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清水寺恋詩 -四季が紡ぐふたりの物語-第2章:夏 - 距離が縮まる二人とライブの計画1


真央の来訪

蝉の声が境内に響き渡る真夏の午後。涼は作業着の袖を捲り、汗を拭いながら足場を確認していた。春の雨漏り以来、彩乃と協力して練り直した補強案は、着々と形になりつつあった。

「りょーう!」

明るい声が、静かな境内に突然響き渡った。振り返ると、派手な花柄のワンピースを着た女性が、両手を大きく振っている。

「まさか、真央?」

山崎真央は、相変わらずの天真爛漫な笑顔で駆け寄ってきた。首から下げたギターケースが、日差しを反射している。

「びっくりした? 京都でライブツアーすることになってね。真っ先に涼に会いに来たの!」

「ちょっと、ここは工事現場だから」

涼が慌てて制止しようとした時、彩乃が現れた。いつものスーツ姿だが、暑さを考慮してか薄手の素材を選んでいる。

「あ、すみません。友人の」

「山崎真央です! りょうの大学の後輩で、今はシンガーソングライターやってます!」

真央は彩乃に向かって深々と頭を下げた後、すぐに顔を上げて満面の笑みを見せる。その変幻自在な態度に、彩乃は少し戸惑ったような表情を浮かべた。

「文化財保護監修の橘彩乃です」

「橘さん!ねぇ、お願いがあるんです」

真央は勢いよくギターケースを開け、一枚の企画書を取り出した。

「清水寺で、ライブをやらせてもらえませんか?」

「え?」

涼と彩乃が同時に声を上げる。

「そう、『古都の響き ―伝統と音楽の夕べ―』っていうタイトルで。この清水寺の景色と音楽が溶け合うような、そんなライブを」

真央は目を輝かせながら説明を続けた。観光客の少ない夕暮れ時に、限定的な規模で行うライブの構想。地元のアーティストとのコラボレーションや、伝統楽器との融合も考えているという。

「でも、ここは文化財で...」

彩乃が難色を示そうとした時、真央は小さな音源プレーヤーを取り出した。

「聴いてもらえますか?この曲、清水寺に来た時にインスピレーションを受けて作ったんです」

透明感のある音色が、夏の空気に溶けていく。真央の歌声は、清水寺の佇まいと不思議なほど調和していた。

♪古の願いが 今も流れる
 木漏れ日の中で 時は巡る
 この場所で出会う 新しい風に
 重なる想いを 奏でてゆこう♪

彩乃は黙って曲を聴いていた。涼は、彼女の表情が少しずつ柔らかくなっていくのを感じた。

「橘さん」

涼が声をかけると、彩乃は深いため息をついた。

「工事の進捗と安全面の確認が必要です。それに、文化財保護の観点から、いくつか条件も」

「やった!」

真央が飛び上がって喜ぶ。まだ完全な許可ではないのに、と涼が苦笑いを浮かべる。

「ありがとうございます!絶対に素敵なライブにしますから。あ、そうだ」

真央はスマートフォンを取り出した。

「お二人、連絡先教えてください。打ち合わせとか、いろいろあると思うので」

「えっ」

涼と彩乃は、また同時に声を上げた。真央の意図が見え透いているのが、二人にはよく分かっていた。

「私からは工事責任者の方と」

「いえいえ、お二人と直接連絡を取らせてください。特に橘さんには、文化財のことでいろいろ教えていただきたくて」

彩乃は断りきれない様子で、仕方なく連絡先を教えた。涼は、真央の積極的なアプローチに内心驚きながらも、どこか感謝している自分に気づいていた。

「じゃあ、また連絡します!」

真央は来た時と同じように颯爽と去っていった。残された二人は、まだ若干の戸惑いを抱えたまま、その後ろ姿を見送る。

「かわった友達さんですね」

彩乃の言葉に、涼は思わず笑みがこぼれた。

「ええ。でも、不思議と人を惹きつける魅力があるんです」

蝉の声が、また境内に響き渡る。夏の陽射しは依然として強かったが、二人の間に流れる空気は、どこか心地よい暑さに変わっていた。

京の町並みを巡って

「この辺りが、ライブの告知ポスターを貼らせていただきたい場所なんです」
真央は清水坂の入り口で、スマートフォンに表示した地図を指さしていた。暑い日差しを避けるように、三人は老舗の茶屋の軒先で足を止めている。

「そうですね。でも、この通りは町家が建ち並ぶ景観保護地区だから」

彩乃が難色を示すと、真央は慌てて企画書を広げた。

「大丈夫です!ポスターも和紙を使って、できるだけ景観に溶け込むデザインにしました。ほら」

涼は二人のやり取りを見ながら、密かに感心していた。真央の企画は、最初から文化財保護を意識した内容になっている。彩乃の指摘を予測していたかのようだ。

「見せてください」

彩乃がポスターのデザイン案を手に取る。淡い色使いで、清水寺の景色がシルエットとして描かれている。

「これなら...許可が出るかもしれません」

「やった!じゃあ早速、お店を回ってみましょう!」

真央が先に立って歩き出そうとした時、携帯電話が鳴った。

「あ、すみません。プロデューサーからで...ちょっと打ち合わせが入っちゃって」

「え?でも、これから」

「大丈夫!二人で回ってきてください。私は夕方には戻れるから!」

真央は意味ありげな笑みを浮かべると、あっという間に姿を消した。残された涼と彩乃は、思わず顔を見合わせる。

「あの、僕一人でも」

「私も予定を空けてましたから。せっかくですし、一緒に回りましょう」

彩乃の意外な言葉に、涼は少し驚いた。が、すぐに頷いて企画書を手に取る。

「では、まず清水坂から」

石畳の坂道を上がりながら、二人は商店や茶屋を訪ねていく。彩乃が地元の女将さんたちと言葉を交わすたびに、涼は新しい発見があった。

「あら、彩乃ちゃん。お久しぶり」

「小さい頃は、よくここでお饅頭を買っていただいたんです」

懐かしそうに話す彩乃の横顔に、涼は思わず見入ってしまう。普段の凛とした表情とは違う、柔らかな雰囲気が漂っていた。

三年坂に差し掛かると、観光客の波が一層増してきた。浴衣姿の若い女性たちが、記念写真を撮りながら歩いている。

「この通りも変わりましたね」

彩乃が物思いに耽るように呟いた。

「昔は、もっと静かな通りだったんです。夕方になると、お地蔵さんの前で近所の子どもたちが遊んでいて」

「橘さんも、その中の一人だったんですか?」

「ええ。母に叱られながらも、よく遊んでました」

話しながら歩を進めると、二年坂に到着した。日差しを遮る家々の軒先に、風鈴が涼やかな音を奏でている。

「ここの風鈴、いつも季節を教えてくれるんです」

「風鈴で季節を?」

「音の響き方が違うんです。湿度や気温で。今の音は、まさに真夏のもの」

涼は耳を澄ませる。確かに、風鈴の音色には暑さが溶け込んでいるような気がした。

「蓮見さんは、こういう細かな違いに気づくのが上手そうですね」

「え?」

「だから、あの修復案も良いものになったんじゃないですか」

彩乃の言葉に、涼は思わず顔が熱くなるのを感じた。夏の日差しのせいだけではない温かさが、胸の中に広がっていく。

「あ、この先にある古本屋さんにも、寄っていきましょうか」

「はい」

二人は静かな参道を歩き続けた。時折吹く風に風鈴が響き、季節の音色が二人を包み込む。観光客で賑わう通りの中に、二人だけの静かな時間が流れていた。

真夏の夜のライブ

夕暮れ時の清水寺境内に、提灯の灯りが一つずつ灯されていく。特別に設置された小さなステージの周りには、既に観客が集まり始めていた。涼は本堂の軒下で、最後の安全確認を終えたところだった。

「蓮見さん、準備は大丈夫ですか?」

振り返ると、彩乃が心配そうな表情で立っていた。普段のスーツ姿ではなく、淡い藍色の浴衣を身にまとっている。涼は一瞬、言葉を失った。

「あ、はい。足場も補強して、防音対策も万全です」

「そう。良かった」

彩乃の表情が柔らかくなる。ここ数週間、二人は真央のライブ準備に追われていた。文化財保護と音楽イベントの両立は、想像以上に細かな調整が必要だった。

「りょう!彩乃さん!」

駆けてくる足音と共に、真央が現れた。彼女も淡い桜色の浴衣姿で、ギターを背負っている。

「もうすぐ始まるね。二人とも、最前列で見てくれるんでしょ?」

「え?いや、私は後ろで」

彩乃が遠慮がちに言いかけると、真央は首を振った。

「だめ!二人には特別席を用意してあるの。ほら」

ステージ脇の小さな縁台を指差す。そこからは、ステージも、そして清水の舞台も一望できる場所だった。

「でも」

「お願い。私の新曲、二人に一番近くで聴いてほしいの」

真央の真摯な眼差しに、二人は結局負けてしまった。

日が沈み、辺りが程よい闇に包まれ始めた頃、ライブは始まった。提灯の灯りが幻想的な雰囲気を作り出し、真央のギターの音色が夜空に溶けていく。

♪古の願いが 今も流れる
 木漏れ日の中で 時は巡る♪

あの日聴いた曲が、より洗練された形で観客を魅了していく。涼は時折、隣に座る彩乃の横顔を盗み見ていた。提灯の灯りに照らされた彼女の表情は、どこか遠い場所を見つめているようだった。

そして、真央が新曲の紹介を始めた。

「この曲は、清水寺で出会った大切な人たちに捧げたいと思います」

♪重なる時を 越えていこう
 この場所で出会う 奇跡のように
 古さと新しさ 溶け合うように
 響け 想いよ 届け 願いよ♪

涼は息を飲んだ。歌詞が、まるで自分と彩乃のことを歌っているかのように感じられた。チラリと横を見ると、彩乃も同じように動揺している様子が窺えた。

夏の夜風が、二人の間をそっと通り抜けていく。

「蓮見さん」

彩乃が小さな声で呼びかけた。

「はい」

「私、少し分かってきたかもしれません」

「何をですか?」

「新しいものを受け入れることの大切さ」

彩乃は真央のステージを見つめながら続けた。

「伝統を守るだけじゃない。こうして新しい形で命を吹き込むことも、大切なんだって」

涼は黙って頷いた。彩乃の言葉は、二人が向き合ってきた建築の課題にも通じるものがあった。

ライブは最高潮を迎えようとしていた。提灯の灯りが風に揺れ、本堂の朱色が闇の中でより深みを増している。真央の歌声は、清水寺の宵闇に溶け込んでいく。

♪この場所で始まる 新しい物語
 重なる想いが 未来を照らす♪

最後の音が消えかかった時、涼は彩乃の手が自分の手の近くにあることに気づいた。ほんの数センチの距離。その隙間に、どれだけの想いが込められているのか。

観客の歓声が境内に響き渡る。真央は満面の笑みを浮かべながら、二人に向かってウインクを送った。

夏の夜は、まだ始まったばかりだった。

・・・続く


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