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なるべく頭で考えないで読んだ    いまだ、おしまいの地


こだま(著)

頭で考えて言葉をひねり出すよりも、身体でやる方がいい。
上になったり下になったりすること。
運動は頭でやって身体は何も考えず、手紙は身体でやって頭は何も考えないこと。
何も考えない、ということはすなわち「考えつくす」必要があるというわけだ。
まるでプラモデルを作るようにね。
自然と手が動きますように。

僕は他人を不幸にしているような気がしてならない。
生きているだけで誰かを傷つけている。そんな雰囲気を纏う。
勿論好きこのんでそんな風に生きているわけではない。
しくじった心持ちで顔を覆いつくすだけだ。
またやっちまった、ってね。

誰かの笑顔や誰かの悲しみ。どれもこれも心に突き刺さってくる。
そいつを受け止める勇気なんかハナっから無いもんだから逃げまくって逃げまくって疲弊している。
逃げまくるのが常態化しているもんだからすっかり腰ぬけの猿に成り下がっているのさ。

僕の言葉は皆、眠って聞いている。それでいい。
僕の歌は皆耳をふさぎ、僕のギターは皆の笑いもの。
自暴自棄になった僕はじぶんの指を一本ずつていねいに折ってゆくだろう。
ポキ、ポキ、と。軽快な音をたてて。
そのSOUNDは誰かの背中を立ててくれるかな。


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