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仮 笙の窟から江ノ島へ巡礼の旅 6
1,鶴岡八幡宮に到着・・・実朝暗殺現場で何を思う?
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義朝のお墓がある勝寿寺跡をあとにしました。
歩くこと10分ぐらいで鶴岡八幡宮に到着。
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本殿に上る前に、実朝の暗殺現場に立ち止まって、当時事件をイメージしてみた。
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1219年1月27日雪の降る寒い冬に、実朝が位の役職祝の儀式を終えて、階段をおりるところで銀杏の木に隠れていた甥の公暁に暗殺されてたこと。
暗殺されることを知らない実朝は、その場で首を切られ、殺されてしまう・・・そんなことを思いながらも、階段を一段づつあがり、参拝客でごった返す中で、本殿で実朝の冥福と今日の旅が無事終えるようお祈りして、社務所にきました。
2,結界に必要な御札、お守りをいただく
鶴岡八幡宮でいただいた御札
頂いたお守りは、全部で二種類。
・祈祷札
・結界札
必要なお守りと御札をいただいてを、足早に階段をおりていきました。
先程立ち止まっていた実朝の暗殺現場が、気になり、その場に少しいました。
台風で倒れた銀杏の木を見ながら、・・・・なんとも虚しい。
時代風景による利権の争い、身内の殺し合い、今の日本と同じ状況下にあると思いました。
笙ノ窟での不動明王像を見れなかった実朝の無念の思いを胸に、必ずや結界を張ってみせると改めて思いました。
次は頼朝のお墓へと向かいます。
3,頼朝の墓参りの前に
私が、なぜ、鎌倉幕府歴代三将軍の墓に参拝しようとおもったのか?
それは、笙ノ窟にも不動明王金銅像があり、鎌倉時代から深く関係していることもあるからです。
そこには、いろいろな理由があるかもしれませんが、
こうやって、今こうやって生きているのも、その歴史の偉人達のおかげもあるのです。
その偉人たちのお墓に行くと、深い悲しみと言葉にはできないものが、伝わってきます。
4,鎌倉幕府歴代の3代将軍たち
源頼朝(1147年 - 1199年):鎌倉幕府を開いた人物で、1185年に京都の平清盛との戦いに勝利し、鎌倉幕府を樹立しました。
源頼家(1192年 - 1205年):源頼朝の子で、父の死後、将軍位を継承しました。しかし、在位中に暗殺されてしまい、短い在位期間でした。
北条時政(1227年 - 1274年):鎌倉幕府の執権(将軍代行)であり、後に将軍に就任しました。
彼の時代には、鎌倉幕府の政治や社会制度が整備され、幕府の黄金期を迎えました。
実朝(さねとも)は、鎌倉時代初期の将軍・源実朝(みなもとのさねとも)のことを指します。
源実朝は、鎌倉幕府の3代将軍であり、北条氏の傀儡とされる形で即位しました。
しかし、若くして将軍になったこともあり、実権は執権の北条時頼が握っていました。
実朝は、北条時頼との対立や後継者問題などが原因で、急速に失脚してしまいます。
そして、扇の的にされて暗殺されるという悲惨な最期を迎えました。
実朝の死は、後世に「扇の的の悲劇」と呼ばれ、文学や歌舞伎などにも取り上げられるようになりました。
5,頼朝、北条家の墓へ
鶴岡八幡宮をあとにし、次の頼朝、北条家の櫓へと行く。
頼朝の墓に向かう途中、真横では、小学校があり、校庭では小学生たちの大声が私には雑音のように聞こえていた。
行事がなにかやっているのか?
と、思いながら、正面を見ると、小高い丘に頼朝の墓が見えてきた。
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足早に急ぐ。そして階段を登ろうとしたとき、真横に白旗神社というものがあった。事前知識のないままで、ここに来ているので、どうして、ここにあるのか? 疑問に思った。
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頼朝の墓は、はじめにここで葬られたということを納得した。
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そして、白旗神社から、正面にある頼朝の墓へと向かった。
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ここでも参拝客が多くいた。
参拝客が立ち去るまで、しばらく待っていた。
ここで参拝と撮影を済ませる。
この場所の雰囲気を味わってみた。
どうも、ここには頼朝がいたようだ。
そして、頼朝の墓をあとにして、北条義時の墓へと向かう
頼朝の墓のとなりにある。
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これが北条義時の墓。
この場所に入った瞬間、背筋が寒くなった。
そして、次は、三浦一族の墓へと向かった。直ぐ目の前にあった。
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さらに、ここに来ると、背筋が寒くなり、三浦一族の怒り、恨み、憎しみの気を感じてしまった。
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そして、ここから大江広元、毛利季光、島津貴久の墓へと向かった。
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そして、階段を登り、3人の武将の墓に到着。
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3人武将たちの参拝が終わった。
ふと、階段を降りる時、前を見ると、鎌倉の景が見えた。
一望できる見晴らしの良いところだ。
この場所から思ったことは、この時代、どうして殺し合いまでしてするのだろうかと。
しばらく、晴天の空のもと、鎌倉の町を眺めながら、後ろには、時代を走った武将たちの墓を背に、たそがれていた。
ここで、3つの墓。大江広元、毛利季光、島津貴久たちの墓。
どちらにしても、この場所には長時間いることはできなかった。
とてもさみしい場所と感じた。
案の定、先程来ていた参拝客も、短い時間で、去っていった。
さて、次は、源実朝、北条政子の墓へと向かう。