2030年のヒストリアンとビジョナリスト(第1章 )
本書は、「変わらない日本」の本質を理解し、改革への道筋を明らかにすることを目的に書かれました。
「ヒストリアンとビジョナリスト」という視点で、日本で何が起こっているのかを解析することで、改革のスタート地点にたどり着けます。
それでは、「ヒストリアンとビジョナリスト」とは、何か、説明をしましょう。
以下のWEBにも記事を投稿しています。
この記事は、1)の投稿を編集したものです。
1)computer_philosopher’s diary
https://computer-philosopher.hatenablog.com/
2)Novel Days
https://novel.daysneo.com/author/Blue_Swan/
第1章 ビジョンとは何か
1.1 問題の所在
(「変わらない日本」問題の本質は、ビジョナリストの不在です)
現在の日本の解決すべき問題には、次のようなものがあります
1.経済成長の停滞と賃金の伸び悩み
2.少子化と高齢化
3.男女不平等問題(賃金、役員比率)
4.科学技術振興とDX対応
最初に断っておきますが、筆者は、これらの課題の専門家ではありません。これらの課題には、問題点が指摘されてから、時間が経過しているにもかかわらず、解決が進まないという共通点があります。俗に、「変わらない日本」と呼ばれる症状です。専門家の指摘は、恐らく、正しいと思います。では、どうして「変わらない」のでしょうか。
これが、「2030年のヒストリアンとビジョナリスト」のメインテーマです。
日本では、今まで、30年間、働き方を変えると所得が下がってしまう状態が続いてきました。
一方、米国を中心とした資本主義の世界では、データサイエンス革命が進行して、パラダイムシフト(デジタル・シフト)が起こり、働き方が劇的に変化しました。
データサイエンス革命は、自然科学や工学だけでなく、社会科学と人文科学にも、パラダイムシフト(デジタル・シフト)を引き起こしました。
デジタル・シフトは、劇的な労働生産性の向上をもたらし、高度人材の給与を引きあげました。
デジタル・シフトの中心は、ソフトウェアで、ソフトウェアを作るには、ビジョンが必要です。
デジタル・シフトが経済の中心になった米国では、価値は、ビジョナリストが生み出します。その典型は、テスラの株価にみることができます。
労働生産性の視点でみれば、世の中には、ビジョナリストとヒストリアンの2種類の人間しかいません。
ビジョナリストは、データサイエンス革命(デジタル・シフト)というパンドラの箱が開いてから、増加した新しいタイプの労働者ですが、米国では、古くからいたヒストリアンを給与面で、駆逐してしまいました。
これに対して、日本では、未だ、ヒストリアンが、主流で、ビジョナリストは、マイノリティか、絶滅危惧種です。
米国では、グーグルのようなトップクラスのIT企業では、新卒社員に2000万円前後の報酬を支払っていますし、一般的な企業においても、大卒新入社員の年収が600万円を超えます。日本の新卒の年収は、240万円程度です。
この差は、春闘での賃上げレベルで埋めることはできません。
筆者は、ここで、「ヒストリアン対ビジョナリスト」という視点で、何が起こっているのかを解析することで、「変わらない日本」の本質を理解し、改革への道筋が明らかになると主張します。(注1)
「ヒストリアン対ビジョナリスト」の視点に立てば、このままでは日本が変わる可能性が、ほぼゼロである理由が理解できるはずです。
本書の目指すところは、ヒストリアンの認知のベールを剥ぎ取ることです。
この認知のベールは、年功型雇用という働き方と密接に関係しています。
ビジョナリスト対ヒストリアンの概念は、雇用形態、企業組織に関連した実務的な概念です。
ビジョンの概念は、ソフトウェアエンジニアであれば、誰でも、実感していると思います。ソフトウェアはビジョンがないと開発できないので、ソフトウェアエンジニアは、ビジョンを描かない手法を想像することができません。DXも、ソフトウェアを使うので、ビジョンがないと出来ないはずですが、ビジョンなしに、DXを進めようとして失敗する人が後を絶ちません。
筆者は、本書で、新しい概念を提示したとは思っていません。あまりに、当たり前で、気づかれなくなっているビジョナリスト対ヒストリアンという構図が、蔓延していることに、気づいてもらうこと、それが、本書の狙いです。
本書は、「変わらない日本」を変えるためのスタート地点につく方法を考察します。
本書は次の構成になっています。
第1章 ビジョンとは何か
ヒストリアンは、ヒストリーから過去の事例から、使える部分(都合の良い部分)を集めてきて、将来計画を立てます。
ビジョナリストは、ヒストリーを分解して、再構築して、ビジョンを作ります。
ビジョナリストの概念は、理論的な厳密さよりも、実際の問題点を抽出して、分析する上での実用性を重視して作られています。
ここでは、例に基づいて、ビジョンとは何かについて、説明します。
第2章 ビジョナリストの理論
ヒストリアンの推論である帰納法のどこに問題があるかを指摘します。
推論のフレームワークの概念の重要性を指摘します。
推論のフレームワークに従って、ビジョナリストの推論であるアブダクションの概念を説明します。
第3章 ヒストリアンを超えて
「変わらない日本」になった原因は、過去に、変わるチャンスを見逃したからです。過去は、道を誤ったヒストリーなので、正しい道との分岐点を探して、ヒストリーの再構築をすることが出発点です。間違ったと思われるところを探して、改善することに抵抗がある人もいます。しかし、本当に苦しいのは、考えられる対策を全て行なっても改善が見られない時です。
ここでは、ヒストリアンが、蔓延しているケース・スタディを示します。
筆者は、個別のケースを非難している訳ではありません。個別のケースに、改善の余地があるということは、そこに手を付ければ、「変わらない日本」から、抜け出すことも可能です。その意味で、この章は、個別のケースを抱える分野へのラブコールになっています。
この章を読むと、読者は、ヒストリアン問題が、認知レベルに達した根深いものであることを理解できます。
この章は、「変わらない日本」から、「変わる日本」への出発点です。
本書のタイトルは、「2030年のヒストリアンとビジョナリスト」です。
ここで、「2030年」の補足をしておきます。
日本が変わるためには、後で論じますが、教育と雇用が変わる必要があります。
教育カリキュラムが変わっても、新しいカリキュラムで学習した人が、労働市場に参入するまでには、タイムラグがあります。仮に、今年、新カリキュラムになっても、新カリキュラムの卒業生が、就職するまでには、10年程度のタイムラグは、避けられません。
「変わらない日本」になって30年ですが、このタイムラグを考えると、次の10年も依然として変わらない確率が高いことがわかります。
2020年の日本の一人当たりGDPは、4万ドルで、24位です。
2010年の日本の一人当たりGDPは、4万5千ドルで、18位です。
タイムラグを考えると、2030年の日本の一人当たりGDPは、3万5千ドルで、30位まで下がるでしょう。
その先も、「変わらない日本」のままでいた場合には、経済のクラッシュがおこります。2030年には、世界の経済が、ビジョン中心のサービス経済に転換を完了(デジタル・シフトの完了)しているからです。2030年には、日本経済は、変わっているか、クラッシュしているかの2つの状態しかないと考えます。もはや、経済が、過去30年のように、徐々に低下していく可能性は低いのです。
2030年は、ターニングポイントになると考えます。これが、タイトルに2030年を入れた意味です。
注1:
この手法の最も簡単な利用法は、ニュースの記事を、ヒストリーとビジョンにマーカーペンで色分けしてみる方法(ビジョンのマーカーペン)です。
ビジョンのマークの少ない記事は、将来の変化に関係しないので、読むに値しません。
1.2 デジタル・シフトとエジソンのビジョン
(ビジョンとヒストリーの基本的性質を考えます)
ビジョンとヒストリーをイメージしやすいように、具体例をイメージしてみます。
1)エプソンの白熱電球
ここでは、エプソンが、白熱電球を発明する場合を考えます。
白熱電球ができる前は、街灯には、アーク灯が使われていました。
課題は、適切な街灯を設置することです。
ヒストリアンは、街灯の設置事例(ヒストリー)を集めます。
そしてヒストリーの中から、解決方法を探します。
ビジョナリスト(ここで、エジソン)は、新しい街灯のために、新しい電球を作ります。
もちろん、この時点では、電球は存在せず、電球のビジョンだけが存在します。
エジソンは、多くの素材をテストして、フィラメントの材料として京都の竹炭にたどり着きます。
つまり、素材単位で考えれば、この時のビジョンの成功確率は1%以下です。
多くの場合、ビジョンの成功確率は10%以下です。
しかし、失敗を恐れずに、ビジョンを実現するための努力を惜しまないことが、ビジョンが実現するための前提条件になります。
なお、ヒストリアンは、後だし仮説が好きです。
ヒストリアンの中には、したり顔で、「電球が実現すると思っていた」とか、「炭が有望だと思っていた」などといいます。
ヒストリアン、特に、高齢のヒストリアンは、自分の経験に価値があると誇示したいのです。
しかし、技術革新が進む世界では、経験に価値があるのは、最大でも過去10年分くらいです。
エジソンは失敗という経験の上で、何がフィラメントの素材に適しているかというビジョンを修正しながら、材料の探索をしています。実験を始めてからの失敗の経験(ヒストリー)には、価値がありますが、ガス灯時代の古い経験に価値はありません。
これから次のようなヒストリアンの性質がわかります。
(1)ヒストリアンは、失敗を許容しません。
(2)ヒストリアンは、古くから行われている方法(ヒストリー)に価値があると思っています。高齢のヒストリアンは、自分の経験(ヒストリー)に価値があると思っています。しかし、電球の例でみるように、技術革新が起こる場合には、ヒストリーに価値があるという主張を支持するエビデンスはありません。
(3)ヒストリアンは改良が好きですが、ヒストリーのない技術革新(ここでは電球)はきらいです。
2)DXのビジョン
企業が、DXを進める場合を考えます。
最初に注意しておきますが、家電量販店で、パソコンを買ってくるようなイメージではDXは成功しません。DXは、コンピュータとネットワークを企業組織に組み込む方法です。
これは、人間のサイボーグをイメージすればよいと思います。人間の体の一部をコンピュータと機械に置き換えれば、スーパーマンの体力を得ることができます。パラリンピックの記録をみれば、この主張は現実的です。
性能の良いサイボーグになるには、オーダーメードスーツ以上に、体に合わせた部品を組み込まなくてはなりません。下手に部品を組み込むと、性能が落ち、最悪の場合には、生命のリスクがあります。サイボーグの部品を体に組み込んだ後で、リハビリやトレーニングも必要です。
企業のジョブの情報のストリームのメイン部分に、DXを組み込めば、大きく生産性があがります。(全体DX)
一方、枝葉末節の部分にDXを導入しても、さほど生産性はあがりません。(部分DX)
全体DXは、成功すれば、劇的な労働生産性の向上が見込まれます。しかし、ジョブの情報のストリームを変えるためには、新しいビジョンの構築(業務の大改革)が必要です。また、失敗した場合には、致命傷になることもあります。致命傷にならないように、システム移行は、十分な準備が必要です。この時、ビジョンを段階的に実現していく方法が採られることもあります。
部分DXは、失敗しても、損害は、部分に止まります。また、現在の仕事の情報のストリームを変えないので、ビジョンは不要です。ヒストリアンの経営者がイメージしているDXはこちらと思われますが、残念ながら、生産性の向上効果は限定的です。
ここまで読んで、お気づきの方もいると思いますが、ビジョン中心の全体DXの典型例はアマゾンです。ネットワークを使った小売りという新しいビジョンを作って、その実現に必要な要素を開発整備してきています。楽天もアマゾンに似ていますが、アマゾンは、自身で小売りをしていること、ネット小売りを展開するために必要なクラウドサービスを行っている点が異なり、ネット小売りのビジョンには、大きな差があります。
3)デジタル・シフト
ビジョンが、劇的な労働生産性の向上に寄与する状態がデジタル・シフトです。
デジタル・シフト以前には、労働生産性の向上は、ヒストリアンの手法によらざるを得ませんでした。ヒストリアンの手法で、よく知られている方法は、トヨタ自動車のカイゼンです。
2022/04/03の東洋経済に、野口 悠紀雄氏が、2021会計年度の売上高に対する粗利益の比率の推定値を算出していますが、アマゾンは14%、トヨタ自動車は17.8%、テスラは25%、韓国のサムスン電子は40.5%、アップルは42%、台湾の半導体製造会社TSMCは51.6%、グーグルは57%、NVIDEAは65%、マイクロソフトは69%、メタは80.8%になっています。
アマゾンは、利益を先行投資にまわしています。アマゾンは、一般労働者を多く含む従業員数が桁違いに多いため、粗利益の比率はかなり小さくなります。テスラは工場を立ち上げ中で、過渡的な値です。
この2つを除くと、デジタル・シストをした企業の粗利益の比率は大きく、カイゼンでは太刀打ちできません。
デジタル・シフトが始まる前には、労働生産性の向上は、ヒストリアンの手法によらざるを得ませんでしたので、ビジョナリストは、冷遇されていました。しかし、日本以外では、ビジョナリストがヒストリアンを駆逐しています。米国のIT大手の経営者が起業した時の年齢をみれば、高齢者のヒストリアンには、価値がないことがわかります。
4)低賃金とDX
2022/04/01のNewsweekで、加谷珪一氏は、日本の賃金が上がらない原因は、DXの遅れにあると分析しています。以下に、要約を示します。
日本企業の低賃金の原因は売上高の拡大と、価格の引き上げが、2つともできないことです。
1980年代から1990年代前半にかけて、日本におけるIT投資の金額(ソフトウエアとハードウエアの総額)は、先進諸外国と同じペースで増加していました。しかし、1995年以降、日本だけがIT投資を減らしています。
1990年代に、日本メーカーは全世界的に進んだデジタル化とグローバル化の流れ(デジタル・シフト)についていけず、競争力を大きく低下させました。日本の製造業の売上高は伸びず、単価が下がり、収益力が低下し、賃金が伸び悩みました。
上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善します。同時に、あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導すべきです。一連の改革を実施し企業が自律的に成長できるフェーズに入れば、企業が生み出す付加価値が増えて賃金も上昇していくでしょう。最大の問題はこの改革をやり抜く覚悟が日本社会にあるのかどうかです。
ここでは、全体DXであるデジタル・シフトが議論されています。
加谷珪一氏が、「改革をやり抜く覚悟」と言う内容を、筆者は、ビジョンの問題と理解しています。デジタル・シフトのための全体DX改革は、ハイリスクで、なおかつ直ぐに結果が出るわけではありません。
加谷珪一氏が、「あらゆる企業がITを導入」と言っているのは、筆者には、ビジョンベースで物事を進めることを指していると思います。
政府が、あらゆる企業に介入することはできません。あらゆる企業を動かすには、政府が、ビジョンを提示するしか方法がありません。
その典型は、温暖化対策に見ることができます。温暖化対策では、個々の企業は趣旨に賛同して、対策を自ら作り上げます。
デジタル・シフトも同じで、政府の行うべきは、DXのビジョン作りと官公庁のDXの推進です。
ヒストリアン好みの部分DXに対する補助金は、デジタル・シフトの障害にしかなりません。(注1)
温暖化対策の例を見れば、DXのガイドラインを作って、評価スコアが悪い(DXが遅れている=賃金を上げるつもりがない)企業の税率を段階的に上げる方が、対象が網羅的で、効果が期待できます。(注2)
「改革をやり抜く覚悟」は、このようなビジョンに基づく政策を指し、デジタル・シフト以前の仕事の仕方を続けたいヒストリアンの追放を意味すると考えます。それは、本書のメインテーマでもあります。
デジタル・シフトは、第2のエジソンを必要としています。
5)DXとITベンダー
2022/04/03の東洋経済で野口 悠紀雄氏は、アメリカの賃金を牽引しているのは、アメリカIT企業であると言います。IT企業の業績が著しく好調で、高い給料を支払わなければ、優秀なエンジニアを獲得できないことが給与を引き上げているといいます。
実は、日本のITベンダー(IT企業とは言えないので、あえて別の名称を使います)は、「高い給料を支払って、優秀なエンジニアを獲得」できていません。優秀なエンジニアの高い給与を、野口 悠紀雄氏は、「新卒者でまったく経験がなくても、日本のトップ企業を超える給与」といっています。
世界には、優秀なエンジニアのジョブマーケットがありますので、日本のITベンダーでも、「高い給料を支払って、(外国人の)優秀なエンジニアを獲得」することは、可能ですが、ITベンダーで、それを行っているところはありません。(注3)
このことは、DXのために、IT技術者の採用枠を拡大しても効果がないことを意味しています。
DXが遅れている企業が、ITベンダーにアドバイスを求めることも多いと思われますが、実績を見る限り、ITベンダーは、IT企業とは言えません。日本のITベンダーは、世界のIT企業のランキングの外にあり、国際競争力はありません。
この問題の根源には、ビジョンの問題があると考えています。(1.29参照)
注1:
デジタル庁は、部分DXなので、労働生産性の向上効果は、限定的になります。
注2:
官僚の業績評価は、予算か、定員の獲得です。官僚が、ビジョンを出さないのは、ビジョンが業績になって、給与が増えないためです。成果主義は、評価をアウトカムで行うと勘違いしている人も多いです。ヒストリアンは、アウトカム(ヒストリー)で、業績評価ができると考えますが、これは、間違っています。ビジョンが実現するまでのタイムラグは、10年近くあります。これは、アマゾンやテスラの立ち上げをみればわかります。その間、売り上げの利益というアウトカムは出ませんが、株価は上昇して、企業は評価されています。
アウトカムが未達のビジョンの評価が出来ないことは、デジタル・シフトを阻害する大きな要因です。
注3:
例外的に、外国人の優秀な人材の獲得を日本国内で行っている例に、ウーブン・プラネット・ホールディングスがあります。このタイプの企業はゼロではありませんが、極め少数で、多くの企業は、日本人の新卒の採用を続けています。
引用文献
アメリカ巨大IT企業の給料がケタ違いに高い理由 2022/04/03 東洋経済 野口 悠紀雄
https://toyokeizai.net/articles/-/541418
日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶 2022/04/01 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2022/04/post-180.php
1.3 ヒストリーとビジョンの例
(ヒストリーとビジョンの区別が、どうして重要かを例をあげて説明します)
2022/03/08の日経新聞の新聞の一面に、「日本女性の賃金が、男性の74%」にしかならないことが出ています。この格差は、先進国の中では、韓国に次ぐワースト2です。男女賃金格差の大きい国ほど労働生産性が低くなる傾向があります。つまり、男女間の賃金格差は、経済成長の阻害要因なので、是正すべきであるというのが、記事の趣旨です。
男女間の賃金格差があるということは、過去のヒストリーです。解消するためには、ビジョンを描く必要があります。つまり、記事の価値は、どれだけ実現可能なビジョンを描けたかにあります。
男女間格差に、選挙権があります。今では、忘れられているかもしれませんが、女性の選挙権(投票権と被選挙権)は、戦後になって、成立しています。簡単に言えば、国内で、自発的に、女性の選挙権が成立したのではなく、GHQによってもたらされています。
戦前、女性には、選挙権がありませんでした。ヒストリアンは、今まで、女性には、選挙権がなかったのだから、女性に選挙権が無くて当然であるというロジックを展開します。現在は、選挙権がありますので、このロジックは、論外と思われるかもしれません。
しかし、選挙権を男女間の賃金格差に置き換えれば、今まで、男女間賃金格差があったのだから、格差があって当然であるというロジックは同じ論理構造です。
ヒストリアンの、このロジックは、広く見られます。
女性天皇については、アンケートによると、国民の過半数は、賛成です。これは、選挙権と同じで、男女間格差を設ける理由はないという考え方です。これに対して、識者と呼ばれるヒストリアンが、女性天皇に反対します。そこで、女性天皇と女系天皇は違うといった時間稼ぎの議論を展開します。選挙権には、投票権と被選挙権の2種類がありますが、基本思想は男女平等ですから、細かな区別には各段の意味はありません。
女性天皇も天皇の継承に、男女格差をなくすことが基本です。細かな区別には、各段の意味はありません。
女性天皇を認めるか否かは、見解の違いですから、どちらが絶対正しいとは言えないかもしれません。
しかし、説明は、ビジョンに基づく必要があります。
女性天皇を認めない場合には、そのことによって、どれだけ国民が幸せになれるか、もしくは、その逆を説明する必要があります。
説明に、ヒストリアンの「今まで、〇〇があったのだから、〇〇があって当然であるというロジック」を使うことは、受け入れられません。もしも、このロジックが正しいとすれば、女性の参政権を認めたことは、間違いだったことになります。仮に、識者がそのような意見を持っているとすれば、基本的人権や憲法に反対していることになります。
ヒストリーとビジョンの理論的な検討は、第2章から、始めます。
ここで示したように、問題解決には、ヒストリーとビジョンの区別が重要です。
1.4 ビジョンを論ずること
(ビジョンには、正解はありませんが、検討を深めることで、より良いビジョンに改善することができます。しかし、それには、膨大な時間がかかります。検討時間に耐えることがビジョンを作るために、必須の条件です。しかし、日本国内では、この条件は軽視され、ほとんど、達成されていません)
最近の例を取り上げます。
2022年2月末に、ロシア軍の侵攻を受けたウクライナ政府が日本政府に対し、対戦車砲など殺傷能力がある防衛装備の提供を求めました。
日本政府は防衛装備品である防弾チョッキを戦闘が続く国に提供する異例の決定を行ったが、弾薬を含む「武器」に関しては無償提供する法的根拠がないことなどから支援を見送りました。
国会では、防弾チョッキが取り上げられ、共産党が反対しました。
ここでは2つの点でヒストリアンが生きています。
1)弾薬を含む「武器」に関しては無償提供する法的根拠がない
2)日本政府はウクライナに提供する装備品を事前に決めてから国会にはかる
2)は、今までの国会の討議の仕方ですが、この方法では、国会はビジョンを検討する場ではなくなります。国会討論より、昼のワイドショーのコメンテーターの話の方が、まだましになってしまいます。ウクライナに提供する装備品の選定は、1)無償提供する法的根拠に基づいていますので、ヒストリアンの立場です。
しかし、今回のウクライナ戦争によって、核兵器の持ち込みができるようにすべきとか、憲法改正をして、自衛隊を軍隊と明記すべきであるといった議論が起こっています。
これらの意思決定は、将来の戦争に対するビジョンに基づいて行われるべきです。
「ウクライナ政府に対戦車砲を送る」べきか否かは、核兵器を持ち込むべきか否かよりはるかに軽いテーマです。そう考えると、筆者は、結果がどうなるかにかかわらず、「ウクライナ政府に対戦車砲を送る」べきか否かを国会で議論すべきだった、ビジョン作成の練習をしておくべきだったと考えます。議論をしても統一見解が得られることはないと思いますが、少なくとも大きな問題点はどこにあるのかという共通認識が得られます。
短期的に正解を求める、法律や歴史を振り返れば、そこに、正解があるという思い込みは、典型的なヒストリアンのロジックです。
国会答弁を見ていればわかりますが、答弁の90%は、「それは、法律に書いてありません。法律に従うとこうなります」という説明に終始しています。国会は、立法府ですから、法律を作るべきか、変更すべきかを議論する場です。
ビジョンを作って法律を変えて行かないと、「変わらない日本」から抜け出せません。
ウクライナ戦争をうけて、欧米は、従来の安全保障ビジョンの見直しに着手しています。
ドイツは、ウクライナへの援助をヘルメットから、対戦車ミサイルに切り替えました。
日本の国会答弁を見ていると、ビジョンの議論がないので、日本だけが取り残されるのではないかと、不安になります。
引用文献
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb6b8dcab23aaa557aa3e9b47ac0ff977c1330f
装備品提供、ウクライナ支援に制約 法制度に課題 2022/03/08 産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/adb748f56f518d3927e8a8c2d929b0a991e640bf
1.5 ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説
(ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説では、ヒストリアンは、ビジョナリストにはなれないと考えます)
ここまでは、検討内容をヒストリーとビジョンに分けました。「最近の世界の変化の幅が増大しつつあります。過去のヒストリーは、部分的にも繰り返されなくなっています。そのためヒストリーに価値はなくなり、価値があるのは、ビジョンになっている」と論じてきました。
しかし、そのことは、人間をビジョナリストとヒストリアンに分ける理由にはなりません。ビジョンに価値があれば、ヒストリアンは、誰でも、自分が、ビジョナリストになれると思うはずです。
バラク・オバマ流に言えば、「Yes, we can (be visionalists )」と言えます。
しかし、「変わらない日本」が、30年続いている訳ですから、何か、出来ない(we cannot)訳があるはずです。
筆者は、その最大の理由は、「ヒストリアンはビジョナリストにはなれない」ことにあると考えます。この仮説を、ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説(HV分離仮説)と呼ぶことにします。
HV分離仮説が正しければ、「変わらない日本」は、ヒストリアン中心の年功型雇用と老齢のCEOが生み出していると考えられます。
これは、非常に問題のある仮説です。
一般には、「企業の経営が傾いたときに、ヒストリアンの経験豊富なCEOが、努力すれば、企業の再生ビジョンを作ることができる」と考えられています。
しかし、HV分離仮説が正しければ、CEOがヒストリアンである限りは、再生ビジョンは、努力しても出来ないことになります。
企業が再生するためには、CEOの首を、ヒストリアンから、ビジョナリストに変えなければダメだということになります。
年功序列で、CEOの待ち行列に並んでいる人の9割はヒストリアンですので、通常の選手交代に、効果はありません。
こうした努力をしても、ダメだという発言は、反発をうけると思います。
「こうした努力をしても、ダメ」であると考える理由は、ヒストリアンがビジョナリストに絶対になれない訳ではないが、そのハードルは異常に高いということです。
例えば、陸上の長距離ランナーと短距離ランナーの違いのようなものです。この2種類のランナーは、走る時に使う筋肉の質が違います。切り替えるには、ゼロから、筋トレをしなおす必要があります。また、遺伝的な素質も違います。更に、加齢とともに、新しく筋肉を鍛えなおすことは困難になります。
似たような条件があてはまれば、60代のヒストリアンのCEOに、努力して、ビジョナリストになって、ビジョンを作ってもらうことは困難です。
HV分離仮説は、陸上のランナーのように、ヒストリアンとビジョナリストでは、使用する脳の部位が違うことを前提にしています。
HV分離仮説を支持するエビデンスがあるのでしょうか。
筆者は、認知科学は、HV分離仮説を支持していると考えます。
次回は、その説明する前に、準備として、カーネマンの二重過程理論を考察します。
1.6 カーネマンの二重過程理論
(カーネマンの二重過程理論を考察します)
カーネマンは、「ファストアンドスロー」で、思考形態をシステム1とシステム2に分ける二重過程理論(Dual process theory)を提示しています。人間の脳の思考を、処理が速い「システム1」と、処理の遅い「システム2」の2つのモードに分けています。
思考形態を2分類する理論は、カーネマン以前にも、多数あります。
カーネマンの2つのシステムの理解にもいろいろな解釈があり、解釈は混乱しています。
筆者は、次の様に解釈しています。
(1)システム2は、時間とエネルギーを膨大に消費します。このため、全ての思考を、システム2で処理することは不可能です。
(2)狩猟生活をしていた時代の人類は、判断の遅れは食料の獲得を逃すので、速い判断ができるシステム1を中心に進化してきたと考えられます。
(3)システム1の中心は、過去の手順を繰り返すヒューリスティックです。過去の経験を、焼きうつして行動します。狩猟の場合には、ヒューリスティックの採用の正否は、獲物の量で短時間に判定でき、フィードバックしてヒューリスティックに基づく意思決定が修正されます。農業生産でも、農事暦のようにヒューリスティックが採用されますが、タイムラグが大きいため、最終的な収量の変動原因がわからず、フィードバックによるヒューリスティックの修正は、困難になります。現在のビジネス組織でも、OJTのようなヒューリスティックが採用されていますが、意思決定をフィードバックして修正するのは、更に困難になり、同じ間違いが繰り返されることも稀ではありません。
(4)システム1とシステム2の双方のスイッチがONの状態では、システム1が優先的に使われ、システム2は作動しません。システム2は、システム1のスイッチをOFFにしないと作動しません。
この中で問題は、(4)です。
二重過程理論を、1桁+1桁の足し算は、システム1,2桁x2桁の掛け算は、システム2のように説明してある例も多いです。この説明では、システム1とシステム2の双方のスイッチがONの状態で、1桁+1桁の足し算は、システム1、2桁x2桁の掛け算は、システム2に、自動的に割り振られることになります。
つまり、課題の難易度を基準に、課題は、システム1とシステム2に適切に割り振られると考える説明です。この説明で良ければ、 (4)を考える必要はありません。
しかし、自動的な割り振りが機能しないので、(4)を考えるべき場面も多いと思います。
1)囲碁
囲碁には、定石があります。定石は、昔から伝えられてきた部分的に正しい打ち方のことです。初心者は、まず、定石を覚えて使います。定石は、ヒューリスティックに従い、システム1を使う方法です。
上級者(有段者、高段者)になると手の意味をしっかり考えて定石ではない手も打ちます。
これは、システム2に相当します。
まとめると、
入門者:システム1(定石)
上級者:システム2
となります。
上級者が、着手の意味をしっかり考えた結果の手が、定石になることもありますが、これは、システム2を使っています。
2)試験勉強
3日後に、期末試験がある場合、数学で、問題の意味を理解して、納得するまで勉強することは不可能です。その方法では、タイムアウトになって、試験の準備が完了しません。
こうした場合には、公式を暗記して、問題が出た時に、どれかの公式に当てはめて、解答を作ります。
つまり、時間のかかるシステム2を諦めて、システム1で、試験対策を行います。
3)まとめ
以上のように、本来は、システム2で対応すべき問題を、時間と労力を節約して、システム1で対応することが多く行われます。
囲碁では、初心者を卒業した段階で、定石のシステム1を封鎖して、システム2を使うようにしないと、上達しません。
数学も、システム1に頼っていると理解が進みません。試験では、カンニングが問題になることがありますが、それは試験で、システム1を評価するからです。試験で、システム2を評価するのであれば、カンニングは発生しません。これは、辞書も、公式集も、電卓も持ち込みできる試験になります。
システム1で、ヒューリスティックにより過去の手順を繰り返す方法では、正否が直ぐにわからない場合には、手順は修正されません。
定石は、部分的に正しい打ち方にすぎませんが、初心者は、定石の間違いを修正できません。 上級者になって、システム2を使うようになって初めて、定石から抜け出せます。
ヒューリスティックは、ヒストリーに基づきます。
つまり、
システム1=>ヒューリスティックで処理が速い=>ヒストリー=>ヒストリアン
の対応があります。
ここで、システム2の思考処理は、ヒストリーから、独立しているので、結果をビジョンと呼ぶことにします。
そうすると、
システム2=>処理が遅い=>ビジョン=>ビジョナリスト
の対応が考えられます。
これは、囲碁の上級者を考えれば納得できます。上級者は、可能性のある手を数手先まで予測して、その手の中から、ベストと思われる手を抽出します。これは、時間とエネルギーを消耗するシステム2そのものです。
ビジョンは、上級者にならないと作ることが難しそうです。
囲碁に見るように上級者になるには、トレーニングが必要です。
次回は、この辺りの検討を進めます。
引用文献
カーネマン ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 早川(2014)
1.7 システム2のトレーニング
(システム2を使えるようにするトレーニング方法を考察します)
ある問題の解決方法を考える時、システム1とシステム2の関係が問題です。
1)学習レベルの問題
初心者:
システム1を使います。学ぶはまねぶ(真似をする)が語源という説もあります。
過去に成功したヒストリーを引用して、一部修正します。
ヒューリスティックな思考法が中心です。
上級者:
システム2を使います。ただし、上級者といえども、時間を短く制限すれば、システム1を使わざるをえません。これは、囲碁や将棋を考えればわかります。
まとめ:
システム2を使うためには、次の条件が必要です。
「利用者は、上級者で、システム1を封印して、システム2を使うのに十分な時間がとれる」
ここで、システム2を使うには、十分な時間を条件にしていますが、この他に、注意や意識を集中できることも必須です。痛み、恐怖などのストレスがあると、システム2は作動しません。
2)学習の課題
学習の課題とは、「システム1を使う初心者を、システム2を使う上級者にレベルアップする方法」のことです。
システム2の思考には、正解はありませんので、実戦を積むしか方法はありません。囲碁や将棋の対戦のように、議論やディベートで、システム2を使うことが必要です。
アルファ碁は、自分自身のシステムの中で対戦をして、強くなりました。上級者でレベルが上がれば、自分自身がつくった複数のビジョンを対戦させて、レベルアップをはかることも可能です。しかし、この方法は、初心者には無理でしょう。
日本の教育では、システム1の座学が中心で、講義を、聞くだけのスタイルが多くあります。
この方法であれば、国語力や読解力があれば、講義を聞く必要はありません。
英語力があれば、アメリカの大学の著名な講師の講義も動画で見ることができます。
よいテキストや動画教材があれば、システム1の学習は、自習で十分です。
モチベーションを高めるためには、進捗度評価のテストがあった方が良いですが、これも、IT教材で十分です。
システム1の学習において、大教室での座学は、時間とお金の無駄です。
アメリカの授業では、質疑応答や、議論が中心です。
講義を行わないで、講義は動画を見て済ませ、質疑応答を中心に進める逆授業も行われています。
まとめると、アメリカの授業は、システム2のトレーニングを目指している場合が多いですが、日本の授業は、システム1のトレーニングに止まっています。
もちろん、誰もが、囲碁の上級者になれないように、教育によって誰もが、システム2を使いこなせるようにはなれません。しかし、少なくとも、高等教育においては、システム2を使えるようにすることを目標にすべきだと考えます。あるいは、習熟可能なレベルによって、カリキュラムを分岐させるべきかもしれません。
日本の教育が、システム1に偏重してきた結果、学生によっては、システム2のトレーニングは教育ではないと考えています。教育とは、学校にいって、講義室に座って講義を聞くことであると考えている学生も多くいます。システム1に偏重したこの方法は、非効率で、資源の無駄使いなので、カリキュラムを再構築すべきでしょう。
ただし、再構築には、IT素材をふんだんに組み込むことになりますので、今までの教育界で実績があったヒストリアンの手に余ることになります。この問題は、複雑なので、ここでは、これ以上論じませんが、10年後の日本経済は、現在の教育の反映ですから、既に、改革の適期は過ぎています。現在の日本経済の落ち込みの主要因の一つに、カリキュラム改革の遅れがあることは確かだと考えます。
最後に、繰り返しますが、今までの教育界で実績があったヒストリアンは、カリキュラム改革ができません。専門家の再定義が必要です。
1.8 HV分離仮説と二重過程理論
(HV分離仮説と二重過程理論の関係を整理します)
検討が錯綜してきたので、ここで、一旦、整理をしておきます。
なお、以下の対応は便宜的なもので、このように考えると理解と応用がしやすいという実用性を重視しています。厳密に言えば、ずれがあります。
表1 HV分離仮説と二重過程理論の関係
仮説の種類 二重過程理論 HV分離仮説 習熟レベル HV分離仮説の主体
速い処理 システム1 ヒストリー 初心者 ヒストリアン
遅い処理 システム2 ビジョン 上級者 ビジョナリスト
ヒストリアンとビジョナリストを区別すべき理由は、システム1とシステム2の区別をすべき理由に由来します。
足し算をシステム1で行い、掛け算をシステム2で行う場合、システム2の利用には困難を伴いません。
囲碁の上級者がシステム2を使って、定石にない手を考えるような場合、システム2の使用には、時間がかかるので、持ち時間があります。持ち時間は、ゲームの制約として設けられたもので、より多くの時間があれば、より深く、システム2が使えます。
囲碁の初級者は、一旦覚えた定石を脇において、手を考えなおすところから始めないと、システム2が使えるようにはなりません。これはトレーニングが必要で、ハードルは非常に高くなります。
問題解決に、ビジョンが必要な場合は、問題が簡単には解けないような複雑な場合です。
このような場合に、システム2を使って、ビジョンを作るには、トレーニングをうけて養成された上級者が、時間をかけて検討できることが条件になります。
2020年1月頃から、新型コロナウイルスの感染が拡大しました。感染の初期には、問題解決の検討に必要な時間がとれませんので、システム2を使ったビジョン作成ができず、システム1に頼ることはやむを得ない面があります。
しかし、感染拡大から、6か月を越えてくれば、検討時間は、十分にとれます。それにもかかわらず、ビジョンのある対策が出来ないのであれば、検討方法に問題があったと考えられます。簡単に言えば、システム1の緊急対策から、システム2の抜本対策への切り替えに失敗したと推測されます。
新型コロナウイルスの感染拡大は、最近では、前例のない状態です。
感染拡大対策は、感染拡大が先に広まった中国、アメリカ、欧州などで、行われています。これらの先行事例(ヒストリー)を活用するのがヒストリアンの手法です。海外と我が国では、前提条件が異なりますので、ヒストリアンのシステム1を使った手法では、早晩行き詰ります。行き詰ってから考える(検討する)という手順では、十分な検討時間がとれませんので、システム2はつかえず、闇雲にシステム1を繰り返し使うことになります。システム2を使うためには、感染が一旦下火になって、時間的な余裕がある時に、抜本対策のビジョンをつくる手順が必要になります。しかし、2年たっても、保健所が、ファックスを使っているように、ビジョンのある対策(システム2の活用)は、失敗しています。
ここには、システム1からシステム2への切り替えの失敗という失敗のパターンがみられます。
次に、この問題を考えてみます。
なお、カーネマンは、システム1とシステム2は、問題をわかりやすく説明するための概念であって、実体ではないといっていますが、最近の脳科学では、脳の思考パターンは4タイプに分かれ、そのうちの1番目と2番目に、多く出現するパターンは、カーネマンのシステム1とシステム2に対応することが分っています。つまり、二重過程理論は、脳の実体に対応していると考えられます。
引用文献
カーネマン ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 早川(2014)
虫明 元 学ぶ脳 岩波科学ライブラリー272 (2018)
1.9 システム2のディストレーニング
(前例主義の組織では、システム2を学習させないディストレーニングが行われます)
問題が発生して、ともかく、早急に答えを出す必要がある場合には、脳は、ヒューリスティックをつかったシステム1に、頼るしか方法がありません。
しかし、システム1は、部分的にしか正しくないか、全く的外れで、システム1を使わないで、ランダムに決めた方法と大差がないこともあります。
システム1を使った意思決定の有効性の判定には、エビデンスをとって、予測結果と比較して、フィードバックをかける必要があります。
1)政府公開データの課題
2022/03/20の日経新聞の第1面には、「政府公開データ開店休業」というタイトルで、データ公開が進んでいないことが述べられています。
公開されているデータの、PDFの画像データで、コード化されていない場合も多いです。
新聞が問題視しているのはデータの非公開ですが、問題点は、より根が深いところにあります。
(1)非公開データには、エラーがあって、99%は、そのままでは利用できません。データは、デジタル化され、クロスチェックをかけることで、エラーが減ります。手書きのデータは、イメージデータとしてPDF化されていても、全く使えません。データを使えないということは、政策を評価して、修正するフィードバックが働いていないか、その必要が感じられていないということです。
(2)より大きな問題は、公開、非公開の前に、必要なデータが収集分析されていない点にあります。
例えば、水産業では、漁獲量の減少が常に問題になります。しかし、データは、漁獲量だけで、漁獲努力量や資源量のデータはありません。釣り堀の漁獲量は、釣竿の本数に依存するように、一般に、次の関係があります。
漁獲量 = 漁獲努力量 X 資源量
ここで、漁獲努力量と資源量がわかれば、資源保全に必要なレベルの漁獲努力量を推定できます。
漁獲努力量は計測できますが、資源量は、直接計測できないので、推定する必要があります。この2つのデータが、非公開で存在する可能性も否定できませんが、実際には、一部の例外を除いて、計測または、推測されていない可能性の方が高いと思われます。
漁業政策の評価をするのであれば、この2つは必須のデータです。
これは、水産行政が特殊なのではなく、政策評価に使えるデータが計測され、公開されているかに注目すれば、他の部署でも、類似の事例は多数見つかります。
アメリカでは、1993年に、政府業績評価法(GPRA)が成立して、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)が進められています。事業は、3年連続で、計画が未達の場合には、予算が削減されます。
一方、日本では、エビデンスデータが、取得されていない状態で、政策(事業)評価をするという不思議な状態になってしまいました。中央官庁は、事業評価のガイドラインをつくり、国の事業や、県の補助事業では、このガイドラインが使われます。エビデンスデータがないので、本当の事業評価はできないのですが、それでは通らないので、アンケートが多用されています。しかし、お金をばら撒いて、アンケートをすれば、よほどのことがない限り、事業は有効であったという答えが得られます。
2)前例主義の問題点
前書きが長くなりましたが、ここで、本題に戻ります。
政策(事業)には、間違いがないという無謬主義が使われているといわれています。
しかし、無謬の主張はナンセンスだと思われます。
この説明は、建築基準法に従って、建築された建物であるから、無謬であると同じロジックです。
家を購入する場合に、建築基準法に適合していることはもちろんですが、それだけではなく、デザインの良い、住みやすそうな家が選ばれます。なおかつ、過去のデザインの焼きなおしではなく、それなりの改良が加えられていないと売れません。
つまり、過去に実績のある設計というヒストリーだけでは、買い手は付かず、それに、新しいビジョンを付け加えないと売れません。
ところが、無謬主義も度が過ぎると、過去の優良事例(ヒストリー)のコピーに終始してしまいます。
なお、ヒストリーにも変動があります。自動車のデザインは、丸くなるか、角を強調するしかないので、周期的にこの2つの間を変動するといわれています。無謬主義でも、この程度の過去の事例の変動は採用されますが、それを越えた進歩や改善を目指すビジョンは出てきません。
過去の事例のコピーが、進歩や改善を目指すビジョンより良いとはいえませんが、事例のコピーであれば、不具合が生じても責任を問われることはないと考えられています。
これは、論理的には、全く根拠のない主張ですが、無謬主義とは、そのようなものです。
ここに大きな問題が生じます。
問題解決を図るには、システム2の能力を高める必要があります。それには、時としては、システム1を封印して、時間をかけてシステム2を使う必要があります。
しかし、実際に起こっていることは、真逆の世界です。
無謬主義では、前例のないシステム2の提案は、排除されます。また、そもそも、問題を放置して、お尻に火がついてから、解決方法を探すことも多くあります。この場合には、上級者がいても、時間不足で、システム2が使えません。
つまり、本来であれば、問題解決ができるように、システム2のトレーニングをすべきステージで、システム2を封印するディストレーニングが、行われています。
こうして、システム2を全く使えない人材が組織内に養成されています。
システム2が使えない人材は、全てをシステム1でこなすことしかできません。
この人材は、新しい問題については、誰かが、解決方法を提案して、解決方法の1つが、ヒストリーになった時点で、それをコピーして使うことは出来ますが、独自に、率先して、新しい解決方法を作りだすことは出来ません。
この条件が当てはまる事例は、あまりに多いです。独自に、率先して、新しい解決方法を作り出している例は、ほとんど見かけなくなりました。
新しい事業展開が出来ない企業の問題の原因が、もしも、ディストレーニングによる脳の障害に由来するのであれば、解決は、脳トレから行う必要があります。しかし、長期間ディストレーニングを受けてきた年寄りには、脳トレの効果は期待できないでしょう。
ディストレーニングが、脳レベルで、企業組織を壊しているという仮説(ディストレーニング仮説)は、あまりに、恐ろしい仮説です。しかし、この仮説を基に、現在起こっていることを分析すると、納得できる事例が非常に多いことも事実です。
3)補論1
ディストレーニングという名前のついたトレーニングはありません。
官僚組織の場合、無謬主義で、知的作業は、ヒストリアンの手法に限定されます。
次の2つが主な知的作業です。
(1)過去の施策や事業が効果があったというエビデンス集めをする。これは、因果モデルではないので、アンケートの評判がよい、類似の施策や事業が先進地区で行われているといったデータ収集です。
(2)先進地区での成功事例の収集をする。これは、優良事例集として、類似の事業を行う場合に、活用する。海外の優良事例を集めて、国内版にリフォームする方法も使われます。
これらの作業では、過去の施策や事業に問題があったというデータは検索対象外になります。
また、因果モデルで、原因を特定することは行われません。
この2つの手法は、ヒストリアンの手法で、なおかつ、都合の悪いデータは検索しないというバイアスがかかっています。
この2つの手法は、予算と定員を最大化することを目的としています。
この作業を繰り返しても、1.1であげた問題の解決には結びつきません。
このような知的作業は、問題解決や、そのためのビジョンの作成とは無縁です。
そこで、これを、ディストレーニングと呼べると考えます。
ディストレーニングの結果を見るのであれば、白書を見れば良いと思います。
白書は、ヒストリーのかたまりで、ビジョンはありません。ビジョンと書かれていても、それは、ビジョンもどきです。(1.24参照)
4)補論2
アメリカでは、MBAの卒業生が、10年くらいでCEOになります。日本では、企業経営や、経済学、組織論などの知識がない人が、30年くらいかけてCEOになります。
政治の世界でも、首相や大統領の年齢が、40代である国は多くあります。政治家は、MBAのような専門分野の学歴を必要としませんが、トップになるまでに必要な時間が初当選から、10年程度のケースは多くあります。
こうしたエビデンスは、組織のトップは、経験を30年も積んだ高齢者であるというルールには、合理性がないことを示しています。
企業では、業績を上げることで、トップの選抜にフィードバックがかかります。
政治では、政策の効果が出て、選挙に当選することで、政党のトップの選抜にフィードバックがかかります。
こうしたフィードバックがかかれば、組織のトップは高齢者だけになることはありません。簡単にいえば、高齢者になれば、自動的に能力が上がる訳ではないので、年齢で、組織のトップが決まるというルールは、能力を無視しています。高齢者でも、優秀でトップの務まる人はいますので、高齢者を排除すべきではありませんが、若い人を排除するのは、論外です。
組織の意思決定に最終的な責任を持つのは、トップです。トップが、実績をフィードバックして、合理的に決まらない組織は、傾きます。
「変わらない日本」は、日本のトップの選抜の歴史です。
日本では、フィードバックが効いた合理的な選抜が行われない原因があるはずです。
この原因の排除が、「変わらない日本」からの脱却のスタート地点です。
本種は、フィードバックを阻害する原因は、ヒストリアンにあると考えます。
そして、ヒストリアンが、排除されない原因が、ディストレーニングにあると考えます。
1.10 日本人の給与はどうしてあがらないのか
(日本人の給与があがらない原因は、高度人材を活用できる組織がないことと、ジョブマーケットの不在にあります)
日本の社会には、ヒストリアンが蔓延しています。組織の幹部は、年寄りばかりで、昔ながらの仕事のやり方を熟知しているヒストリアンばかりです。
2022/03/13の現代ビジネスに、野口 悠紀雄氏が書いているように、アメリカでは、MBAを取得すれば、初任給は年5000万円をこえる場合も多くあります。30代または、40代のCEOも多くいます。
日本では、ヒストリアン、かつ年寄りでなければ、高い給与はもらえません。
ここまでは、賃金格差のヒストリーです。
次に、ヒストリーの再構築を考えてみます。(1.11参照)
仮に、MBAを取得した、初任給が年5000万円の人材が、就職に応募してきたと仮定します。
アメリカの企業がこの人材に、年5000万円払うのは、この人材は、5000万円以上(恐らく2億円以上)稼いでくれるからです。このような高度人材が活躍すれば、企業の業績がよくなることは間違いありません。
ところが、日本には、高度人材を雇用できる企業がほとんどありません。
2021/11/04のBlooombergによると、ソフトバンクGのビジョン・ファンドの給与は、主に年功序列によって利益が分配される仕組みで、社員の基本給は、中堅クラスで約50万ドル、経験ある社員だと70万ドル以上で、パートナーともなれば数百万ドルの幅で決められます。一方、ベンチャー・キャピタルの場合、利益の20%をパートナーに分配することが多く、その場合、報酬額は1人で数千万ドルにもなります。ビジョン・ファンドでは、20%ではなく、総額1億-1億5000万ドル(約114億-171億円)が約70人に分配される可能性もありますが、これではトップクラスのベンチャー・キャピタルには遠く及ばず、幹部の離反がとまりません。2020年3月以降、7人のマネージング・パートナーが退社し、唯一のシニア・マネージング・パートナーであるディープ・ニシャール氏も2021年には、去っています。
ビジョン・ファンドにして、この状態ですから、初任給が年5000万円の人材を活用できるような企業は、日本国内には、ほぼないと考えられます。
2022/03/20の東洋経済で、野口 悠紀雄氏は、次のように説明しています。
アメリカではジョブマーケットでの需給によって1人ひとりの賃金が決まるのに対して、日本にはそれに対応したマーケットがない。賃金は企業ごとにまとめて、労使の交渉で決められる。
アメリカでジョブマーケットがあるのは、従業員の企業間移動が頻繁に行われるからだ。日本にそれがないのは、多くの従業員が1つの企業に固定されていて、移動することがまれだからだ。
日本のジョブマーケットは、ハローワークのレベルと、専門家のヘッドハンティングなどに限られる。
つまり、日本では高度人材は宝の持ち腐れになります。努力しても給与は上がりません。そもそも努力とは、労働生産性をあげる新しいビジョンのことですから、ヒストリアンからは、評価されません。現状を変えるのがいやな上司からは、ビジョンは煙たがられるのが関の山です。
ジョブマーケットが無ければ、新しいノウハウを身に着ける努力は無駄です。過去に使われた手法をコピーして繰り返すことが、評価されます。
従業員の企業間移動を想定していないので、仕事の内容は文書化されておらず、現場での仕事を見て、覚えるしか方法がありません。これでは、DXは不可能です。
多くの従業員が1つの企業に固定されていて、移動できないのは、奴隷制度に似ています。奴隷になれば、自由はなくなりますが、食べる心配をする必要はありません。給与は安いが、失業しないこと、他の企業に移動できないという状況は、奴隷制度と似た構造です。この状態では、技術革新は進みません。
こうして技術革新から取り残され、労働生産性があがらず、低賃金が維持されます。
引用文献
米国ビジネススクールのMBA取得者の初任給は年5000万円!2022/03/13 現代ビジネス 野口 悠紀雄
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93267
日本人の給料がアメリカに引き離され続ける理由 2022/03/20 東洋経済 野口 悠紀雄
https://toyokeizai.net/articles/-/535335
ソフトバンクG孫社長を悩ます報酬問題、不満でビジョンFの人材流出 2021/11/04 Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-11-04/R20WL0DWRGG001
1.11 ジョブ型雇用はなぜ難しいか
(ジョブ型雇用は、ビジョナリストの世界で、ヒストリアンの手には負えないことを説明します)
年功型雇用は、先輩の仕事ぶりをOJT(On the job training)で学ぶヒストリアンの世界です。事業の継続性は確保されますが、技術革新は進みません。もっとも、ヒストリアンの年功序列が確立したのは、1980年代で、それまでは、技術も事業もありませんでしたので、海外から学ぶか、試行錯誤を繰り返していました。1980年代になって、日本の企業がある程度成功すると守りの意識が強くなり、ヒストリアンが幅を利かせます。
今世紀に入って、技術進歩に取り残されるようになって、ジョブ型雇用や成果主義の導入が図られます。
そのとき、「採点をして、点数を給与に反映する」のが成果主義であるという誤った認識が広まっています。
成果主義では、各自が、1年間に達成する目標を設定して、その達成度に対して評価がなされます。しかし、この方法では、達成目標を低くすれば、評価が上がるので、訳がわからなくなります。
こうした誤解が生じるのは、成果主義は、ジョブマーケットとジョブ型雇用の一部であることを無視しているためです。
筆者は、ジョブ型雇用は、サッカーのチームか、オーケストラのようなものだとイメージしています。
サッカーのチームは、攻撃型か、守備重視か、スタープレーヤー中心か、いろいろなチームのデザインが可能です。チームのデザインには、各プレーヤーに求められる資質、プレーヤーに支払うことのできる年収の制約などを考える必要があります。
こうしたイメージであれば、各自が、1年間に達成する目標を設定して、その達成度に対して評価することは自然な流れです。
チームを作るには、プレーヤーだけでなく、トレーナー、ドクターなどのサポート体制、ホームグランドの整備、サポーターへのサービス、チケットの売り上げにも配慮する必要があります。これら全てを監督が行う訳ではありませんが、チームとして機能できるように調整を行う必要があります。
サッカーのチームを作るには、ビジョンとデザインが必要です。プレーヤーの評価も、実績のある年寄りの俸給は高いので、若くて有能で、今後伸びそうな人材をスカウトする必要があります。
日本の企業の年功型雇用は、新卒で会社に入った場合、大学の教育は役に立たないので、OJTで上司の仕事を見よう見まねで学習する人材育成をおこなってきました。社内のいろいろな部署を転勤して、一通りまわるような方法です。
この方式では、新しい仕事や、技術革新には、対応できませんし、プレーヤーをスカウトするように外部人材を投入するノウハウも身に付きません。その結果、サッカーチームの監督のような人材を育成できません。
2022年3月に、アクセンチュアが、社員に違法な残業をさせていたとして書類送検されました。ソフトウエア・エンジニアの男性社員1人に、1か月140時間余りの残業をさせた労働基準法違反の疑いです。
デスマーチ(死の行進)は、IT業界での過重労働が起きているプロジェクトを指す俗語です。鈴木貴博氏は、上司の能力が低いコンサル会社では「デスマーチ」が起きやすいといいます。
上司の能力が低い会社が多いのは、ビジョンを基にしたジョブ型雇用を行ってこなかった結果、ジョブ型雇用ができる上司が育たなかったためと思われます。
楽天モバイルCEOには、タレック・アミン氏がついています。
ウーブン・プラネット・ホールディングスのCEOには、ジェームス・カフナー氏がついています。
日本のCEOの給与は、アメリカのCEOの給与より安いと言われますが、日本の企業は、ビジョンをもとに、ジョブ型雇用ができる人材を育てられなかったことがわかります。
今後のジョブ型雇用の展開を考えると、日本の大学を出て、新卒で、日本企業に就職することは、リスクになってくると思われます。
2022/03は、ウクライナ戦争で、ウクライナ人、ロシア人とも、メキシコ経由で、アメリカを目指す人が増えています。
日本の若者が海外を目指す日がくるのも、さほど遠くないかも知れません。
日本では、大学の学科や成績は、新卒の初任給に反映されません。つまり、学習することによる賃金上昇のモチベーションはありません。
出口治明氏は、「日本を“低学歴社会”にした責任は、100%企業にある、あるいは社会の構造にある。経団連などの偉い人たちを見れば一目瞭然で、戦後の製造業の工場モデルで成功体験を積み重ねてきた人たちが、今、日本経済の司令塔になっている。経済をスポーツに例えれば、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代に、野球(製造業)で “世界一”になったことを過信して、いまだに毎日遅くまで素振りをしないと勝てないと思い込んでいる。でも世界はサッカー(サービス産業)の時代になっている。(中略)ユニコーン企業を生むのは、女性・ダイバーシティ・高学歴である」といいます。
経団連は2022/03/11、日本経済の活性化へ起業を促す提言書を発表しました。
「2027年までの5年で起業数を10倍に増やすとともに、企業評価額が10億ドル(約1160億円)以上の未上場新興企業『ユニコーン』を約100社生み出す目標を設定。政府には支援の司令塔となる『スタートアップ庁』の創設を求めました」
ここには、ビジョンはありません。あるのは、「デジタル庁」の焼き直しのヒストリアンの視点です。また、金額や数は、大量生産の製造業の時代の指標であり、ナンセンスです。たとえば、テスラに見られるように、アメリカでは、企業価値は、ビジョンで決まります。
さらに、ユニコーン企業を生む「女性・ダイバーシティ・高学歴」は、どこかに行っています。
教育と働き方を変えずに、簡単にユニコーン企業が得られるというヒストリアンの発想は、ビジョナリストを追放するので、有害です。
引用文献
アクセンチュア過重労働に潜むコンサルの業界悪、残業が消えない真の理由 2022/03/11 dダイヤモンド 鈴木貴博
https://diamond.jp/articles/-/298719
対立するロシアとウクライナでも亡命希望者たちは協力、メキシコ経由で米国目指す 2022/03/11 Newsweek
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/post-98278.php
「日本を低学歴社会にした責任は100%企業にある」 2020/12/16 ダイヤモンド 出口治明 https://diamond.jp/articles/-/256603
「ユニコーン」5年で100社に 経済活性化へ起業促進 経団連提言 2022/03/12 JIJI.COM
https://news.yahoo.co.jp/articles/b720dc8007d2ec6186b2f8e60a9213617a9a9972
1.12 社会主義労働経済の課題
(日本は、社会主義労働経済の国です)
ジョブマーケットの問題をもう少し検討します。
古い経済学の生産の3要素は、労働、資本、土地です。
資本主義は、市場を通じて、経済財の取引を行います。
社会主義経済では、土地は国有で、原則、市場取引の対象にはなりませんが、中国では、利用権の売買という変則的な形での取引が行われています。
市場メカニズムは、経済財を合理的に配分する効率的なシステムです。
中国が、社会主義市場経済を導入してから、経済発展した理由の一つは、このシステムの効率にあります。
日本は、建前では、資本主義国になり、市場を通じて、経済財の取引を行うことになっています。
しかし、日本には、ジョブマーケット(労働市場)がありません。
つまり、労働については、社会主義労働経済の国です。
正社員とパートや、派遣社員の間は、賃金格差がありますが、ジョブマーケットがあれば、賃金は均衡して、同一労働同一賃金になります。あるいは、レイオフされやすいパートの賃金の方が高くなります。
社会主義であれば、共産党員であることが、優先的な地位を確保して、収入の確保を容易にします。
日本の社会主義労働経済では、学歴が、共産党の代わりの機能を果たしています。
そこでは、大学を卒業したというラベリングが重要であって、成績や能力は、給与には反映されません。新卒一括採用の場合には、大学の専門も、初任給に反映されません。
アメリカの大学では、入学者に対する卒業者の比率は5割ですが、日本では、9割を超えます。日本の大学を卒業したことは、能力を保証しません。
これは、大学以前の小、中、高等学校でも同じです。
ジョブマーケットがあれば、成績は給与に反映されます。また、十分な能力を身につけなければ、卒業はできません。
10年後には、現在ある仕事の多くが置き換わってなくなっていると予測する人もいます。
筆者も、基本的には、その意見に賛成ですが、その10年後には、ジョブマーケットが出来上がっていると思います。
つまり、ここには、社会主義労働経済から労働市場経済への切り替えが必要です。
中国は、社会主義市場経済を導入して、20年かかって、市場経済へのソフトランディングに成功しています。その時には、既に、市場経済であった香港や台湾の経営者が有効に働いています。
対照的な例は、ロシアです。ソ連崩壊後の急激な市場経済への移行は、ハイパーインフレを招き、国民の資本主義への反発を強めています。
このことが、プーチン政権の高い支持率に結びついていると指摘されています。
デジタル・シフトが完了するまでに、残された時間は10年を切っていると思われます。
そうすると、日本の労働市場への移行は、ソ連型のハードランディングになる可能性が高いと思われます。
ジョブマーケットがありませんので、「評価をしない・出来ない症候群」が、企業だけでなく、教育、マスコミなど広い範囲に拡がっていて、どこから手を付けてよいのか、判らない状況と言えます。
1.13 ヒストリーの再構築
(ヒストリーは、ビジョンに従って再構築して利用すべきです)
2022年2月に、ロシアとウクライナ戦争が始まりました。
歴史の時計の針を戻せるのであれば、どこかで、戦争を回避できる方向に、転換すべきだったと考えられます。もちろん、時計の針を戻すことはできませんが、このように、クリティカルに考えて、ヒストリーを再構築する努力をすれば、同じような状況になった時に、今度は、戦争を回避できるかもしれません。
ヒストリーは、必然で、回避できないという決定論よりは、ヒストリーの再構築を行うべきです。再構築されたヒストリーは、事実ではなく、ビジョンを反映したものになります。
こうしたヒストリーの再構築は、太平洋戦争の戦史では、よく行われますが、それ以外の場合にも有効と思われます。
例えば、日本の失われた30年についても、アメリカでは、ベンチャーが育っていますので、ベンチャーを育てればよいと結論づける方法は、アメリカの産業史をコピーしたヒストリアンの発想です。ビジョナリストは、ヒストリーの再構築の視点で、日本が、アメリカのようにならなかったのは、過去30年のどこかで道を間違えたからだと考えます。そして、その分岐点を明確にして、問題点を取り除けば、少なくとも、同じ間違いを繰り返すことはないと考えます。
2022年3月の経団連の「スタートアップ庁」を作るいう提言は、ヒストリアンの発想になっていて、当事者たちには、過去に道を間違えたという認識はありません。
「女性・ダイバーシティ・高学歴」については、過去に、どこかで道を間違えて、アメリカのようにはなっていません。ですから、ヒストリーの再構築を行うことが有効です。「ユニコーン」のような成功事例のヒストリーを集めてきて、それがあれば良いというのは簡単です。一方、ビジョンを持って、ヒストリーを再構築することは、膨大な手間と時間がかかります。しかし、それに、耐えて、ビジョンを構築することなしに、失われた30年からの脱却はありえません。
太平洋戦争の時には、日本は、アメリカに比べて、航空機の数が圧倒的に少なく、それが、敗因になっています。アメリカには航空機が多数あったので、戦争に勝てました。しかし、日本も、航空機をもっと作るべきだったというロジックはナンセンスです。
この航空機をユニコーンに置き換えてみれば、「スタートアップ庁」は、飛行機工場を作るべきと言っていることになります。
ヒストリーの再構築ができないと、日本が、再び戦争に巻き込まれるリスクは高くなります。
ヒストリーの再構築を避けるヒストリアンが、如何に、有害かがわかると思います。
1.14 垂直統合と水平分業
(垂直統合と水平分業の間には、国際分業の問題がある)
垂直統合と水平分業という言葉は、調べてみると、時代によって、異なったニュアンスで使われています。ここでは、混乱を避けるために、最初に、定義を示します。
垂直統合は「製品の開発から生産、販売にいたるプロセスをすべて一社で統合したビジネスモデル」です。
水平分業は「製品の核となる部分の開発・販売は自社で行い、それ以外の開発・製造・販売を外部委託するビジネスモデル」です。
1)企業の経営判断
1980年以降、安くて豊富な労働力を持つアジアの発展途上国に、先進国の大企業が次々と工場を移転しましたが、海外の向上が自社工場であれば、これは、垂直統合です。
アップルのiPhoneは、水平分業の成功例と言われます。
垂直統合と水平分業は、ビジネスモデルの違いとして、比較される場合が多いです。
そして多くの場合、トヨタのような日本の企業には、垂直統合が多いが、アップルのようなアメリカの企業には、水平分業が多いといったような説明がなされます。
ここで問題は、「日本の企業」と「アメリカの企業」という表現です。
1980年代まで、発展途上国が原材料を輸出し、先進国がその原材料を元に工業製品をつくって輸出する「垂直分業」が行われ、付加価値の高い工業製品を輸出する先進国が多くの利益を得ていました。つまり、工業製品のモノづくりができる国が、先進国でした。
1990年代に、工場は海外の発展途上国、特に、中国に移転し、モノづくりは、国内からなくなりました。工業製品は付加価値が高くなくなり、相対的に高価な工業製品を作っていた日本企業は淘汰されます。つまり、日本国内には、主な製造業はなくなります。Made in Japanでも部品を全て国内生産している場合はなくなります。
垂直統合には、自社の海外工場で作られた海外生産の部品が含まれるようになります。
ここで、「自社の海外工場」が、「他社の海外工場」に入れ替わると、水平分業になります。
海外工場の移転している生産ラインは、特殊なノウハウが必要なものではありません。そのような特殊な製造法が必要なければ、「自社の海外工場」と「他社の海外工場」の間に大きな差はありません。
こうなると、製品の国籍に、各段の意味はありません。海外工場の利用が始まった当初は、海外工場の製品管理がずさんで、問題が発生したこともありますが、現在では、品質管理が行き届いています。iPhoneのメインは部品が、中国製か、台湾製でも、品質に問題はありません。
さて、「垂直分業」が始まった時には、先進国は、「付加価値の高い工業製品」を作っていましたので、発展途上国より高い賃金を支払うことができました。つまり、「高い付加価値」を付与できるか否かが先進国を続けられるか否かのポイントになります。
コロナウィルス前には、インバウンドで海外からの観光客が増えていました。それには、円安の効果がありました。しかし、円安で増えるレベルの観光客が落とすお金は、特に高い訳ではありません。ですから、インバウンドが増えても、日本人の賃金はあがりません。買い物で落とすお金は、検討対象外ですが、インバウンドが、増え始めたころは、大きな金額でしたが、一段落した後では、減ってしまいました。「高い付加価値」に対するビジョンがないと、オーバーツーリズムで、観光地が疲弊するだけで、賃上げになる経済効果は期待できません。
さて、アップルは、iPhoneの製造において、水平分業を達成した訳ですが、だからと言って、水平分業を目指して、ビジネスモデルを構築した訳ではないと思います。
水平分業を行うには、分業のできるレベルの企業や工場が海外にあることが前提です。2000年代に入って、中国では、企業や工場のクラスターが形成されました。つまり、国際分業の受け入れ先が出来たわけです。
リカードは国際貿易において、比較優位の法則が成立するといいます。
国際分業の受け入れ先ができれば、比較優位の法則を使って分業することが、生産性をあげる基本です。競合する企業もありますから、国際分業しなければ、企業は傾いてしまいます。ですから、アップルは、iPhoneで国際分業をしたのだと考えます。
日本企業は、工場を海外に移転しましたが、「自社の海外工場」にこだわり、「他社の海外工場」を使わなかったわけです。しかし、「自社の海外工場」か、「他社の海外工場」かは、価格と品質のバランスで決まるだけの話です。フォックスコンの工場のような大規模工場になれば、「自社の海外工場」では価格的に太刀打ちできないことは明白です。
こう考えると、問題は、垂直統合か、水平分業かではなく、どうして日本の企業には経済合理性に基づいた経営判断ができなかったのかという点にあると考えられます。経済合理性に基づかない経営判断をすれば、競合企業に比べて、競争力がなくなるので、企業は傾きます。それは、必然の結果です。
以上、企業について考えました。
2)個人の働き方
2022/03/25のNewsweekで、加谷珪一氏は、日本の「賃金停滞」をわかりやすいグラフで整理しています。
そこには、2000年から2020年の各国の平均賃金(年収)の推移がグラフ化されています。
グラフには、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、韓国、日本の平均賃金がプロットされています。この中で、20年間平均賃金が上がらなかったのは、日本だけです。
経済合理性に従って、経営内容を見直していけば、毎年労働生産性は、必ず上がります。
このことから、日本は、経済合理性に従った経営判断が出来なかったことがわかります。
日本と韓国は、地理的に離れているので、ひとまず、除外して考えます。
賃金が一番高いのはアメリカですが、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンの間では、労働者の移動があります。アメリカの賃金は、一番高いので、アメリカは、年収の高いポストを一番多く提供していると思われます。アメリカ以外に住んでいた高度人材で、アメリカに移住した人も多いと思われます。最近では、テレワークも増えましたので、必ずしも移住しなくとも、高い年収を得る機会もあると思われます。
つまり言いたいことは、労働者も経済合理性に従って、企業を移動する、場合によっては、国をまたいで企業を移動するという現実です。
読者が、日本にいる高校生であれば、アメリカの大学を卒業して、アメリカの企業で働く選択も可能です。
読者が、日本にいる大学生であれば、Kaggle等で評価が得られれば、アメリカの企業で働く選択も可能です。
日本の賃金は安いので、高度人材が、海外から来ることは稀です。最近では、日本から中国に出稼ぎにいくアニメーターもいると言われています。
日本でも、ジョブマーケットに参入する人は、次第に、増えてきています。
3)まとめ
まとめると、日本の「賃金停滞」には、2つの原因が考えられます。
(1)企業の経営に経済合理性が欠けているため、労働生産性が上がらない。
(2)個人の働き方に、経済合理性が欠けているため、賃金の高いポストに移動しない。
もちろん、日本だけの年功型雇用という経済合理性に反する慣習は、この2つを阻害する要因になっています。
そして、ヒストリアンは、エビデンスにもとづく根拠なし慣習の継続を主張します。
それが、如何に、悲惨な結果をもたらすかは、「日本『賃金停滞』の根深い原因をはっきり示す4つのグラフ」に現れています。
日本「賃金停滞」の根深い原因をはっきり示す4つのグラフ 2022/03/25 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/03/4-166.php
1.15 日本の科学技術はどうして遅れているか
(日本人の給与があがらない原因と日本の科学技術が遅れている原因は、マーケットの欠如というコインの表裏の関係にある)
1)日本の科学技術の没落
国際的に見た日本の科学技術の遅れは、もはや明確です。
論文の数、大学のランキングといった指標は、長期的に没落しています。
指標の客観性は、限定的で万能であると考えるべきではありませんが、多くの指標が揃って、没落傾向を示していることは、実力の没落が止まらないと判断せざるをえません。
ところで、現在行われている対策は、問題のある所に予算をつける方法です。
過去30年間、「変わらない日本」が続いていました。
そして、「問題のある所に予算をつける方法」が繰り返されてきました。
つまり、この方法には、効果があるというエビデンスはありません。
また、倫理的にも、焼け太りと呼ばれる不公平なルールです。
焼け太りというのは、問題を起こすと予算が増えることを指します。
予算内で、効率よく成果をあげ、あるいは、効率をあげて、予算を節約すると、次年度の予算が削減されます。
つまり、「問題のある所に予算をつける方法」は、非効率を推奨することになります。
そして、この方法の最大の課題は、ヒストリーの再構築をしないため、問題点が継続的に温存される点にあります。
2)DXの遅れを考える
科学技術の遅れを前提として論じるのは容易ではないので、ここでも、簡単な例をヒントに問題を考えてみます。
日本の企業のDXの遅れは、明らかです。
DXについても、「問題のある所に予算をつける方法」が行われています。
2022/03/25のNewsweekで、加谷珪一氏は日本のDX投資額が際立って低く、伸びていないことを示しています。
前節と同じように、企業と個人のスケールで、DX投資を考えてみます。
企業が、DX投資をしないのは、経営に経済合理性がないためです。
経済合理性は、例えば、現状維持のプランA以外に、プランB、プランCを考えて、パフォーマンスがベストと予想されるプランを採択することで、実現されます。
ここには、ビジョンの比較が含まれています。つまり、ビジョナリストでないと経済合理性のある経営判断はできません。
ヒストリアンのCEOは、経済合理性を無視して、ビジョンを排除して、今までのヒストリーの延長線で、経営を考えます。
クリスチャンセン博士は、現状を延長するヒストリアンの経営政策を、イノベーションのジレンマと呼びましたが、それほど高度な経営判断がなされなくとも、CEOがヒストリアンであれば、ビジョンを立てないヒストリアンの経営が行われます。簡単に言えば、過去の成功体験を繰り返す経営です。
経済学は、経済合理性は、マーケットを通じて実現される最適化のメカニズムだと考えます。プランA、プランB、プランCは、市場で取引されている訳ではありませんが、疑似的には、CEOが、市場をイメージした経営判断をしているとみなすこともできます。
労働者の個人のレベルでこの問題を考えます。現状のプランAでは、特に新しい技術は不要です。プランB、プランCを実施するには、DXのような新しい技術が必要であると仮定します。
こうした新しい技術が売れるのであれば、時間と労力をかけて技術習得するモチベーションがあります。日本は、ジョブマーケットがありませんので、こうした新しい技術は売れません。しかし、年功型雇用を採用していない日本以外の国には、ジョブマーケットがありますので、ジョブマーケットを通じて、DXが進みます。
新しい技術を持った労働者は、労働生産性をあげますから、高い賃金を支払う価値があります。経営者が、新しい技術を持った労働者を低い賃金で処遇すれば、労働者は、引き抜かれて、いなくなります。つまり、ヒストリアンの経営者のいる企業は、新しい技術を持った労働者不足で淘汰されます。
海外で起こっているDXは、次のようなサイクルを形成していると思われます。
労働生産性をあげるプランBの採択ー>プランBを実現できる技術を持った労働者の高い給与での募集ー>労働者の再学習と技術習得ー>大学等の再教育カリキュラムの充実ー>大学の科学技術のレベルアップ
これらは、ジョブマーケットを通じて、連携して、技術革新を進めます。
年功型雇用でも、技術を評価して給与に反映させる成果主義を導入すればよいと考える人も多いかもしれません。しかし、それは、戯言です。社会主義政権下では、物の生産量と労働者の賃金を必要に応じて最適に設定する社会主義経済が可能であると主張されていました。しかし、社会主義が崩壊したあとで、政権担当者の残した記録をみれば、物の生産量と労働者の賃金を必要に応じて最適に設定する手法はなく、思い付きで設定されていたようです。
技術の評価は、将来何が使えるかで異なります。つまり、株価評価のような側面を持っています。その場合の評価は、マーケットに任せるしか方法がありません。
公共経済学では、いくつかの条件がある場合には、マーケットの失敗がおこるので、政府の介入が望ましいと考えます。しかし、その範囲は限定的です。少し前までは、宇宙開発は、マーケットがないので、政府主導で行うべきと考えられていましたが、現在では、宇宙開発の中心は、民間企業です。日本は、政府中心で、民間企業を育てなかったために、ロケットの発射本数でみると、宇宙開発から、ドロップアウトしています。
技術革新は、技術が、企業利益や、労働者の所得、大学の経営にプラスになるようなマーケットの作成が基本です。
技術開発やDXに補助金を付けても、効果があるというエビデンスはありません。
最悪の場合には、宇宙開発と同じように、健全なマーケットの成立を阻害する政府の失敗を引き起こします。
過去30年間に、補助金を投入しても、効果の見られなかった分野では、政府の失敗が起こった可能性が高いです。
そして、「変わらない日本」が、蔓延していますから、補助金による政府の失敗が蔓延していても、不思議ではありません。
ジョブマーケット問題を無視して、「変わらない日本」を変えることは不可能だと考えます。
引用文献
日本「賃金停滞」の根深い原因をはっきり示す4つのグラフ 2022/03/25 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/03/4-166.php
1.16 メルケル前首相のミンスク合意と北方領土交渉
(もう少しヒストリーの再構築の事例をあげてみます)
1) メルケル前首相の功罪
ウクライナ危機の分岐点に、メルケル前首相の引退が関係していた可能性があります。
今回は、これを例に、歴史の再構築について考えてみます。
メルケル前首相は、引退前の2021年7月に、ノルドストリーム2計画についてバイデン大統領の了解を得ています。
メルケル前首相の引退後、FDP(ドイツ自由民主党)が、ノルドストリーム2計画からの撤退方針を出します。
ドイツでは、ロシアの挙動の主因のひとつが、ノルドストリーム2計画からの撤退方針であると踏んでいて、ゆえに2022年2月上旬では、多くの人が「ドイツがノルドストリーム2計画を再び推進する」ことと引き換えに、ロシアが「ウクライナ国境から軍を撤収」させるだろう、とみていました。
次のような分岐点が考えられます。
(1)メルケル前政権がもう少し続いていて、ノルドストリーム2計画からの撤退方針がなかった場合
(2)メルケル前首相が、ロシアの占領を既成事実化するミンスク合意を作らなかった場合
(1)は、政権末期には、地方議会での支持率が下がっていたので、その点では、あり得ない仮定ですが、あまり影響がなかったように思われます。
(2)は、ミンスク合意の内容が玉虫色で、解釈に幅があることが、問題を難しくしています。
ゼレンスキー政権は、政権についてから2年程は、ドンバス(ドネツク、ルガンスク両州)については、ロシアの実効支配を動かせないという消極的な姿勢でしたが、その間も境界地帯で紛争が絶えませんでしたので、その後、可能な範囲で、ロシアと対立する政策に方針を転換しています。
ミンスク合意の玉虫色の合意は、混乱のもとでした。
特に、ドンバスのロシアの実効支配について、明確な記載をしなかった(できなかった)ことが、尾を引いています。
ミンスク合意によって、ドンバスの大きな侵略は、一旦停止しましたが、小競り合いは続いていました。
ロシアは、ミンスク合意は、ドンバスの実効支配を認めたものと解釈しますが、ウクライナは、そのような立場に立っていません。
ミンスク合意は、ドイツには、ノルドストリーム2ができるまでの間、ウクライナを通過している天然ガスのパイプラインの安全な使用を可能にするメリットをうみました。しかし、ウクライナとロシアのメリットは、はっきりしません。
ミンスク合意の時点で、ロシアの侵略は国際法上の問題であると整理することも出来た訳ですが、仮にそうしても、軍事力の小さなウクライナがロシアに対抗できた訳ではありません。
現在のウクライナの軍事力は、ロシアより小さいですが、それでも、ミンスク合意の時と比べれば、各段に大きくなっています。
さて、このような検討をしても、直ぐに答えがでる訳ではありませんが、次のことがわかります。
(1)ヒストリーの再構築は、非常に時間と労力のかかる作業です。
(2)評価をどの時点で行うかが問題です。
ミンスク合意の直後であれば、さしあたり、大きな紛争を押さえたので効果があったといえます。
しかし、ウクライナ侵攻の時点でみれば、問題を先送りしたともいえます。
2) 北方領土交渉
北方領土交渉において、どのくらい実効性のある外交カードがあったのか、交渉の進展の履歴がよくわかりませんので、内容に入らないことにします。
ただ、現在、日本は、ロシアの敵対国リストにはいっていますので、当面は、交渉ができない状態にあります。その原因は、ウクライナ侵攻への日本の対応にあります。
これから、次の点がわかります。
(3)ヒストリーの再構築をする場合に、影響を与える要素の歴史は、まとめて検討する必要があります。
北方領土交渉の記録はあると思いますが、ウクライナ侵攻への日本の対応を除いて、北方領土交渉だけを取り出して、再構築しても、本質がみえてきません。
影響を与える要素の歴史をまとめて検討するのは、ヒストリーの再構築を非常に困難にしますが、実際に、要素間に影響があれば、影響のある要素を考慮しなければなりません。
この例は、北方領土交渉ですが、2014年11月に「まち・ひと・しごと創生法」が制定されて以来、過疎化が進む地方問題にも同じ困難があります。
地方問題では、少しでも上手くいっている地方都市があれば、成功事例としてもてはやされますが、成功事例と呼ばれた政策も、2、3年で行き詰ります。これは、成功したという歴史をコピーして使うことを考えているからで、ビジョンによるヒストリーの再構築が行われない限りは問題解決はできません。
引用文献
https://qjweb.jp/journal/65796/
1.17 ヒストリーの中のビジョン
(ヒストリーとビジョンは、対立するだけではなく、交差することもあります。ここでは、ヒストリーとビジョンの交差の例を扱います)
つくば市は、都市計画の見本市なので、市内には、著名な建築家の建築が多数あります。
仮に人気投票をすれば、第1位間違いなしと思われる建築は、磯崎新氏の設計したつくばセンタービルです。
ウィキペディアには、「つくば市のランドマークで、建築家・磯崎新の代表作で、日本のポストモダン建築の代表的な作品」と書かれています。
つくばセンタービルは、1983年に竣工していますが、2020年にはつくば市から改修計画が出て、現状維持を支持する人との議論になりました。
ウィキペディアには、つくばセンタービルの特徴が、次のように書かれています。
「磯崎の得意とする幾何学的なデザインを多用するほかポストモダンの特徴である歴史引用を行い、隠喩や象徴をちりばめたマニエリスム的な作品である。ローマのカンピドリオ広場を反転した広場(フォーラム)があり、カンピドリオ広場は丘を登った場所にあり中心に銅像が建っているのに対し、つくばセンタービルでは広場が低い位置にあり中心は噴水である」
ここで、比較したいのが、つくばセンタービルの広場とローマのカンピドリオ広場です。
1)ローマのカンピドリオ広場
カンピドリオ (Campidoglio) は、ローマの七丘でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユーピテルやユーノーの神殿があるローマの中心で、ローマ市庁舎もあります。
カンピドリオの丘の頂上には、ミケランジェロが1538年頃に設計着工したカンピドリオ広場 があり、広場は、のちに G.デラ・ポルタが 一部を変更して、1590年頃に完成させています。
ミケランジェロはカンピドリオ広場の設計で、複数の異なった形の建物をひとつの明快な対称軸線上に統合するバロック的広場を創案しています。
ミケランジェロは、1564年に亡くなっていますので、広場の完成を見ていません。G.デラ・ポルタは、1563年以降、ミケランジェロの設計案(ビジョン)に基づき、カンピドリオの丘の広場の再建を行って完成させています。つまり、カンピドリオ広場の価値は、ミケランジェロの設計案(ビジョン)にあります。
同じように、設計者の死後も、ビジョンが生き続けている例に、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアがあります。
2)つくばセンタービルの広場
つくばセンタービルの改修計画に異議が出るのは、ビジョンを共有できていないためです。
つくば市内には、1978年の研究学園都市移転頃から、著名な建築家の建築が多数建てられましたが、現在、その多くは老朽化問題を抱えています。しかし、ビジョンを生かして、建築の世代交代をしたという話は聞きません。
3)まとめ
言いたいことは、ビジョンの有無の違いの重要性です。
ローマやバルセロナでは、ビジョンとしての建築が存在し、その価値はビジョンにあるので、補修や建て直しの範囲が明確になっています。
一方、つくば市にある建築は、著名な建築家が設計したというヒストリーになっているので、更新が、容易ではなくなっています。
これは、景観計画でも共通で、欧米では、歩道のデザイン(ビジョン)をガイドラインで、設定して、都市景観に、共通性を持たせます。
日本では、ゾーニングをして、緑地を一定の割合で確保しますが、歩道のデザインは、バラバラです。そこには、この街の景観はかくあるべきというビジョンが欠如しています。
ここまで、ヒストリーとビジョンは対立する概念として説明してきました。
しかし、カンピドリオ広場に見るように、ヒストリーの中に、ビジョンがある場合もあります。このビジョンは、ハードウェアのヒストリーとは独立して、生き続けます。
ただ、残念なことに、日本では、ヒストリーの中に、ビジョンをみることができる例は少ないので、2つを対立概念として扱っても概ね問題はないと考えます。
1.18 ヒストリーとビジョンの狭間
(ヒストリーとビジョンの間には、ビジョンの開始点の思いつきがある)
ここまで、ヒストリーとビジョンを既知の日常用語として扱ってきました。
ここでは、2つの違いを考えてみます。
ヒストリーは、過去に起こったファクトを記録したものです。
ビジョンは、過去の記録にはないものです。
1) ピアニストのビジョン
ピアニストを例に、ビジョンとは何かを考えています。
あるピアニストが、ベートーベンのピアノソナタを演奏する場合を考えます。
ベートーベンの楽譜はヒストリーです。
ピアニストの解釈がビジョンになります。
この他に、過去の演奏があります。これは、演奏した時点では、ビジョンですが、録音などによって、ヒストリーになっています。ビジョンは演奏と録音という行為によって、ファクトになります。
つまり、ヒストリーには、もともとのファクトのヒストリーとビジョンがファクトになったヒストリーがあります。
この表記は、ややこしいので、「ヒストリーには、ファクトのヒストリーとビジョンのヒストリーがある」と記載することにします。
ヒストリーになっていないビジョンは、something newです。
ピアニストは、以下に優れていても過去のピアニストにビジョンをコピーすることは許されません。聴衆は、ピアニストにsomething newを求めます。
今まで、多数のピアニストがべートーベンのピアノソナタを演奏してきました。ちょっと考えると、ビジョンのヒストリーに新しいビジョンを付け加えることは困難です。しかし、そのハードルを乗り越えなければ、プロのピアニストとしては、認められません。
しかも、something newだけはダメで、演奏は聴衆に感動を与えなければなりません。
新しいビジョンは、「something new+感動・納得」(=価値あるsomething new)が必要です。
これは、ピアニストだけでなく、クリエイターと呼ばれる職業には、必須の条件です。
サービス経済の拡張に伴って、プログラマーなど多くの職業に、ビジョンが求められるようになりました。優れたクリエイターは、高い所得を得ることができますが、ヒストリアンや、出来の悪いクリエイターは、低い所得しか得ることができません。
いわゆる高度人材の多くは、クリエイターで、他の人の出来ないことをこなして、価値あるsomething newを作り出します。
2) 脱暗記教育とビジョン
2020年から、センター試験に代わり「大学入学共通テスト」が開始されています。
教育において、脱暗記が、求められています。
ハワード・ガードナーの多重知能理論(Theory of Multiple Intelligences)が、脱暗記に対応するという人もいます。
ここでは、ヒストリアン育成の教育(暗記教育)とビジョナリスト育成の教育を考えてみます。
つまり、教育の再編をヒストリアン対ビジョナリストの視点で解析してみます。
ヒストリアン育成の教育では、歴史を学習して暗記します。
俗に、暗記物と呼ばれる歴史のような教科は、単語やキーワードを覚えることから始まります。語学も、初歩の段階では、暗記が必須の条件です。
暗記物のバリエーションは、解釈の暗記とパターンの暗記です。
鎖国の解除が日本に与えた影響について記せ」といった設問は、一見すると考える力を問うているように見えますが、判断材料となる資料が試験問題に添付されている訳ではありませんし、ゼロから考えて、解答時間内に、答えを出すことも不可能ですから、「鎖国の解除が日本に与えた影響」について、もっとも一般的な学説は何かを聞いているだけの暗記問題です。
同様に、暗記物ではないと言われる数学でも、実際には、解法のパターンを暗記しているかを、調べている例が多いです。
それでは、ビジョナリスト育成の教育も、どのような試験が可能でしょうか。
ピアニストの例をみれば、ビジョンの作成は、次の2つのステップからなります。
(1)something newを生み出す
(2)生みだされたsomething newを選抜、再構築して、価値あるビジョンを作り出す
この他に、前提としては、
(3)(楽譜をよめる、指が回るなどの)基本的なスキルが必須になります。
プロのピアニストであれば、過去の代表的な演奏の解釈は頭に入っていて、それに、該当しないsomething newを生み出す努力をします。しかし、学習段階にある人は、そこまでの基礎知識はないので、something newは、教科書にのっていない解釈のレベルに止まります。
このレベルのsomething newの9割以上は使い物になりませんが、この(1)のステップを通らないと、(2)のステップには進めません。
つまり、ビジョナリスト視点で考えれば、暗記はダメ、正解は1つでないという基準は甘く、ヒストリアンの視点に止まっているように思われます。
ハワード・ガードナーの理論は、ビジョンのヒストリーです。それを引用したいというのは、ビジョンのヒストリーを探せば正解があるというヒストリアンの視点です。
ビジョンには、もっともらしさや、説得力といった指標はありますが、正解はありません。評価は時間が経過しないと確定できません。
ビジョナリスト育成の教育では、評価は次のステップで行われるべきです。
(1)基本的なスキルの評価
(2)something newの評価
(3)something newの説得力の評価
つまり、(2)では、まったく、頓珍漢な答えでも、something newであれば、一旦は、そのレベルで評価することになります。
また、(3)の評価基準は、アートの評価手法で、ヒストリアンからみれば、極めて主観的になります。
ビジョナリストは、そのアートの評価手法を使うことで、初めてスタートできます。ビジョナリストにとって、アートの評価手法は、主観・客観性を越えた唯一の判断基準です。客観性がありうると考えるのは、ヒストリアンのバイアスです。
以上のように考えると、現在の脱暗記教育は、ヒストリアンに止まっているように見えます。
3)まとめ
ヒストリーとビジョンの間には、ビジョンの開始点の思いつきであるsomething newがあります。一旦は、これを認めないと、ビジョン作成の次のステップに進めません。
1.19 ビジョンのヒストリー
(ビジョナリストは、ビジョンのヒストリーを再構築します。古典は、そのビジョンが、時代を経てきたから価値があるのではなく、ビジョンが時代に合わせて再構築され続けた場合には価値があります)
ビジョンのヒストリーについて検討します。
歴史的に、大きな影響を与えたビジョンは、アリストテレスの学説です。
ガリレオやニュートンが出てくる前に、アリストテレスは、運動とは何か、どうして、ものは動くのかという問題を提示しました。
ガリレオやニュートンは、アリストテレスのビジョンのうち、使える部分は残して、使えない部分は、別のサブビジョンに差し替えて再構築をしたと見ることができます。
アリストテレスが生きている間は、アリストテレスのビジョンは、新しいエビデンスが入手できれば、更新される生きているビジョンであったと思われますが、アリストテレスが、亡くなったあとでは、アリストテレスの学説は、更新されないビジョンのヒストリーになります。
そして、ヒストリーになったビジョンが更新されるまでには、ガリレオやニュートンの出現を待たねばなりませんでした。
これは、極めて、常識的な話ですが、世の中には、常識で推し量ることのできない世界がありますので、あえて取り上げる価値があります。この「常識で推し量ることのできない世界」には、次の2パターンがあります。
1)宗教の聖典
宗教に聖典がある場合には、ビジョンの更新は困難です。
聖典の解釈によって、宗派が分かれることがありますが、宗派の中では、その解釈(ビジョン)は固定化されます。
時代によって、聖典の解釈に変更が行われることがあります。
例えば、進化論との整合性などが問題になります。
仏教は、例外的に、少数の優先される聖典を持ちません。
これは、教えは、聞く人に合わせて行われるべきであるという原則に基づいています。
しかし、開祖が亡くなってしまうと、この方針を維持することができなくなるので、教義が不安定になります。
そこで、特定の聖典が、特に重要であるという選別を行うか、禅のように聖典に依存しないことで、安定化が図られます。
2)古典
中国の古典の典型は、四書五経なので、宗教の聖典との境界は曖昧です。
シェイクスピアの戯曲は、古い英語で書かれていますが、現在、上演する場合には、現代英語に置き換えられています。
つまり、ビジョンの再構築が行われています。
アリストテレスの論理学は、フレーゲによって再構築されるまで、2000年近く、最初のビジョンのままで使われてきました。
古典は、歴史に耐えて残ってきたから価値があるという人もいますが、データサイエンスの世界観では、この主張はナンセンスです。ビジョンは、時代に合わせて再構築されて初めて利用可能になり、価値が生じます。
どのように再構築すべきかは、推論の課題なので、第2章で扱います。
1)古典の利用法
古典には、現代の問題の答えが書いてあるわけではありません。
古典は、その時代の英知が、問題の解決に努力した結果です。
つまり、そこには、問題と解決方法が提示されています。
問題は、時代によって変化しますので、問題の賞味期限は短くなります。
解決方法の賞味期限はより長くなります。
とはいえ、古典は、コンピュータのない時代に書かれていますので、コンピュータを使った問題の解決方法は、想定していません。
つまり、解決方法も賞味期限を越えて、有効にはなりません。
古典の解決方法は、問題解決の参考にはなりますが、そのままでは使えません。
こう考えると、古典の再構築とは、新しい問題に対して、古典の方法を参考にしながら、新しい問題解決の方法を生み出す過程になります。
古典は、このようにすれば使えますが、結果を転用することはお薦めできません。
2)ビジョンの再編成
ビジョンの再構築とは、要素を分解して、新しい要素を加えて、組み直す方法です。
再構築するためには、古いビジョンの中で、残すべき部分と廃棄すべき部分が区別できている必要があります。
ビジョンの幹と枝を区別して、枝を払って、幹を残す必要があります。
この幹の部分だけをビジョンの要点として記述することがビジョンの再編成です。
執筆者が、ビジョンをどれだけ理解しているかは、再編成ができるか否かで判断できます。
物理学者のファインマンはビジョンの再編成の名手でした。彼は、物理法則を、幾何学的なイメージに変換(再構築)することを多用しています。
これも、極めて、常識的な話ですが、世の中には、ビジョンを理解できていない人が多いので、あえて取り上げる価値があります。
ビジョンを理解できていない人は、ビジョンのコピーをします。デジタル時代では、コピーは容易です。そうなると、ビジョンを理解できていない人が作ったビジョンのコピーが蔓延します。
学生の頃、いくら繰り返し教科書を読んでも理解できない部分があり、自分は、よほど頭が悪いのではないかと思ったことがあります。
そのあと、いろいろな教科書を読むことがあって、最近では、教科書の半分は、コピーで出来ていて、執筆者が理解できていないので、読んでも理解できないのは当たり前であることがわかりました。
古い世代のオーケストラの指揮者や、ピアニストは、著名な作曲家の作品でも、自分で、納得して理解できた作品しか取り上げないのが普通でした。
最近では、録音が容易になったため、全集に対するニーズが高まり、よく言えば、楽譜のコピー演奏はしない、悪く言えばえり好みをする演奏家はいなくなりました。
ビジョンは、再構築や再編成されないとヒストリーになってしまい、後の時代には、そのままでは、使えなくなります。
これは、ビジョンを理解する上で、重要な視点です。
1.20 ビジョンのヒストリーからのドロップアウト問題
(ビジョンのヒストリーをフォローアップすることは、ファクトのヒストリーをフォローアップするより難しく、ドロップアウトしやすいです)
ビジョンのヒストリーでは、ファクトのヒストリーに比べて、ドロップアウトが頻繁に発生します。
これは、ビジョンのヒストリーを理解する、ビジョンの作成能力(システム2)が必要になるためです。
例えば、新しい理論は、論文として出版された時点で、ビジョンのヒストリーになります。しかし、難しい理論の場合には、ヒストリーを理解できないドロップアウトが発生します。
ビジョンのヒストリーを理解するために必要な資質は、ビジョナリストに要求される、ヒストリーを再構築する能力と共通性があります。
例えば、ソフトウェアに実装可能なビジョンは、アルゴリズムで出来ています。これを理解するには、基本的なコーディングのルールとアルゴリズムに関する理解が基礎スキルとして必要です。アルゴリズムは、サンプルコードで示されることが一般的です。サンプルコードを読む知識は、ファクトのヒストリーの理解には不要ですが、ビジョンの作成には、不可欠です。
実例をあげます。
1990年代に、金融工学が発達して、いろいろな金融商品が発売されました。金融商品は、アルゴリズムを実装した製品です。どのようアルゴリズムが、価値を生み出すかは、ビジョンであり、システム2をつかって、作りだすしか方法がありません。
現在は、それから、30年が経過しました。しかし、日本の証券会社で、金融商品を独自開発できているところはありません。販売している金融商品は、外国の会社が開発して、製品化したものです。
1990年代に、金融商品が開発されたというファクトのヒストリーを理解することは(システム1で)容易にできます。しかし、商品の中身であるアルゴリズムを理解することは、システム1では不可能です。理解するためには、システム2を使って、独力で、基本的なアルゴリズムを考えて、実装してみるなどのスキルを積んでから、商品の中身であるアルゴリズムを精読するなどの手順が必要になります。つまり、システム2を使わない限り、ビジョンのヒストリーが理解できないので、ドロップアウトが生じます。
ディストレーニングが行われている組織では、ビジョンのヒストリーが理解できないドロップアウトが頻発します。
金融商品は、コアがアルゴリズムで出来ているので、ビジョンのヒストリーの理解に、システム2が必要なことは自明です。しかし、ビジョンのコアがアルゴリズムでできていなくとも、コアに、システム2での理解が必要な基本概念が含まれている場合には、同様なドロップアウトが起こります。
例えば、日本では、環境問題で、外来生物種の調査のような、ファクトのヒストリーを記載した論文が大量生産されています。しかし、ヒストリーは問題解決をしません。問題解決をするためには、目標とする良い環境というビジョンを明確に定めて、それに到達する手順をデザインする必要があります。また、環境の実態を把握するために、エビデンスデータを集めるためのシステム実装も欠かせません。集めたデータは、データベースに掲載されて、誰もが、必要な時に、必要な部分を取り出すことが求められます。このためには、欧米ではスマホで撮影した写真を転送して、クラウド上のデータベースに登録するシステムが、普及しています。
環境問題でも、問題解決に繋がるこれらの部分では、日本のドロップアウトが多く見られます。
環境問題を解決するビジョンは、英文で、インターネット上に公開されています。しかし、それを理解するには、「どうして目標とする良い環境を設定することが可能か」という基本概念が理解できている必要があります。生物多様性条約に関係して、「里山やため池が、目標とする良い環境」であると主張する人がいました。しかし、この視点では、欧米の生物多様性に基づく目標から出た良い環境との基本概念のずれが大きく、欧米の目標の理解は難しいです。
このようなドロップアウトは、非常に多くの分野で見られます。学術の分野では、英語の論文引用が少ない場合は、ハイリスクグループになります。ドロップアウトが発生する原因の1つは、システム1を主につかうテクニシャンと、システム2を主に使うサイエンティストが区別されていないためと思われます。
今世紀に入って、データサイエンスが著しく発展したので、システム2を使って、ドロップアウトしないで、フォローアップし続けることは、それなりのトレーニングと選抜を受けた人でないと、難しいです。努力することは、大切ですが、誰でも追いつける訳ではないことも確認しておく必要があります。
統計学では、正しい実験や調査計画に従って集められたデータ以外は、ゴミデータになりますが、計画がまずいために、ゴミデータになっている事例も多くあります。
ドロップアウトの改善方法は、個別のケースによって異なるので、まとめて論ずることはできませんが、ディストレーニングによって、ヒストリアンが優先されている場合には、問題が、重症化します。
分野によっては、日本の専門家が、ドロップアウトしていると考えざるをえないケースが見られます。
しかし、それより問題は、インターネット時代には、日本の専門家は、不要だという事実です。
英語圏であれば、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、英国などの専門家は、国籍に関係なく、専門家です。こうした専門家の発言を動画サイトで見たり、英文のWEBで読んだりすることができます。
日本のマスコミには、なぜか日本国籍の専門家が出演していますが、日本の専門家の解説を聞くより、英語圏の専門家の発言を聞いた方が、本質がわかりやすく、時間の節約になります。英語が苦手なら、自動翻訳の字幕でもかなり使えます。
ここでは、日本の専門家が、ビジョンのヒストリーからドロップアウトする問題があると書きましたが、対象を日本に限らなければ、別に、問題は存在しないと考えることもできます。
もちろん、対象を日本に限らなければ、「変わらない日本」問題は、日本に居住するという無理な前提が作り出した問題にすぎなくなるので、本書のテーマを外れることになります。
1.21 ビジョナリストの選挙と投票制度
(離散民主主義から連続民主主義へと世界が、変化する可能性があります)
オードリー・タン氏が、指摘していますが、DXは、民主主義や選挙の制度を大きく変えるポテンシャルがあります。ここでは、選挙と投票制度のビジョンを検討してみます。
1)デジタルとアナログのパラドックス
デジタルデータは、ビットに還元できる離散値をとります。デジタルデータの情報は、保存する媒体の種類には、依存しません。
アナログデータは、物理的または化学的な性質をもつ物質として保存されます。アナログデータの情報は、保存する媒体に依存します。
自然界にある信号はアナログなので、デジタルに変換するときに、情報の一部が失われると考える人もいます。(注1)
デジタルカメラとフィルムカメラ、ネット配信音楽とLPレコードを考えれば、以上の性質は理解できます。
人間の思考はアナログです。
コンピュータは、デジタルです。
そう考えると、人間の思考の方が、無理に離散化して、割り切りをしない丁寧な検討ができると思われます。
しかし、人間のワーキングメモリーは非常に小さく7個程度なので、この主張は正しくありません。
人間より、ワーキングメモリの大きなコンピュータは、はるかに柔軟な情報処理が可能です。
データを連続的に処理できるのはコンピュータで、人間には、離散的な処理しかできません。
つまり、一般的に思われているのとは逆に、ワーキングメモリーを節約するために、「人間は、コンピュータよりはるかに、デジタル化した情報処理が好き」であるというパラドックスが存在します。
人間の情報処理能力が小さいために、人間は時には無理に離散化をします。
極端な場合には、AかBか、1か0かといった2値分布にもとのデータを当てはめます。
連続分布を2値分布に当てはめれば、問題が発生するのは当たり前です。
しかし、コンピュータのアシストを使えば、この問題は回避できます。
注1:
この論理は、ノイズを無視しています。ノイズレベルより高い周波数でサンプリングしても、得られたデータに意味はありませんので、離散化でかならず元のデータの情報の一部が失われる訳ではありません。
2)選挙制度のビジョン
選挙制度は、極端な離散化が行われている例です。しかし、DXを併用すれば、無理な離散化を行う必要はありません。
1人1票という制度に含まれるビジョンを考えるべきです。
政治が、政策によって、未来への意思決定の手段であるというビジョンに立てば、投票権は、未来の変更によって受ける影響の大きさに従うべきです。
その場合には、
「1票の重みは、残存生存日数(残存寿命)に比例すべき」
です。
これは、紙と鉛筆の投票では、不可能ですが、電子投票であれば、簡単にできます。
3)投票制度のビジョン
選挙で当選した議員は、議会で投票して、議案の採決に参加します。
このときも、1人1票は、重み付け補正をしないルールです。このルールは、処理は簡単ですが、ルールを正当化するビジョンを考えることは困難です。
議員が有権者の代表として、有権者に代わって議会で投票するというビジョンであれば、
「各議員の投票には、有効投票数に応じた重みをつけるべき」
です。
現在、1票の格差をめぐって、裁判所の判決が毎回だされています。人口数の少ない選挙区を統廃合すると、地方の意見が集約されなくなるのが、1票の格差を温存した選挙割が続く理由らしいですが、各議員の投票に、有効投票数に応じた重み補正係数をかければ、選挙区割を変えずに、1票の格差をゼロにできます。
4)まとめ
選挙制度は典型的な例ですが、離散化を無理に行うと障害が多く発生します。
この分野では、ヒストリーを離れて、ビジョンを再構築する余地が多くあります。
なお、日本では、新制度を作る場合に、「特区」が検討されます。しかし、本来の「特区」は、逆に、旧制度を温存する地域に適用すべきものです。
ビジョンが成功する確率は10%もあれば良いほうです。「変わらない日本」をかえるためには、試行錯誤を繰り返すことが必要です。
2022/02/03のニューズウィークのダイアナ・チョイレーバ氏の記事は、この点では、示唆に富んでいます。この記事を読むと、日本の総理大臣は習近平氏に、似ているように思われます。
中国の開発モデルが成功する上で最も重要なもう一つの要素は、鄧小平の言葉を借りれば「石を探りながら川を渡る」こと、つまり試行錯誤を繰り返しながら政策を発展させるやり方だ。中国は特定の改革の目的について幅広い合意が得られた後、「試しにやってみる」ことでイニシアチブや改革を生み出してきた。
各種政策を省レベル、さらには全国に展開する前に、地元レベルで試験運用を行い、実験を奨励し、それぞれの現場に合わせた解決策を探ることで、中国は最善の道を見出してきた。中国が今後、ますます複雑化し、不透明さを増しつつある状況の中で成功するためには、この点で妥協することは許されない。
だが中央に権力を集中させ、国家統制を強化する習近平のやり方により、中国の開発モデルはトップダウン型に振れつつある。地方での試験運用は、ごく一部の例外を除いて検討もされない。粛清の繰り返しが政治的な疑心暗鬼を生み、地元当局者たちは既成の枠からはみ出すことを恐れている。そんなことをして政敵につけ込まれれば、キャリアが終わってしまうからだ。
引用文献
北京冬季五輪は習近平式「強権経済」崩壊の始まり 2022/02/03 ニューズウィーク ダイアナ・チョイレーバ
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/post-97994.php
1.22 DXと重要文化財
(DX対応では、文化財保存をすべきではありません)
「本来の『特区』は、逆に、旧制度を温存する地域に適用すべきもの」と申し上げました。
今回は、この点を整理してみます。
建築が老朽化した場合には、普通は、建て直しをします。
建築が重要文化財の場合には、解体して修理し、場合によっては補強材を入れます。
しかし、この方法は、建て直しの場合に比べて、膨大な時間とコストがかかります。
したがって、例外的な方法です。
日本の企業は、DXが遅れています。
この問題に対して、政府は補助金を付けていますが効果はあまりありません。
日本の古い企業は、OJT中心で、業務は文書化されておらず、責任分担は曖昧です。
この企業組織は、老朽建築のようなものです。この組織を残したまま、DXを行うことは、重要文化の解体修理と同じアプローチです。膨大な時間とコストをかけなければDXは、成功しません。
企業組織には、文化財と同じように保存すべき価値はありません。
建て直しをすべきです。
同様に、現在の「特区」は、例外的に、従来の組織やルールを温存しなくてもよいエリアになっています。
これは、「特区」以外では、従来のルールを文化財のように保全する発想です。
この指定方法では、「特区」を除く、日本中が、文化財だらけになって、「変わらない日本」が出来上がります。
「変わらない日本」を抜け出すためには、「特区」は従来のルールを文化財並みに保存するエリアだけにすべきです。
特区にならないからといって、無法地帯になる訳ではありません。
各自治体が、個別にルールを作れば良いだけです。
これについては、1.21で、ダイアナ・チョイレーバ氏の記事を引用しています。
1.23 評価とビジョン
(適正な評価は、ビジョンに基づかないと出来ません)
日野自動車は2022年3月4日、ディーゼルエンジンの排出ガス試験と燃費性能試験における改ざんを公表しました。対象車両は日野ブランドだけで11万5526台で、新車は出荷停止になりました。
このような自動車の不正は、繰り返されています。
自動車の不正は頻発するので、不正のチェックの手順は決まっていて、定期的にチェックされているが、それでは、不正は防げないという状態と思われます。
不正のチェックは評価の1種です。
ここで、問題にしたいのは、評価は何のためにするのかという点です。
評価は、全体のビジョンの中で位置付ける必要があります。
評価の結果を何に使って行くのかをデザインしておく必要があります。
逆にいえば、ビジョンのない評価は危険です。
評価は、計画にフィードバックする必要があります。
1950年代に、品質管理の父といわれるW・エドワーズ・デミングが提唱したPDCAフレームワークを例に、評価を考えます。
PDCAは、「Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act/Action(改善)」のステップで進み、最後のAct/Action(改善)の結果が、次のPlan(計画)にフィードバックされます。DoとAct/Actionが、混乱を招きやすいですが、計画を実行するのはDo(実行)で、Act/Action(改善)は、実施が計画に沿っていない部分を調べて計画を改善します。この改善は、次のPlan(計画)に反映されます。Act/Action(改善)は、「実施が計画に沿っていない部分」を対象に行われます。つまり、Check(評価)は、「業務の実施が計画に沿っているかを評価」するのですが、その目的は、「実施が計画に沿っていない部分」を抽出することにあります。
つまり、Check(評価)は、計画通りに進んでいない悪いところを抽出するために行われます。
PDCAのCheck(評価)が、この方向で行われていれば、日野自動車の不正はありえません。不正は、「ディーゼルエンジンの排出ガス試験と燃費性能試験結果の改ざん」です。このデータは、「実施が計画に沿っていない部分」を抽出しましたので、意味のある評価がなされています。この評価は、Act/Action(改善)とPlan(計画)を通じて、エンジンの設計変更になるはずです。ところが実態は、エンジンの設計変更をしないために、データが改ざんされています。
このように、PDCAのサイクルを止める原因は、無謬主義にあると推測されます。組織内に、無謬主義がはびこると、データ改ざんの不正が繰り返されることになります。
無謬主義は、フィードバックしないので、データを必要としません。これが、データ改ざんが起こる理由です。また、官庁のデータ公開が進まない理由でもあります。
無謬主義がある組織は、Plan(計画)の改訂をしませんので、ビジョンのヒストリーからのドロップアウトも発生します。
1.24 ビジョンとビジョンもどき
(問題解決を目指さないビジョンもどきと問題解決を目指すビジョンは、区別されるべきです)
「ヒストリー対ビジョン」というフレームで、物事を整理する場合に、注意すべき点があります。それは、問題解決を目指さないアイデアにビジョンという名前をつける事例があることです。
ここで、ビジョンを振り返ってみます。ビジョンは、問題解決のための展望であり、ビジョンに従って、手順を組み立てていけば、問題が解決できると思われるアイデアです。
もちろん、実施段階で、ビジョンが予想通りに展開せずに、問題解決ができない場合もあります。
それでも、ヒストリーを繰り返すよりは、ビジョンの方が、問題解決に至る確率が高いと考えられます。
本来、ビジョンは、問題のあるところに存在する性質のものですが、全く異質なものを、ビジョンと呼んでいる例もあります。
国土利用計画のサブセットとして、都市計画区域マスタープラン(正式には、「都市計画区域の整備、開発及び保全の方針」)を定めるルールになっています。
これはマスタープランであって、ビジョンではありません。ビジョンは、問題を特定して、その解決方法を提示します。ビジョンのサブセットとして、ロードマップが描かれ、ロードマップが個別に実施されることで、問題が解決されます。
都市計画区域マスタープランは大切です。しかし、そこで、ビジョンという単語を乱用することは望ましくないと考えます。
都市計画法では、自治体に都市計画のビジョンを作ることを求めていて、コンサルタントが仕事を請け負って、「ビジョン」という表紙のついたレポートを作成します。
こうした、「ビジョン」と書かれたレポートを見慣れていると、これがビジョンだと思っている人が多いと思いますが、これは、ビジョンもどきであって、ビジョンではないと思います。ビジョンもどきのつくり方は以下です。
(1)過去の計画、マスタープランの歴史を取りまとめる。
(2)住民アンケートを行い、要望を吸い上げる。
(3)過去の計画を一部修正して、新しいマスタープランに、ビジョンと名前をつける
これは、ビジョンの歴史を調べて、その延長線を引く、フォーキャスト作業であり、ヒストリアンの手法です。つまり、ビジョナリストの手法ではありません。
たとえば、高齢化で自動車の運転が出来ない人がいます。田舎では、公共交通は少なく、運転ができないと、移動ができなくなります。
高齢者の移動手段を確保することが問題であれば、それを解決するビジョンは、マスタープランの作成ではなく、自動運転の自動車を開発することです。
都市計画区域マスタープランの作成のガイドラインには、ビジョンという単語を使う指定はなさそうです。しかし、理想の将来の都市像をビジョンと呼んでいるマスタープランも多いようです。理想の将来の都市像には、実現のための手順が含まれませんので、問題解決を目指していません。都市計画区域マスタープランには、問題解決の手順を書くルールにはなっていませんので、そのこと自体に問題はありません。
しかし、多くの問題は、誰かがどこかで、問題解決に向けたビジョンを作って動き出さなければ、解決しません。
少子化の問題も、30年以上前から指摘されていましたが、結局、誰も、都市計画マスタープランに、ビジョンを描けず、動きだしていません。「変わらない日本」が実現しています。
都市計画マスタープランは、一つの例で、同じような意味で、ビジョンという単語を使っている例は多くあると思います。
しかし、「変わらない日本」から脱却するためには、ビジョンに真摯に向かうことが必要なので、できれば、問題解決をする本来のビジョンと、問題解決を目指さないビジョンもどきは区別すべきだと考えます。
例えば、本書の読者が、ビジョンの意味を、問題解決の手順を含まない望ましい将来像であると勘違いされると、ここで書いている論点は、全く理解できなくなります。
そうした事態は、出来れば、回避したいです。
フェースブックは、社名をメタに変え、メタバースを新しいターゲットにしました。
その結果、「メタバース」が、フェイスブックの新しいビジョンの名前であることは、広く知れ渡りました。
しかし、知れ渡ったのは、ビジョンの名前であって、ビジョンではありません。メタ―バーズのビジョンは、ザッカーバーグの頭の中にあります。ザッカーバーグ以外は誰も、その全容はわかりません。
ビジョンを推定するヒントはあります。なので、「メタバース」の3割くらいは、こんなものかと推定している人はいます。
ビジョンは、バックキャストして、ビジョンを実現するための手順を含みます。手順を伴わないものは、ビジョンではありません。
アップルが、アップルカーを作るという話は、以前からあります。ビジョンは、ティム・クックの頭の中にあります。おそらく、ティム・クックは、テスラより、競争優位なEVをつくることができるという明確なビジョンを探していると思われます。それが、明確なビジョンになった時点で、アップルカーがスタートすると思われます。
アップルは、アップルウォッチを作って売っています。ウェアラブル・コンピュータの時代が来るとは、10年以上前から言われていました。「ウェアラブル・コンピュータの時代が来る」というのは、ビジョンではありません。それは、どのようなエコシステムの製品にまとめれば、競争優位にたてられるかというビジョンがあって、初めて、市場のシェアをえることができます。
このように、ビジョンの名前と中身を区することは重要です。「ウェアラブル・コンピュータ」という名前を唱えても、問題は解決しません。アップル・ウォッチの成功は、iPhoneで構築したクラウドネットワークのエコシステムに大きく依存しています。スマホの無線システムなしには、アップル・ウォッチの機能は実現しません。「ウェアラブル・コンピュータ」を聞いたときに、それを実装するために、必要なエコシステムのビジョンを描いて、階段をのぼることができた企業だけが生き残ります。
ビジョンは、過去の歴史から作ることはできません。過去の歴史は、ヒントになることもありますが、ビジョン作成の阻害要因になることもあります。
コンピュータのシステムが、人間の作業を代替する時代は、10年前に終わっています。コンピュータは、新しいエコシステムで、そこに、人間や企業が移住する時代です。エコシステムが変わる場合には、ヒストリアンの手法は、ぼぼ、全滅します。
あまりに、この条件に当てはまる事例が多すぎて、列挙することもはばかられます。
現在は、ヒストリアンのつくったビジョンの歴史や、ビジョンの名前が氾濫して、本来、検討すべき、ビジョンがないがしろにされています。
この方向が行き詰まるのは、時間の問題です。
1.25 OODAループとビジョン
(OODAには、ビジョン作成のノウハウが含まれています)
PDCAサイクルの話をしたので、ウィキペディアを引用して、類似の概念のOODAループにも言及しておきます。
1)OODAループの概要
OODAループは、航空戦に臨むパイロットの意思決定を対象に、アメリカ空軍のジョン・ボイド大佐により提唱されました。最近では、あらゆる分野に適用できる一般理論 (Grand theory) とみなされています。
OODAループは、観察(Observe)- 情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)- ループ(Implicit Guidance & Control, Feedforward / Feedback Loop)によって、健全な意思決定を実現します。
(1)観察 (Observe)
自分以外の外部状況に関する「生のデータ」 (Raw data) を収集します。
(2)情勢への適応 (Orient)
「生のデータ」をもとに情勢を認識し、意思決定者は、5つの要素から構成される「判断のための装置」をつかって「価値判断を含んだインフォメーション」として生成します。
OO-OO-OOスタック
組織のレベルで、複数の意思決定者が存在する場合、各人の「判断のための装置」の違いにより、「価値判断を含んだインフォメーション」の間に齟齬が発生し、OODAループがこの段階で止まってしまい、次の「D」に入れない場合を指します。
(3)意思決定 (Decide)
「情勢への適応」段階で判断された情勢をもとに、行動として具体化するための方策・手段を選択し、方針・計画を策定します。
(4)行動(Act)
「意思決定」段階で採択された方針に基づいて、指揮官の意図・命令を踏まえて、実際の行動に移ります。
(5)暗黙の誘導・統制とループ(Implicit Guidance & Control, Feedforward / Feedback Loop)
ひとつのOODAプロセスの最後にあたる「行動」(Act)の結果は、直ちに次の「観察」(Observe)の段階で評価され、次の意思決定に反映されることで、ループを描くこととなります。
コメント:OO-OO-OOスタックの説明は、組織に複数の意思決定者が存在する場合には、各人が、「情勢への適応 (Orient)」を行うことを前提としています。つまり、国会答弁で、「専門家の委員会に図って検討してからお答えします」という反応の対極にあります。OODAループは、航空戦を基に、開発されていますので、「専門家の委員会に図って」いたら、撃墜されてしまうということと思われます。
2)システム1とシステム2
ボイドのOODAループの最終版では「暗黙の誘導・統制」により「意思決定」を飛ばして進むことが理想的とされており、順序通り進められるのは、暗黙的な指示が十分でないときに限られます。これは、大部分の意思決定は暗黙的になされており、またそうあるべきであることを意味します。多くの場合、明示的な意思決定の必要はなく、情勢判断が直接行動を統制します。ビジネススクールで典型的に教えられるタイプのフォーマルな意思決定は、経験が浅いときにのみ必要とされるにすぎません。
コメント:上記の記載から、OODAループは基本的に、システム1を前提としていることがわかります。「ビジネススクールで典型的に教えられるタイプのフォーマルな意思決定は、経験が浅い」というより問題が複雑で、システム2を使わざるを得ないためと思われます。言い換えれば、OODAループはシステム2でも使えると思われます。
もうひとつの留意点は、OODAループは朝鮮戦争の航空戦を元に作られていることです。このころは、大量のデジタルデータを保存して、解析することができませんでしたので、エビデンスに基づく解析結果ではなく、経験に基づく直感(システム1)を使わざるを得ませんでした。データサイエンスの進歩を反映して、この部分は再構築すべきです。
3)ループの速度
OODAループのテンポが速いということは、彼我の状況に即応し、迅速に行動を修正できるというだけでなく、敵との関係で主導権を握ることにもつながります。主導権を握り、自己のOODAループを高速回転させ、更なる行動を繰り出すことで、敵はその対応に忙殺されて本来あるべきOODAループを作動することができなくなり、心理的に追い詰められることになります。
コメント:これも、国会答弁で、「専門家の委員会に図って検討してからお答えします」という反応の対極と思われます。OODAループは、今ではシリコンバレーをはじめとする欧米のビジネス界でも基本戦略として採用されています。これは、シリコンバレーでは、OODAループのテンポの速さが決定的な意味を持つからと思われます。
4)まとめ
OODAループから、システム1とシステム2の区分は、今まで論じてきたより、複雑だと思われます。ただし、OODAループで問題にしているシステム1は、航空戦で瞬時に行うレベルのもので、ヒストリアンの前例主義とは、反応速度が違いますので、今までの検討を覆すものではないと考えます。
ボイドは、日本のトヨタ生産方式はOODAループだと言ったようですが、EVへの対応をみていると、OODAループのテンポが速いとは思えません。
いずれにしても、第1章では、OODAループのような迅速な意思決定の問題は、扱ってきませんでした。それは、「変わらない日本」問題では、変化の速度より、ともかく、動き出すことを優先して考えたからです。国際競争に生き残るには、動きだすだけではダメで、次のステップに進むための要件も考える必要があるでしょう。
引用文献
OODAループ ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/OODA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
1.26 ビジョンと民主主義
(適切なビジョンと民主主義は不可分な関係にあります)
問題を解決することは、悪いところ(問題点)を見つけて、改善する解決策(ビジョン)を作成して実施することです。
対象となる事象が、誰かの活動の結果で生じていれば、問題点の発掘は、その活動主体に言及することになります。
問題点の発掘は、エビデンスに基づくことが望ましいのですが、日本では、評価を避けるために、エビデンスを測定し、保存していません。こうなると、ある程度の推測を含んだ判断をせざるを得ません。
客観性の担保は難しいのです。問題点の発掘は、拡大解釈すれば、誹謗や中傷であると言われても、問題点の発掘がエビデンスに基づいていない以上、完全に否定はできません。
しかし、筆者の問題意識は、個別の事象に関与した個人の行動にあるのではなく、活動、評価、改善の問題解決のフレームワークにあります。
「変わらない日本」から抜け出すことは、健全な問題解決のフレームワークを形成することに他なりません。エビデンスをどうとっていくか、エビデンスが何故不必要だと判断されてしまうのか、を問題にしないと先に進めません。
これは、社会科学の研究基盤問題でもあります。
エビデンスに基づかない人治主義は、独裁につながり、民主主義とは相いれません。エビデンスに基づかないと忖度が、蔓延します。忖度を許容する社会は、独裁につながります。その先には、戦争が待っています。
「変わらない日本」から抜け出すことは、誹謗や中傷を避けた上で、健全な批判やクリティカル・シンキングを許容する社会の構築に他なりません。また、これは、民主主義を維持する課題でもあります。
民主主義は、独裁を避けて、皆で、議論をして、解決策のビジョンを探索して、実行する手順です。解決策の議論には、エビデンスが不可欠です。エビデンスがない場合には、どうしてエビデンスを計測、保存、公開したら良いかを議論しなければなりません。
「変わらない日本」問題の背景には、日本の民主主義の未熟さがあり、これは、改善しなければなりません。
1.27 対ロシア宥和政策の課題~2030年のヒストリアンとビジョナリスト
(対ロシア宥和政策の変更は、日本の今後の進路を大きく左右します。しかし、現状は、ビジョンを持って、この問題が論ぜられていると言えず、今後、日本が危機的な状況に陥る可能性があります)
民主主義は、エビデンスに基づいて、皆で、議論して、解決策のビジョンを探索して実行するプロセスです。新しいエビデンスが、解決策が失敗していることを示していれば、更に、議論を行いビジョンを修正します。
エビデンス、議論、ビジョンの修正は、民主主義の根幹をなす要素です。
独裁体制か、民主主義かは、ビジョンの修正過程をチェックすれば、判断できます。
2022年時点で、世界の国の政治体制を分類すると、民主主義は、50%を切っていて、独裁体制または、それに準ずる非民主的な政治体制が主流です。
マキャベリが指摘したように、政治には、力(軍事力)による正義の側面がありますので、ある程度の妥協はつきものですが、逆に、民主主義を維持することは容易ではありません。
1)宥和政策
独裁体制とそれに準ずる非民主的な政治体制を以下では、「独裁体制」とまとめて表現します。
なお、独裁体制は、軍事クーデターで成立することが多いですが、選挙という民主的な手段を経て、成立することもあります。一旦、独裁体制が成立すると選挙には、中立性がなくなり、議会からは、野党がいなくなります。また、独裁には、個人の独裁と集団独裁があり、後者の場合には、一見すると独裁とは見えにくくなります。
独裁体制の国が半数を超える現実から、民主主義の国は、常に、独裁体制の国とどのように付き合って行くのかという問題に直面します。
独裁体制も、無政府状態よりはマシなので、平和と常識的な対応が期待できると考えて取引し、協力する政策が宥和政策です。
2022/03/24のNewsweekで、コリン・ジョイス氏は、最近の対ロシアと昔の対ヒトラーの宥和政策を比較しています。(一部要約編集)
「宥和政策」は、今では「いじめや攻撃に意気地なく屈する」との意味合いがある汚い言葉です。1930年代には、この言葉はむしろ「外交を通じて国際問題を解決し平和を達成する」という意味でした。イギリスもフランスも、第1次大戦後のベルサイユ条約はドイツに対して、不当なまでに敵対的な規制を課しているとして、宥和政策を進めました。英仏は、ベルサイユ条約の規制を緩和し、ドイツが対等な国家の地位を取り戻せば、ドイツは国際的な友好姿勢に向かうと考えました。
ネビル・チェンバレン元英首相は、ヒトラーに対する「宥和政策」として、1938年にドイツのズデーテン地方併合を認めました。ヒトラーが残りのチェコスロバキアの領域を1939年3月に占領した際、チェンバレンは宥和政策を180度転換し、イギリスでも再軍備を始めました。ドイツがポーランドを侵略した1939年9月にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告しました。
ここ20年の各国は、プーチンのロシアに対し、宥和政策の歴史を繰り返しています。僕たちはプーチンを、まともに扱える人物だと判断し、平和と常識的な対応を期待してロシアと取引し、協力してきました。これまでの侵略行為(ジョージア、クリミア、ロシア国外ですら実行する暗殺)に対して、各国は、言葉は非難しましたが、緊張を「悪化させ」てはいません。
そして今、全く道義に外れるウクライナ侵攻が起こって、僕たちはプーチンの本性と、宥和政策の結果に、怒りを覚え、裏切られた思いでいます。
トランプ前大統領のときに、アメリカは、対中国の宥和政策から離脱しました。アメリカと中国の貿易量は、依然として増加しており、この政策は、2022年現時点では、実効性が疑われています。とはいえ、対中国の宥和政策からの離脱は、民主党のバイデン大統領にも引き継がれています。人権問題のある政権に対して、宥和政策から離脱するという意思決定は、政党を越えて共有される価値観になっています。
アメリカとイギリスは、ウクライナ危機に対して、対ロシアの宥和政策から離脱していますが、これは、エネルギー資源に占めるロシアの依存度の割合が低いために可能になった側面があります。
民間では、英シェルと米石油大手エクソンモービルは、ロシア事業からの撤退を決めています。
ドイツのメルケル前首相は、「欧州の病人」と 揶揄 されたドイツ経済を復興させました。メルケル前首相は、対ロシアの宥和政策を推し進め、ノルドストリームとノルドストリーム2の天然ガスのパイプラインを実現します。しかし、これは、エネルギーのロシアへの依存度を高めます。
2022/02/24に、ロシアのウクライナ侵攻が始まります。
2022/02/27に、2021/12に就任したばかりのドイツのオラル・ショルツ首相は、国防費を国内総生産(GDP)比で2%以上へと大幅に引き上げると確約し、ドイツがウクライナに武器を直接供与する方針を示します。これで、メルケル前首相がレールを引いたロシア宥和政策は、終わります。
1か月の2022/03/25に、ロイターは次のように伝えています。
[ベルリン 25日 ロイター] - ドイツのハベック経済相は25日、ロシア産の石油がドイツの石油輸入に占める割合は侵攻前の35%から25%に、ガスは55%から40%に、石炭は50%から25%にそれぞれ低下したと述べました。
(中略)夏までにロシア産のガスの割合は24%に低下し、2024年夏までにロシアへの依存からほぼ脱することができるとの見方を示しました。
2)日本の宥和政策
2022/03/03のJIJI.COMによると日本の関連するロシアのエネルギー開発では、サハリン1(米エクソンモービル、サハリン石油ガス開発(東京)30%)、サハリン2(英シェル、三井物産12.5%、三菱商事10%)から、米国のエクソンモービルと英国のシェルの撤退が決定しています。2022/03/02に、三井物産の安永竜夫会長は、記者団に、ロシアでのエネルギー事業を「継続するかどうかも含め政府と協議している」としましたが、態度は未定でした。
2022/03/025のロイターは次のようにつたえています。
[東京 25日 ロイター] - 松野博一官房長官は15日午後の会見で、極東ロシアの石油・天然ガス開発事業「サハリン1」とロシアで日本企業が参画している石油・天然ガス開発事業「サハリン2」について、自国で権益を有し、長期的な資源引き取り権が確保されており、市場でエネルギー資源を購入することとは安全保障上の意味合いが異なるとの見解を示した。
その上で、エネルギー安全保障の確保へ万全を期しつつ、ロシアへのエネルギー依存度を引き下げるという主要7カ国(G7)首脳声明における合意の達成に向けて「さらなる取り組みを進めていく」と述べた。
国際エネルギー機関(IEA)は24日にパリで閣僚理事会を開き、エネルギー安全保障を強化するため、ロシア産エネルギーへの依存度を削減し、クリーンエネルギーへの移行を加速させていくことで合意した。日本からは萩生田光一経産相が参加した。
この合意に関連し、松野官房長官はこの日の会見で、今回の合意を受けて日本として、再生エネルギーや原子力を含めたエネルギー源の多様化やLNG(液化天然ガス)投資によるロシア以外での供給源の多角化などに取り組んでいくと説明した。
この記事は、要約しようとしましたが、意味が不明で、手が入れられないので、原文のママです。
ドイツは、2022/02/27に、対ロシア宥和政策の撤回を決定して、1月弱で、ロシアへのエネルギー依存を可能な範囲で、削減しました。
日本政府は、「ロシア即時撤退」を求める2022/03/02の国連決議に賛成しています。
ロシアは、日本を「非友好国リスト」に指定しています。
この時点で、日本の対ロシア宥和政策は、撤回されているように見えます。
その前提に立てば、「自国で権益を有し、長期的な資源引き取り権が確保されており、市場でエネルギー資源を購入することとは安全保障上の意味合いが異なるとの見解」は意味不明です。
2022/03/29のJIJI.COMは、「資源と国際協調、両立苦慮 対ロシア制裁で岸田政権」というタイトルで、上記に続く官房長官の会見を「松野博一官房長官は28日の記者会見で、サハリン1、2の権益を維持する考えを強調した」と要約しています。
岸田政権の対応を「岸田政権は、ウクライナ侵攻を続けるロシアに対し、先進7カ国(G7)と協調して圧力を強めていく方針だ。ただ、エネルギー分野ではロシア極東サハリンに持つ原油・天然ガス権益を手放さない構え。仮に撤退すれば、電気料金や物価高騰などの形で国民生活に跳ね返る恐れがあるためで、国際協調と資源確保の両立に苦慮している」とまとめています。
2022/03/31の日本経済新聞は、「首相、サハリン2『撤退しない方針』 LNG安定供給重視」 と伝えています。
2022/04/01のJIJI.COMは、「ガス代金、ルーブル払い拒否 サハリン1も撤退せず―参院本会議で岸田首相」と伝えています。
2022/04/1のNewsweekは「日本は、主要7カ国(G7)での合意に沿って、ロシアへのエネルギー依存度を徐々に引き下げる方針だ。これが日本の基本的な立場だ」としています。
ここにあるのは、ヒストリアンの視点です。「先進7カ国(G7)と協調」と「ロシア極東サハリンに持つ原油・天然ガス権益」の2つのヒストリーの延長で物を考えています。「国際協調と資源確保の両立に苦慮」というのは、ヒストリアンの延長で問題解決を図っています。しかし、ヒストリアンの思考では、「国際協調と資源確保を両立」する解は求まりません。
JIJI.COMによると「自民党幹部は、ー権益をほしい国はいくらでもある。日本はずる賢く立ち回らなければならない、ーと語った」そうです。
ここには、宥和政策外交を切り替えるか、戦争回避をどうするかという視点はありません。あるいは、宥和政策によるエネルギー依存は、不安定でリスクが高いという視点が見えません。
思考は、完全にヒストリアンの中に止まっています。
4月に入って、ルーブルで支払いの話が出てきてプランBの検討が始まっていますが、ビジョンに従ったシナリオ検討がなされているとは言えず、ヒストリアンの視点を抜けていません。
2022/04/1のNewsweekは、次のように報道しています。
「プーチン大統領が突然、天然ガスの対価をルーブルで支払うよう要求するなど、ロシアのエネルギー戦略は不透明感が強く、読みにくい。『プランB』として、供給が止まった場合の対応策を官民でも議論している。「資源エネルギー庁幹部は、需要側に対応を求める『節電』などには否定的で、『工場の操業が下がったり、国民生活にも影響が出る』として、あくまで最後のカードとして考えているという。一方、専門家からは、調達にめどがつく間は、需要を減らす算段を付けるべきというより厳しい見方も出ている」
2022/02/27のドイツの対ロシア宥和政策の停止と軍備増強は、前後ドイツ外交のもっとも大きな転換点とも言われています。(注1)
それから、1か月、上記の記事を見る限り、日本では、対ロシア宥和政策が、議論・検討された痕跡はありません。1か月たっていますので、議論・検討の結果、対ロシア宥和政策を続けるという選択もありえます。NATOの中でも、ハンガリーの外相は、親ロシアを維持したいといっています。問題は、ビジョンの検討ができないのではないかという疑問です。
ドイツのエネルギー政策は、2011年に、福島の原発事故を受けて、メルケル前首相が、原子力発電の中止を決めました。今回は、10年ぶりの大転換になります。
日本は、福島の原発事故の後も、ドイツのようなエネルギー政策の大きな変更はしていませんが、実質的な原子力発電所の稼働率は低いままです。今回も、今後のエネルギー供給の方向性は、明示されていません。このあたりにも、ドイツに比べれば、日本は、なし崩しで、ビジョンがないと感じられます。
日本の国会で、議論されていたのは、ガソリンの補助金という末節の問題です。
対ロシアへの宥和政策からの離脱は、ロシア以外の人権問題や、軍備拡張に問題のある国に対する宥和施策にも影響を与えます。
台湾が、ウクライナに似ているという人もいますが、ロシアがウクライナに核ミサイルを発射する前に、北朝鮮から、日本に核ミサイルが飛んでくる可能性もあります。それは、ロシアが国際的に、追いつめられると、北朝鮮も、国際的に更に追いつめられますので、ありうるシナリオです。
天安門事件に対する日本の対応は、宥和政策そのものでしたので、宥和政策からの離脱を考えるのであれば、天安門事件に対する日本の宥和政策の再評価をしなければ、先に進めません。
天安門事件に対する日本の宥和政策の再評価は、ビジョンによる歴史の再構築作業そのものです。
天安門事件に対する宥和政策を妥当であったと判断するのであれば、対ロシアに対する宥和政策だけから離脱するのは、公平さを欠いています。
3)政策とビジョン
霞が関文学などと呼ばれるように、意味不明の国会答弁を行い、意思決定を明らかにしない方法は、国際社会、特に、民主主義国会の間では信頼を失います。また、外交上に有利な立場を維持することができません。
国内向けと海外向けにビジョンを使い分けるべきではありません。
天安門事件からの日本の外交は、なし崩しに宥和外交を進めてきたようにみえます。
これは、まず、大きなビジョンをつくって、その傘の下に、プロセスを配置することができないことを意味します。
日本に、ビジョンがなくとも、国際外交で、ある程度の支持が得られたのは、援助金の大きさが物をいっています。しかし、日本経済の世界経済に占めるシェアは、急速に低下しており、今後は、金額に物を言わせる外交は継続できません。
こうして、ヒストリアンが跋扈して、ビジョンに基づく政策が提案されず、現状の宥和政策がなし崩しに継続され、ビジョンをつぶして廻っているように思われます。
ウクライナ侵攻について、アメリカの大統領がトランプであれば、侵攻は起こらなかったとか、ゼレンスキー大統領が、ロシアを煽った側面があると指摘する識者と呼ばれる人もいます。指摘は妥当なのかも知れませんが、それらの発言は、問題解決のビジョンとは関係がありません。今回のウクライナ侵攻の背景には、宥和政策からの離脱があります。もはや、宥和政策に後戻りは出来ないように思われます。宥和政策からの離脱を前提の上で、問題解決のビジョンを描くことは、簡単ではありませんが、そこにしか、道はないと思われます。
注1:
ビジョナリストは、先に期限を決めて、バックキャストしてスケジュールを調整します。
ヒストアンは、期限を決めないで、フォーキャストして、スケジュールを曖昧にします。
この中間に、ヒストリアンが、フォーキャストにも関わらず、目くらましのスケジュールを設定する例外があります。
引用文献
ロシア産ガス、供給停止に備え日本で「プランB」議論 最終的には世界で争奪戦突入か 2022/04/1 Newsweek
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/04/b.php
ガス代金、ルーブル払い拒否 サハリン1も撤退せず―参院本会議で岸田首相 2022/04/01 JIJI.COM
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022040100500&g=pol
首相、サハリン2「撤退しない方針」 LNG安定供給重視 2022/03/31 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA313VQ0R30C22A3000000/
日本勢、判断難しく サハリン資源開発―米欧相次ぎ撤退、継続に逆風 2022/03/03 JIJI.COM
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022030201276&g=eco
プーチンで思い返す対ヒトラー「宥和政策」の歴史 2022/03/24 Newsweek コリン・ジョイス
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2022/03/post-239.php
ドイツ、ロシア産エネルギーへの依存度が大幅低下=経済相 2022/03/25 ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-germany-energy-idJPKCN2LM0YO
サハリン1・2の権益、市場調達と意味合い異なる=対ロ制裁で松野官房長官 2022/03/25 ロイター
資源と国際協調、両立苦慮 対ロシア制裁で岸田政権 2022/03/29 JIJI.COM
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022032800998&g=pol
1.28 脱宥和政策を超えて
(脱宥和政策に伴うビジョンの再構築は、国際平和にかかわる根源問題です)
脱宥和政策、宥和政策からの撤退問題は、非常に重要な課題ですので、もう少し検討してみます。
1)宥和政策の継続の可能性
宥和政策の継続の最大の論点は、対ロシア宥和政策ではなく、対中国宥和政策です。
2022/03/26のハンギョレに、パク・ミンヒ氏は、強硬派の立場を代弁する胡錫進前「環球時報」編集長の20日の微博への投稿を紹介しています。「ロシアがパートナーになれば、中国は米国のエネルギー封鎖を恐れる必要もなく、食糧と原材料供給も保障される。台湾海峡または南シナ海で中米間の戦争が勃発した場合、中国は米軍を制圧する力を徐々に蓄えてきており、ロシアは米国を敵視するスーパー核能力を持っているため、米国が核で中国を威嚇するのは困難であろう」
つまり、中国は、対ロシア宥和政策を継続することで、大きな利益を得ています。
2022/03/27のNEWSポストセブンで、日野百草氏は、商社マンの話として、次のように書いています。(編集要約)
あわよくば中国のように、経済的損失は避けたい思惑があり、お互いの出方を伺っているアメリカとEUと同じように日本政府は、ロシアへの経済協力予算21億円をちゃっかり2022年度予算案に盛り込んだ。商社マンは、「ロシアに制裁しながら援助予算はキープでガス田開発ものらりくらり、ウクライナは本当に可哀相ですがこれでいいと思います」と言う。
これは、対ロシア宥和政策の継続に他なりません。つまり、現状維持のヒストリアンの立場です。
宥和政策から撤退する理由は、宥和政策では、戦争を回避できないという現実にあります。
欧米と日本、オセアニアが、対ロシア宥和政策から撤退すれば、対ロシア宥和政策を続けている中国やインドが経済的利益を得るのは、当然のことです。
2022/03/29 FNNプライムオンライン (BSフジLIVE「プライムニュース」3月28日放送)で、真田幸光 愛知淑徳大学教授は、反町理キャスターの「英米が本当に睨んでいるのがロシアの先の中国であるとすれば、日本はどのようについていけばよいのか」という質問に、次のように答えています。
「難しい。日本の最大の同盟国はアメリカで、価値観の共有という意味ではきちんと合わせる必要があるが、先んじて対露制裁や中国へ何らかの動きをし過ぎると、はしごを外される危険性がある。また場合によっては、世界の中でかなりの実体経済を握る中国の側が勝つ可能性もある。どう転ぶかわからず、とりあえず様子を見るのが生き延びる手だて」
この発言もヒストリアンの視点です。
歴史に見るロスチャイルド家の対応は、「とりあえず様子を見て」いません。
対立する勢力のどちらが生き残るかわからない時には、ファミリーを2分して、どちらかが残る戦略を採ります。
株式運用で、リスク分散する発想です。
日本には、米軍が駐留していますから、軍事バランスで、選択の余地はありませんが、そのことを傍に置いても、「とりあえず様子を見る」という発想は、どこかに正解があるという暗黙の前提をとるヒストリアンでなければ、あり得ません。(注1)
次のステップは、対ロシア宥和政策を続けている国に対する外交政策にシフトします。
対中国宥和政策、対インド宥和政策が問題になります。
人権の自由を優先する民主主義は、短期的な経済合理性とは相いれない部分があります。しかし、短期的な経済合理性を優先して、人権の自由を無視すれば、中長期的な経済にダメージが及びます。たとえば、戦争による経済的なダメージは、膨大なものです。
宥和政策の継続の検討は、戦争リスクとのバランスで評価する必要があります。
中国は、香港を軍事力で、支配しました。次は、台湾に軍事力を使う可能性が指摘されています。韓国と日本は、ポーランドやバルト3国に似ていると考える人もいます。
もちろん、ウクライナ侵攻が起こるまで、宥和政策に伴う、戦争リスクは低いと考えられていました。しかし、実際に、侵攻が起こったというエビデンスによって、戦争リスクの値は、更新されています。
また、ロシアは、ロシアから撤退した海外企業を国有化するといっています。
これは、宥和政策を継続した場合、海外企業が没収される可能性があることを示しています。
中国でも、アリババのような中国企業に対して、ビジネスルールの変更が求められました。まして、海外企業に対しては、将来、アリババ以上に、大きなビジネスルールの変更が求められるリスクがあります。
宥和政策を継続するか否かは、将来の戦争や、ビジネスルールの変更のリスクを勘案して、決める必要があります。
そして、ドイツは、宥和政策の撤退という方向に、外交政策を変更しました。
アジアでは、ウクライナのような紛争は、現在、発生していませんので、日本は、直ぐに、宥和政策を撤退するか、否かを決める必要はありません。
とはいえ、日本は、表向きは、対ロシア宥和政策から撤退しています。表向きというのは、ロシアへの経済協力21億円が2022年予算に組み込まれていること、サハリン1とサハリン2に対する輸入の切り替えを明示せず、輸入を継続しています。
本書で繰り返しているヒストリアンとビジョナリストの視点で、この問題を整理してみます。
(1)ドイツの宥和政策の変更
ドイツの政策変更には、まず、宥和政策の転換というビジョンがあります。
これに合わせて、エネルギー供給源のロシア依存を段階的に下げて行きます。
これは、エネルギー価格の上昇を伴います。
(2)日本の宥和政策の変更
前節でみたように、3月末で、日本政府は、日本の宥和政策を変更するか否かのビジョンをだしていません。
これが、未だ、ビジョンを出していない、そのうちに、白黒を、はっきりしたビジョンが出て来ると期待できるのであれば、うれしいです。
しかし、「ヒストリアン対ビジョナリスト」という視点にたてば、ヒストリアンの政策決定者は、ビジョンを描くことができないので、待ってもビジョンは出てこないことが予想されます。
これは、2つのリスクを抱えます。
(1)脱宥和政策をとる先進国グループからの信頼を失い、外交上不利になる可能性があります。
(2)戦争が起こるリスクが増大します。
2)冷戦後の世界と宥和政策
対ロシア宥和政策が使われる前の状況を振り返って見ましょう。
世界は、資本主義国と社会主義国に分かれ、その間には、経済的な取引は、ほとんどありませんでした。
資本主義と社会主義は、イデオロギーが違うので、政策運営について、話し合いができるとは思われていませんでした。
ソ連の崩壊前後で、大きな変化が現れます。
典型は、社会主義市場経済です。
社会主義は、資本主義で、資本家に富が集中することで、それまでの身分制度が、資本家と労働者に置き換わると考えます。身分制度社会では、王侯貴族が、不労所得を得ていたのが、公平性に反すると考えますが、資本主義では、資本家が、王侯貴族に、入れ替わると考えます。ですから、資本家は悪者です。所得の移転は、市場を通じて行われます。このため市場経済を導入すれば、資本家が発生します。
中国やベトナムの社会主義市場経済、ソ連の崩壊は、今までの冷戦構造を宥和政策に切り替えるきっかけになりました。宥和政策の結果、資本家が発生します。
2021/03/17のAFPBBによれば、「2021年胡潤世界富豪ランキングでは、世界の10億ドル(約1091億円)以上の資産を持つ企業家は、3228人で、中国人企業家は1058人で、米国の696人を上回り、 中国は6年連続で最も富豪が多い国となっています」
2020年のフォーブスの富豪の国籍別人数(独裁者や王室は除く)は、アメリカ614人、中国389人、ドイツ107人、インド102人、ロシア99人、香港66人となっています。第1位は、アメリカですが、3位以下と、大きな差があります。日本は、14位26人で、シンガポールと同列で、アジアでは、中華民国10位36人、韓国13位28人がより上位にあります。
ロシアのオリガルヒが多いと思われる富豪は、フォーブスでは、99人です。
オリガルヒは、政商と思われますが、中国人企業家にも、政商と思われる人がいます。現代の民主主義国の資本主義では、競争の公平性の確保が求められますので、インサイダー取引を連発する政商は違法です。
あるいは、人権を無視して強制労働に近い安い賃金で働かせれば、製品価格が安くなって、国際競争力のある製品が製造できるかもしれません。
宥和政策は、市場経済の拡大に伴って、導入されましたが、民主主義が十分に機能していない場合には、公平性や人権問題を抱えてしまうリスクがあります。
富豪が多いことを単純には喜べない訳です。
3)民主主義の自由な世界
今回、ドイツが政策転換した宥和政策は、対ロシア宥和政策です。
しかし、宥和政策の転換は、対ロシア政策だけでなく、他の自由が保たれていない国全般の外交の問題です。
2022/03/27のブルームバーグで、ジョン・ミクルスウェイト氏は、「政治的権利と市民的自由に基づく自由のレベル」で、この問題を整理しています。
表1は、自由のレベルで、世界の国を分類して、その国のGDPシャアを示しています。なお、元の資料は、図ですが、ここでは、文字と数字を抽出して、表に変換しました。
表1 自由な世界(Free World)
国別の世界GDPのシェアと、政治的権利と市民的自由に基づく自由のレベル。
Share of global GDP by country and level of freedom based on political rights and civil liberties.
自由(Free)
U.S. 24%、Japan 5%、Germany 4%、U.K. 3%、France 3%。Italy 2%、Canada 2%、Australia 2%、Spain 2%、Korea 2%、Brazil 2%
非自由(Not free)
China 18%、Russ. 2%、Iran 1%
部分的に自由(Partially fee)
India 3%、Mexico 1%、Indon. 1%
ミクルスウェイト氏は、宥和政策の転換は、対ロシアだけでなく、非自由国、部分的に自由国も対象にすべきだと考えます。
そして、バイデン大統領の排他的な政策を「バイデン大統領はまず、同盟国の間での経済的統合を深める一方、専制国家に対しても、そうした国々が柔軟性を高めるのであれば門戸を開いておくべきだろう。経済的な自由の拡大は世界および米国の繁栄にとって最善の保証であり続ける」と批判します。
2022/03/27のCNNは、バイデン大統領は、「プーチン氏に『権力を握らせておけない』」と発言したと伝えられ、話の真偽以前に、交渉能力を疑問視する人もいます。
さて、ミクルスウェイト氏は、現在の世界秩序は、ケインズが、ブレトンウッズ会議で提示した「国際通貨基金(IMF)や世界銀行の創設、ドルを基軸通貨とする固定相場制づくり」に基づいており、宥和政策から離脱だけでは、不十分で、「新世界秩序」をつくる必要があると提案しています。
宥和政策が実施され始めたのは、1980年代からで、大きく使われるようになったのは、ソ連崩壊、天安門事件以降の1990年代です。全ての問題を、ブレトンウッズ会議にまで、遡る訳にはいかないと考えます。ただし、平和と経済成長を持続するために、求められている解答には、ブレトンウッズ会議と同じレベルのビジョンが必要であるかもしれません。
4)ケインズを超えて
2022/03/27のロイターによると「トラス英外相は、ロシアの個人と企業に科している制裁について、ロシアがウクライナから部隊を撤退させて侵攻の終結を約束すれば、解除が可能になるとの認識を示し」ました。
つまり、制裁(対ロシア宥和政策の撤回)は、ロシアの対応によっては、解除が可能という説明です。
これは、制御システムの理論で考えると、ロシアの侵略の程度に、制裁が連動することになります。
現在は、侵略の程度の変化を見て、人間が、解除の割合を表すパラメータ設定をしていますが、これは、自動制御で代替可能です。
制御工学を少しでも、かじったことのある人は、このシステムの安定性が気になります。
トラス英外相の基本アイデアとしては、よいとしても、システムが、振動し、発散するリスクがあります。
現在の株式の取引は、アルゴリズムが行っています。
制裁が一部解除されると、アルゴリズムによる株式の売買が株価を変動させます。
ケインズを超えた「新世界秩序」は、自由国と非自由国の間の緩和政策のレベル調整装置になるのかも知れません。ただし、それを開発するには、パラメータ設定に使える緩和政策や侵略のシステムモデルが必要で、未解決の問題が多くあります。
注1:
ここでは、宥和政策を論じていますが、「とりあえず様子を見る」という戦略は、無謬主義につながり、「変わらない日本」を実現する原動力です。
引用文献
世界の富豪番付で今年も中国人企業家が最多 世界初の1000人台に 2021/03/17 AFPBB
https://www.afpbb.com/articles/-/3336963
世界長者番付 ウィキベテア(フォーブス資料)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%95%B7%E8%80%85%E7%95%AA%E4%BB%98
ウクライナ侵攻の裏で進む世界食料争奪戦 激安を賛美する日本の危うさ 2022/03/27 NEWSポストセブン 日野百草
https://www.news-postseven.com/archives/20220327_1738485.html?DETAIL
[コラム]プーチンと習近平が変える世界 2022/03/26 ハンギョレ パク・ミンヒ
https://news.yahoo.co.jp/articles/6459c628b64f3d3c9f9e24334c0c5a6d0f2231ca
中国、南シナ海で新たに3環礁を軍事基地化 米比は合同軍事演習を過去最大規模で実施へ 2022/03/27 Newsweek 大塚智彦
https://www.newsweekjapan.jp/writer/otsuka/
西側諸国の団結なければグローバル化は失敗する 2022/03/27 ブルームバーグ(ジョン・ミクルスウェイト、ブルームバーグ・ニュース編集主幹)
対ロシア制裁、完全な停戦・部隊撤退で解除─英外相=報道 2022/03/27 ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-britain-sanctions-idJPKCN2LO0AH
バイデン氏、プーチン氏に「権力を握らせておけない」2022/03/27 CNN
https://www.cnn.co.jp/usa/35185444.html
1.29 変わった日本~2030年のヒストリアンとビジョナリスト
(「変わらない日本」の裏側は「変わった日本」です。何が、変わったか検討します)
「変わらない日本」は、比較対象を国内だけにとった場合の理解です。
例えば、次の例は、既にあげてあります。
2020年の日本の一人当たりGDPは、4万ドルで、24位です。
2010年の日本の一人当たりGDPは、4万5千ドルで、18位です。
日本以外の世界がかわって、日本が変わらなければ、相対的に、日本の地位は変化します。
第1章では、ビジョンの欠如が「変わらない日本」の本質であること、年功型雇用が、変化を阻害して、生産性の向上を阻んで、日本人の給与が上がらない原因であると論じてきました。
成果主義が取り入れられていますので、年功型雇用を、今後も続けることは難しいと考えている組織が多いと思います。
1)宥和策の課題
しかし、現実には、未だ、年功型雇用を採用している企業が多くあります。こうした企業の幹部は、年功型雇用のルールで高い給与をもらっています。
もしも、明日から成果主義と言われれば、幹部の中には、給与が10倍になる人も、10分の1になる人も出て来るでしょう。それは、耐えられないというので、幹部は、年功型雇用を温存しながら、ジョブ型雇用に移行したいと考えているのでしょう。
年功型雇用は、働いた分に比例して給与を払うという成果主義からみれば、無法のルールです。努力しても、給与に反映されず、歳をとれば、給与が上がるというルールを採択すれば、努力すれば、給与が上がるわけではないので、努力する人はいなくなり、生産性の向上が止まります。ですから、年功型雇用は無法のルールです。
しかし、現在、多くの企業では、年功型雇用が行われていますので、このルールと宥和を図りながら、ジョブ型雇用に移行する計画をたてています。
宥和策は有効でしょうか。
ウクライナ危機の前に、EU、特にドイツは、独裁体制で、人権問題を抱えているロシアから、天然ガスと石油を輸入していましたが、これは人権問題を無視して、当面の利益を優先するロシアとの宥和政策でした。人権問題はあるが、ある程度までは、許容して、経済的な利益を優先する政策です。
ウクライナ危機は、人権問題が、ある程度までにおさまるという淡い期待を、打ち砕きました。
2022/03/24のNewsweekで、コリン・ジョイス氏は、ここ20年ほどのプーチンのロシアに対する各国の宥和政策は、ネビル・チェンバレン元英首相と、彼のヒトラーに対する「宥和政策」の焼き直しになっていると指摘します。
日本には、ロシアなどの人権問題を抱える国と取引をし、店舗や工場を所有している企業もあります。こうした企業でも、今までは、ロシアとの宥和政策が採用されてきました。
一方、日本には、年功型雇用というモンスターに対しても、同じような宥和政策をとっている企業が多くあります。
こうした企業が、雇用問題においても、宥和策をとっていることは、同じような意思決定メカニズムが機能しているためと思われます。
2)富士通の事例
2022/03/24の日経新聞の「富士通、9割ジョブ型に」の記事に従って、富士通のジョブ型雇用対策をまとめると以下になります。
富士通は2022年4月をめどに「ジョブ型雇用」を国内外のグループ企業の11万人で導入します。
2022年3月には、50歳以上の幹部社員の3031人が早期退職します。
富士通は社員毎に異なる詳細な職務内容については、今後作成します。
新卒で入社する社員は、大学院を除き、一定期間は一律で処遇する方針です。
ジョブコンサルタントの城繁幸氏は、1997年に富士通に入社し、人事部に勤務し、成果主義を導入した新人事制度導入直後から運営に携わっています。2004年に退社し、富士通が行った成果主義の問題点や日本型成果主義の矛盾点を自著で主張しています。
これから、富士通の成果主義改革は、25年以上続いて、未だに出口に達していないことがわかります。あるいは、「9割ジョブ型」ですから、あと1割で、出口に達するのでしょう。
しかし、「幹部社員の3031人が早期退職」をみれば、ソフトランディングに失敗していると思われます。あるいは、ジョブマーケットには、「早期退職」という単語はありませんので、この表記は、依然として、年功型雇用の視点で、記述されていることがわかります。
また、シリコンバレーで多用されているOODAループ(1.25参照)の視点では、25年もかかっていれば、100%撃ち落とされていると判断するでしょう。
富士通は、ジョブ雇用問題に宥和策をとった事例と考えられます。
富士通のジョブ型雇用改革には、ビジョンがありません。
「詳細な職務内容については、今後作成」はとりあえず、ジョブ型に移すだけです。
「新卒で入社する社員は、大学院を除き、一定期間は一律で処遇」も、同様です。
1.11では、ジョブ型雇用は、サッカーのチームのようなものだと申し上げました。
サッカーチームは、1部リーグでトップを争っているチーム以外は、問題にされません。
2部リーグ以下のより弱いチームもありますが、ほとんど表にはでません。
サービス経済でジョブ型雇用することは、1部リーグでトップを争っているチームを作り上げるような問題です。
書かれていないだけかもしれませんが、富士通の改革には、ドリームチームをつくるビジョンが見当たりません。
ここに、ヒストリアンのディストレーニング(1.9参照)が作用していないことを願っています。
3)日本型空洞化
ジョブ型雇用は、サッカーチームに似ていると言いましたが、サッカーのJリーグが始まってから、多くの外国人の監督が就任しています。
最近では、大企業のCEOや幹部を務める外国人も増えています。
外国人のCEOや幹部は、新卒一括採用で就職した訳ではありませんから、年功型雇用をとっている企業でも、幹部については、ジョブ型を採用している企業が増えていることがわかります。
企業の役員をみれば、日本は変わっています。
大企業で、株式の多くを海外のファンドが所有する場合には、日本企業を特別扱いするわけでないので、世界標準のジョブ型雇用のルールが適用されます。
これは、当然なのですが、問題は、このルールでは、日本の大学を卒業して、新卒一括採用された人材は、誰も、幹部になれない可能性が高いことです。
マスコミは、旧帝大、特に、東京大学への入学を、将来の幹部候補生になり、高い給与を期待できるルートであるとみなした記事を書いています。
しかし、大企業の幹部になりたいのであれば、アメリカの有名大学のビジネススクールを卒業して、ベンチャーや大企業の経営に携わるべきです。これは、海外の企業だけでなく、日本企業にも当てはまります。
ビジョナリストとしてのスキルを磨けるキャリアを目指さないと、将来のレイオフ予備軍になってしまいます。
2022/03/23のNewsweekで、冷泉彰彦氏が、日本型空洞化について、次の様に説明しています。(一部編集要約)
トヨタをはじめ、多くの日本の最終組み立てメーカーは、国内販売比率が10%前後まで低下し、海外販売のほとんどは現地生産になっています。さらに。研究開発、デザイン、マーケティングなど主要な高付加価値部門も海外に出している企業が多くなっています。(中略)
日本の空洞化は、人件費の低い国に生産拠点を移し、市場に近いところで生産し、設計や研究開発など知的で高付加価値な部分を「本国に残す」クラシックなスタイルではありません。自動車産業をはじめ日本の多くの製造業の場合は、利幅の薄い部品と素材の一部だけと、生産性の低い事務部門だけが国内に残って、その他の高度な部分はどんどん海外に出す「日本形の空洞化」が進んでいます。
「利幅の薄い部品と素材の一部と生産性の低い事務部門」は今までの仕事を繰り返すヒストリアンの世界です。
「設計や研究開発など知的で高付加価値な部分」は、ビジョナリストの世界です。
年功型雇用のディストレーニングで、日本国内では、ビジョナリストが淘汰されてしまった結果、「設計や研究開発など知的で高付加価値な部分」が、海外に移転したと考えられます。
「変わらない日本」は、鎖国型企業には当てはまりますが、それ以外では、既に、日本型空洞化という変化が起こっていると考えられます。
4)空洞化を超えて
シャープの経営は、日本企業ではなくなりました。
大きな株主が、海外の機関投資家である大企業も増えています。
これらの企業経営は、ビジョン評価とジョブ型雇用の国際標準に収斂していくと思われます。
とはいえ、2030年のデジタル・シフト完了までに残された時間は僅かです。
過去にあったようなハードランディングが起こる可能性があります。
それは、戦後の旧体制の公職追放や、アメリカのレッドパージのようなものです。
今後、企業業績の足枷となるヒストリアンのパージが、起こる可能性があります。
パージは、望ましくは、ありませんが、認知ギャップがある場合には、回避は難しいのではないでしょうか。
引用文献
プーチンで思い返す対ヒトラー「宥和政策」の歴史 2022/03/24 Newsweek コリン・ジョイスhttps://www.newsweekjapan.jp/joyce/2022/03/post-239.php
半導体不足、電力不足......日本の自動車産業は崖っぷち? 2022/03/23 Newsweek 冷泉彰彦
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2022/03/post-1265_1.php
富士通、9割ジョブ型に 2022/03/24 日経新聞 19面
1.30 解題
(「ヒストリアンとビジョナリスト」のタイトルは、池内 恵氏の記事に由来します)
今まで、「ヒストリアンとビジョナリスト」のタイトルの由来については、解説してきませんでしたので、ここで、説明しておきます。
この用語は、中東問題の専門家で、東京大学先端科学技術研究センター教授の池内 恵氏が、2021/07/01に、「アステイオン94」に掲載した「前世代の先輩たちがいつの間にか姿を消していった──氷河期世代と世代論」によります。
以下に筆者のかなり強引な要約を示します。
かつては、中東問題は、戦後世代が作り上げた冷戦期の枠組みに基づく認識が支配的であった。それに対して、私は、ポスト冷戦の「上の世代には見えていない現実と将来見通し」を誰よりも先に、摩擦を乗り越えて示す「ビジョナリー」の役割を担ってきた。上の世代は、ビジョンを、受け入れず、ビジョンを自らの存在の否定として拒絶した。
世代が交代し、人間が入れ替わったため、現在、私のビジョンは、あたり前で平凡な認識になり、反対を受けなくなった。
「ビジョナリー」が示すビジョンにより人々の認識が改まったのではなく、世代が入れ替わり、新たな現実を現実と認識して育つ人々が社会の多数になったことで、私の「ビジョン」は当たり前になった。
時間が流れ、「ポスト冷戦期」も過去の歴史になり、私も中東問題を「歴史」として書く時期にきている。私自身が、書き手として、「他の人が見えていない現実と将来を見通す」ことを目指す「ヴィジョナリー」から、過去を過去として現代の読者に適切に認識させる「ヒストリアン」へと転じないといけない時期にきている。
21世紀初頭の20年は、「団塊の世代」やさらにその上の世代が、時に「老人支配」「老害」といった非難を受けながらも、分厚く社会の中枢に居続けた。その陰で、私のような1973年生まれを人口のピークとする「団塊ジュニア」の世代は、「若手」という扱いを受け続けてきた。
数年前に、若い頃から注目されリーダーシップを取り、政治・行政的な要職も歴任された先生とふとしたことで茶飲み話をする機会に恵まれたのだが、その先生は私の顔を見るなり「池内君、気をつけなよ。何十年もずっと『若いね、若いね』と言われ続けていると、突然、上に誰もいなくなって、最年長になるんだ。気づくと崖があってね、先頭に立っているんだよ」と仰った。
私が「その場で一番若い人」の役割を長く務めて、ややくたびれつつある様子を、感じ取って、忠告をいただいたのだろう。
否応のない時間の流れによって突然に眼前に「崖」を見出すようになった後に、何をすればいいのか。私にとっては、中東という、日本にとって見慣れない世界をめぐって展開する国際政治の現在とその先を見通す「ヴィジョナリー」から、「中東をめぐって国際政治が回っていた過去の時代」を最初から見届けてきた「ヒストリアン」に転じるために、細々と準備をしている。
しかし、池内 恵氏の文章は、どうして、デジタル・シフトが起こらないかを端的に示しています。
池内 恵氏の文章を読んで、「変わらない日本」の根源には、「ヒストリアン対ビジョナリスト」問題があると考えるに至りました。これが、タイトルの由来です。
引用文献
前世代の先輩たちがいつの間にか姿を消していった──氷河期世代と世代論 2021/07/01 ニューズウィーク 池内 恵(東京大学先端科学技術研究センター教授)※アステイオン94より転載
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/07/post-96611.php