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自分の中にすでに入っている音楽に耳をすませる。


お父さんが見た海 三上寛


先生が私に「詩」というものを教えてくれる理由は、言葉を理解する事と、言葉として書かれていないことを知ろうとする心を持つこと。
私はペンを持つのに興味はなくて、水泳をしたり身体を鍛えたりしたいんだけど、まるでカウンターカルチュアの襲撃のように先生は私に覆いかぶさってくる。とてもソフトな感覚で。
したがって夜のYouTubeは止めてしまった。
夜のYouTubeは泣いている人がとてもたくさんいたから。
それらの人々は私にまるで似ていなく、私はどこかの惑星に住む宇宙人のような気がしたものだ。私自身が。
私は何をやってもとても下手なので、下手すぎて笑ってしまうくらい下手なので、それのオリンピックがあったら、出たい。
壇上でメタルを貰い、自分が一番下手なのだと認識するや否や、家族や、仲間や、応援してくれた人たちに感謝の言葉を並べたい。
その言葉はどこにもない表現で、ありきたりではなく、通り一遍ではない。すべてオリジナルで、聴く者たちに衝撃を与えるだろう。ドキドキしてきた。
ロックミュージックに似ているという人もいるだろう。
この衝撃はあの頃、ロック音楽を聴いた時に似ている!と感ずる人たちもいるかもしれない。
そうすれば私はロック・フェスに出場して、小難しいチケットの入手方法を知っている奴らの前で再現したい。
精一杯大きな声で私は私の詩を読んで、先生が教えてくれた句読点を適切に使い、ロック小僧たちの度肝を抜くんだ。
性的な行為に走るアヴェック達もこちらを向くだろう。
網の上で動物の何処かしらの部位を焼いているBBQ連中もチラとこちらを向くだろう。
そして私は中学生の頃に習ったギターを持ち出し、フォークソングも歌ってあげる。
赤いワインに似合いそうな歌を。
甘い香りが会場いっぱいに拡がり、新しいフランス料理を拵えた時のような嬉しさと高揚感を思い出させてあげる。
宗教の代わりに、「自分自身の強さ」を喚起させてあげる。
私の先生は、絶対的に唯一無二であり、其の事が私を安心させる。
それはすなわち”芸術”である。
しかし先生はそんな単語、死んでも話さない。そこがまたいいのだ。

私はしだいに大人になってゆく。
はやく大人になりたい、っていう気持ちがあったことも忘れるくらいに、大人になってゆく。
いやんなるくらいに大人になってゆく。
こどもだった頃はあんなに云いたいことがあったのに封じ込められ、大人になりつつある今は自由に云えるはずの空間の中で、言葉を喪っている。
あんなにたくさんあった言葉が、言語が、表現が、自由が、自由になるはずの【いま】や【未来】の雑踏のなかで、すべてが失われてゆくようだ。
その感覚を、私は肌で感じている。
いや、本能で、であろうか。
だから私は詩を書こう。
かなり下手かもしれないが、私は詩を書こう。
先生に教えてもらった事すべて忘れて、私は私の詩を書こう。
下手でもいいから。
自分の中にすでに入りこんでいる音楽に耳をすませながら。



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