的行為なども上手く結びついておらず、半音外れているような印象を受ける。
 この作風の違和感はデジャブである。そのデジャブは、2の奇数話と偶数話の間にある作風のズレと同じだ。


観念的目標と具体的事例

 1の物語の最終目標は、『因果を手中に収め絶対的な支配を敷く神を斬り、未来の選択を一人一人が決められるようになること』である。
 2は最初の目標『伝承にある沈まない大地を見つけ、滅びゆく大地から人々を移住させる』と、敵サイドの表向きの主張:人は過去から未来、どこでもやがて滅ぼし合うから今滅ぶべきに対する回答『確かに酷い世界だが、人もブレイドも想いを繋いでいける。だから、それでも、前に進む』がある。

 観念的テーマはそれぞれ『未来を自分たちで決める』、『想いを繋ぐ』だが、それらに伴った具体的な作中目標、行為としての答えが存在する。
1は支配者の神を斬ることで。2は説得を試みることで。

 では3のテーマはと言うと、想い・命の尊びと享受あたりだろう。だが3には、それらに伴った具体的な行動目標がないように思える。テーマは示すのだが、敵の思想も、脅威も、目標もそれらと密接につながっていない。目の前に提示された理想的な世界の像を羨み目指すが、それと想いを繋ぐことの尊さの関連性を説くシーンがない。
 旧作と比べふわふわと、漠然とした理想を語っているようでいまいち身が入らないのだ。


無償の愛とエゴ

 ゼノブレイドは『愛ゆえに』という物語でもあったと思う。慈悲深く聡明なエギルだから復讐に狂ったし、ラウラの想いと存在をこの世に残すためにシンは死ぬことも望めない亡霊のような存在となった。ラオもまた、人生の目的であった家族を失いながら種を存続させることが正しかったのか、無念と後悔の中にあった。

 これは愛だ。愛には種類がある。幸福を願い施す愛と、幸福になりたい、何かを得たいという愛。
 前者は無償の愛、後者はエゴといえる。ゼノブレイドは今まで、主に前者の『無償の愛』の物語だった。

 だが今作は、後者の愛に焦点を当てた物語だったと思う。これは作風の話であり、それが作品として未熟だというわけではない。ただ今までずっと前者の愛に感動し、それが理由でシリーズを追ってきた身としては肩透かし感があった。


対比関係、キャラの配置

 同じような内容を繰り返すと語ったが、それはキャラ配置も同じ。複数のキャラに分ける意義を感じない。

 複数のキャラを登場させるならキャラ同士の因縁をつけたり、彼らに違う趣向や哲学を持たせたりできる。異なる体験をしながら同じ組織として敵にいる理由を、共通の人間性と別々の過去によって表現すれば物語の深みも増すはずだ。そこでの共通項こそ敵サイドのテーマともいえるのだから。だがやっていることも発言も同じなのだ。これでは…。

クロスとのデジャブ


命を背負って≒ The key we've lost事件

 完全に油断していた。過去にも似たようなことがあったが、まさか繰り返されるなど思いもしなかった。
 ゼノブレイドクロスの謹製ホームページが公開された際、いくつかのBGMも発表された。そこにあった一つがボーカル曲The key we've lostである。
劣勢感のある緊迫したロックから始まり、動揺、溜め、憂いなど様々なストーリー性が見えるAメロ、覚悟を決めるため心で反芻するようなラップのあと流れる、サビの勇ましい女声ボーカル。自分は聴いた時思った。これが新しい敵との対峙かと。
 だが実際にはいくら進めても流れず、物語の終わりにこれがラスボスBGMなのだと知った。
 クロスは一度作品を作り直した。物語も全く別のものに変わった。今でも時々勘繰る。作り直しをする前はこれが正真正銘敵との対峙枠だったのではないかと。

 そして命を背負って。
 唖然とするほど使われない。そして、限られた使用シーンはなんとも煮え切らない。
 敵との対峙枠はストーリーの分岐路やドラマチックな展開、感情の爆発時ととにかく話の中で非常に重要なシーンで用いられるし、そういう場面での使用こそ人気を買っている。2のcounterattackが使われているシーンで最も好きなのは?と問いかけたら3話、5話、7話といった話の転換点があがるだろうが、9話を最も好きだという人はいないだろう。

 そう、命を背負っては2の9話のような使われ方しかしない。
 敵との対峙枠はキャラクターがかっこよく動いているときに流れるから人気なのではない。そのドラマチックなストーリーを大きく盛り上げる情緒的なパワーに惹かれているのだ。
 別に敵との対峙枠でないと言い切るつもりはない。ただ使われ方、頻度が明らかに違っている。劣っているといってもいい。同じスタッフが作ったとは思えないほどに。

これ、一旦物語作り直してませんか?

 ゼノブレイド3の発売が2022年7月末。前作のゼノブレイド2が2017年12月頭であり約5年弱かかった。
 一方、ゼノブレイドの発売が2010年の6月。その次作であるゼノブレイドクロスが2015年の4月末であり、こちらも5年ほどかかっている。ちなみにクロスから2までの間は2年8か月である。

 …似ていないだろうか?
 ゼノブレイドクロスはもともとは初代と同じ路線だったが、オンライン要素を重視し物語を再構築。主人公はアバターとなり、かつて主要キャラであったであろう黒騎士やらニール=ネールやらの没資料は設定資料集アートオブミラにこれでもかと掲載されている。

 ゼノブレイドクロスはネジが外れたようなボリュームの密度をしているので、作り直しを抜きにしてもかなり製作年数を要したのはわかる。また2から3の間にも黄金の国イーラであったり、DEやその追加エピソードがあったのを鑑みると、そこまでの期間3の製作に注力できたわけでもないのは明らかだ。

 だが、だがである。クロスと同じような道中を経ていたと考えると、これまでの違和感に妙な納得を覚える。後半持て余したようなキャラやプレイ時間のかさましのようなイベントも合点がいく。あのキャラもあのキャラも、扱いがリーズ&ダガンぐらいの薄さだなと今思う。


シナリオも総監督してるのかの疑念

 ここまで度々触れてきたが、今作にはとにかく『これまでと同じ陣容で作られたものなのか』という疑いを抱いてしまう。語彙、曲使用のシチュエーション、ムービーの洗練具合、作風。
 上で『2の偶数話のような違和感』という表現をした。2は奇数話と偶数話で担当が分かれているのは公式にもある通り。今作はまるで、2偶数話の方がシナリオの全体監修を担当したのではないかという感覚を覚える。
 総監督はシナリオに関しては原案ぐらい、主に他のゲーム部分に注力していたとすれば、私の違和感は幾分か腹に落ちる。

『開発者に訊きました』を見て

 私が完全初見プレイのため情報を遮断してたのは前述の通り。なのでこの記事を書く際、クロスらの社長が訊くを確認する過程で3にも訊くシリーズが出ていたのを知り目を通させてもらった。
 結果的にはこの前の項に書いたようなものではなく、監督が新たな切り口を模索したためだと理解した。モノリスのプロデューサーがそれを受け取った際、既存のファンに受け入れられるか不安を抱いたのも含めて。
 それは上でも触れたように作風の違い、肌に合うか合わないかだと思う。
そして率直に言えば私には合わなかった。おそらく私以外にも。

 だが、作風で済まない部分も多いと思う。
 映像はやはり構成等に粗を感じるし、人間の気高さでなくより混濁した感情をフィーチャーした物語でも、もっとカタルシスを生む話にはできたのではないか。
 つまり、プレイヤーを何十時間と付き添わせるほどのうまい話づくりができなかった、ということかもしれない。

これが私のゼノブレイド3への思い。
次回は、行く当てのなくなった、プレイ中に予測し見事に外れたこのゲームのテーマ性・展開を供養する。


追記最終項 これはクロスです

 クリア後サブクエスト回収などゲーム部分を遊んでいたが、そこでの感想を経て一つの解釈に至ったので追記させていただく。

 ゼノブレイド3はゼノブレイドクロスのようだ。つまり、メインストーリーでなくサブ/ヒーロークエストやゲームプレイの面に味が出ている作品。

 メインストーリー部分に不満はある。書いてあるところも意見は変わらない。だがそれはあくまでメインストーリー部分であり、作品全体に対する評価であるように映るのはフェアじゃないと思い追記させてもらった。追記以前に読んだ方は申し訳ない。

 まず語彙という項。これはサブクエスト内で監督本来の味を感じられた。

 メインストーリー部分の不満が主に演出面であるように、キャラクターへの不満は別にない。主人公サイドには好感を持っている。
そしてサブクエストやヒーロークエストに出てくるキャラクターも同様。いいキャラ立ちをしていて個性的、魅力にあふれていると思う。
これはやはり、ゼノブレイドは善性や愛が根底にある/過去を持っている/強い行動理念や動機があるキャラクターを作る方が得意だということだと思う。

 本作のメインに出てくる敵の多くはいわゆる純粋悪や、不安といった根源的概念、それらに盲目的で会話ができないキャラなど、歴史を持っていなかったり単純な欲求が動機の者たちばかりだ。
 だからこそ監督はそれを新たな切り口とし、プロデューサーは不安を覚えた。

 一方サブ/ヒーロークエストは登場人物がアイオニオンの住人、つまり人なので、そこにはその人格が形成された歴史があったり行動理念があったりする。そう、従来的なゼノブレイドのストーリー構築である。
 だからサブやヒーロークエストを遊ぶうちにああここは求めてたゼノブレイドだなと安堵したし、そこでの言葉の表現にはらしさが見受けられた。

 なので本作にゼノブレイドを求めていた私にはメインよりサブの方が満足度が高かったし、そういう意味でクロスらしいといえる。(もっともクロスは"新人類"が主人公といえ、人々が新たな生活をすることがメインストーリー、そのなかでライフをめぐる話が大きなサブシナリオという見方もできるが)

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