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夏の出来事2つ

久しぶりの更新になります。
今年の夏は暑すぎなのはもう言わずともご承知でしょう。

まず一つ目のお題。

(1)マリノアシティ福岡の閉鎖

福岡のランドマーク、マリノアシティが閉鎖すると。
この場所は個人的に思い入れのある場所で、
福岡から離れてからも数回、訪れた記憶があります。

2つの観覧車があり、これがランドマークになっていました。
夏の夜にこれに乗って、眺めた福岡の夜景は今でも記憶に残っています。

いっしょに行ける人ができたら、ぜひまた訪れたいと思っていたのですが、
その思いもかなわず、老朽化で閉鎖と。

仕方ないのですよね。
住居以外の建物の寿命というのは大体20年前後のようで、
老朽化・陳腐化して客足が減ってしまうもののようです。

数年前の香椎花園も同じような感じでした。

いわゆる昭和から平成にかけての時代のものは徐々に壊されてきています。

福岡から離れて15年。
もう徐々に思い出せる部分も少なくなってきました。

そして今いる場所での記憶の量が上回っているのも事実。

(2) 陰鬱な夏の日々と、夏祭りの時期

これは今がそうであるということではないのですが、
ふと思い出したので書き残しておきます。

夏は憂鬱になることが減る、という内容のことを以前書きました。

この憂鬱にならない、というのは活動性が高まるということと
表裏一体で、活動性が高まらないと憂鬱になるわけです。

夏祭り、旅行、BBQ、友達と遊びに行く、などなど。
この活動は対人関係が活発でない場合は全く参加できないもの。
「誰かと一緒に何かをする」成分が多いからですね。

正直、働き出して、音楽をactiveに楽しむようになる前は
夏は嫌な季節でした。

高校の時は宿題に悩まされ、またあの嫌な高校に行かないといけないと
思うと夏の毎日が暗い。

夏祭りも嫌い、友人もいない、なにも楽しいことのない期間。
地元での夏祭りはただうるさい、人がわんさか集まってくる、
そんなネガティブなものでした。

こんな気持ちでいる人たちが、このニューストピックにあてはまります。

大学に入って、夏になると一人暮らしの下宿は対人関係が減る。
いじめられることもなくなり、大学は嫌な場所じゃなくなったけど、
対人関係の紡ぎ方を知らずに成長した自分にとって、
夏休みは孤独が深まる季節でした。

実家に帰る飛行機・列車に乗る前に本屋によって
大量に本を買い込み(30冊ぐらい)
それをずっと読んでいた記憶があります。
1日1冊の計算なのかな。2万円くらい使ったか。
実家の近くには本屋がなく、まだネットもない時代。

情報源は本だけ。

ある意味、今よりも時間がゆっくり流れていた気がします。
今になっても、その夏休みの頃の大学の同級生が
どうやって過ごしていたのか、聞きもしなかったし、
興味もなかったのでしょう、記憶にないし、謎です。

80年代終わりのことで、
暑中見舞いを送りあう習慣が残っていました。

今はSNSでぜーんぶわかってしまうので、最初に書いた
「夏祭り、旅行、BBQ、友達と遊びに行く、などなど」
がもろばれで、ここに乗れないと
自分の孤独さが際立つ構図になっているのではないでしょうか。

自分も音楽をやるようになって、夏祭りに参加していると、
まわりから羨ましがられるようになりました。

いや、そんな大層なことじゃないのに、
30年前はこんなに(↑)悲惨だったのだけど、という思いは、
ずーっと持っています。

今でもですね、夏のセミが鳴きまくる音を聞くと、
あの本を読んでばかりいた若いころを思い出す瞬間がふとあります。

割と年を取ってから、夏祭りに参加しはじめてわかったこと。
一緒に夏祭りに参加している子供、
高校生くらいまで・・・と接していると、
ほんの少しばかりの積極性があり、
一緒にやろうよと言ってくれる関係性があれば、
「夏の思い出」ができて、それがずっと歳をとっても財産になる。

最後は自分が参加しているものではないのですが、
夏祭りの代表例として、阿波踊りを。

踊っているときって、やっているほうも、踊っているほうも、
見ている人も、嫌なことって考えてないように推測するのですが、
どうでしょうか。

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