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小説「霧の淵、朝日館の灯」第7章: 旅立ちの前夜

翌朝の出発を前に、亮介は旅館の中庭に佇んでいた。

静かな風が吹き、庭の苔むした石灯籠や紅葉が淡い光に照らされている。

その光景に、胸が締めつけられるような感覚を覚える。

「名残惜しいな……」

心の中でそう呟いたそのとき、静香が声をかけてきた。

「明日、お帰りになるんですね?」

静かな声に振り返ると、静香が柔らかい笑みを浮かべて立っていた。

「ええ。名残惜しいですけど、また仕事に戻らなければならないので」

亮介が苦笑いを浮かべると、静香は頷きながらもその言葉をしっかりと受け止めるように言った。

「霧の淵での経験は、亮介さんにとって必要なものだったと思います。それを忘れず、東京でも自分を大切にしてくださいね」

静香の言葉に、亮介は深く頷いた。

夕食の時間、亮介は美智子と最後の食卓を囲んでいた。

テーブルには、鹿肉のジビエ鍋や地元のきのこを使った土瓶蒸し、焼きたての川魚が並んでいる。

「本当に、ここの料理はどれも美味しいですね」

亮介が言うと、美智子が微笑みながら返す。

「そうですね。この土地の味が感じられる食事は、特別な魅力があります」

「美智子さん、次はどんな絵を描く予定なんですか?」

亮介の問いに、美智子は少し考えてから答えた。

「霧の淵をテーマにした絵を完成させることが、今の目標です。あそこに立つと、人間の心がそのまま映し出される気がして……それをキャンバスに表現できたらと思っています」

亮介はその言葉に深く共感しながら頷いた。

「僕も、霧の淵に行かなければ気づけなかったことがたくさんあります。過去の自分を許すこと、そして未来に向き合うこと。その大切さを知りました」

二人はお互いの体験を共有しながら、温かな時間を過ごした。

その夜、旅館の庭で雄一が焚火をしていた。焚火の周りには地元の人々が集まり、明るい笑い声が響いている。

「佐倉さん、こっち来てくださいよ!」

雄一が手を振りながら亮介を呼び寄せた。亮介は焚火の周りに腰を下ろし、村人たちと話を交わした。

「佐倉さん、都会の人がこの村を気に入ってくれるのは嬉しいですね」

「ありがとうございます。この村には、都会では感じられない静けさや温かさがあります」

村人たちの素朴な笑顔や会話は、亮介の心をさらに癒してくれた。

「また遊びに来てくださいよ。次は霧祭りの手伝いもお願いしますね!」

雄一の明るい声に、亮介は思わず笑ってしまった。

「もちろん、そのときはぜひ」

部屋に戻った亮介は、旅館での数日間を思い返していた。

静香、美智子、雄一、そして村の人々――彼らとの交流が、彼にとってかけがえのない時間になっていた。

「ここに来てよかった。本当に……」

亮介は静かに呟き、窓の外に広がる星空を見上げた。

その空には、無数の星が輝き、遠くには霧の淵が静かに存在を主張している。

「またここに戻ってこよう。そのときは、もっと成長した自分で」

心に決意を抱き、亮介は布団に横たわった。

亮介が霧の淵での体験を通じて得た気づきを胸に、東京へ戻る準備をする。

村での最後の夜は、彼の心を癒し、再生の道を切り開く重要な節目となった。

続く


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