自己責任論がはびこったわけ

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未来の普通:自己責任論が急速にしぼむ

では、少子化が進む中、今後自己責任論がしぼむ予想を書きましたが、逆になぜここまで日本に自己責任論がはびこったのでしょう。

あまり手を広げても手に余るので、たとえば教育ではどうだったか。

私の両親が育った時代はまだ受験戦争の時代ではありません。父親は雪国から京大に入りました。少なくとも父親が住んでいたところには、まだ受験テクニックが跋扈しているような時代ではなく、父親はひたすら勉強して正面突破したことでしょう。

私はその次の時代に育っています。小学生頃の分厚いマンガ「コロコロ」では「五菱鉛筆」を持つ「轟一番」君が活躍する受験マンガが人気でした。高校の頃は予備校を舞台にした「冬物語」なんてマンガが人気でした。

私が10歳の頃にはいわゆる受験産業が幅を利かせている時代になっていたのです。

この時代になれば、親が金をつぎ込み、それをこなした子供が「いい大学」に入って、その後いい人生を送れるわけで、いわゆる「インテリ層」の形成を強力に推進したことでしょう。

この時代、このレールには乗るためには国や自治体のサポートに期待はできず、両親たちはそれこそ爪に火を灯しながら子供の塾代を捻出したことでしょうし、子は塾で必死に勉強したことでしょう。

逆に言えば、それを通った人から見れば、それをしないのならば、いい大学に入れなくても文句言うなよと、考えるのは自然なこと。

だから自己責任論が優勢になりました。

それはこれからだってそうなんじゃないかと感じるかもしれません。

でも違います。

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