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仮 後南朝の自天王さん 上北山村編

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自天王さんとの出会い 今から、何十年前のことだろうか? 当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところだった。 お盆所はよ…
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#車僧禅師

09 もう一人の後亀山天皇の皇孫!?

09 もう一人の後亀山天皇の皇孫!?


1、車僧禅師=尊慶王(後亀山天皇の皇孫)で興泉寺を創立

車僧禅師こと尊慶王(後亀山天皇の皇孫)は興泉寺を創立したことで知られています。

彼は『大和誌』や上北山村史に見られます。

彼は、臨済宗の僧で寺塔頭盛光院開山直翁であり、智侃禅師に師事しました。

また、観世流の「車僧」という謡曲も彼に関連しています。

彼の没年には複数の説があり、はっきりとは分かっていません。

寳泉寺の位牌によれば

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参考資料 車憎禅師

参考資料 車憎禅師

1、「徳川光圀」編纂『大日本史』明暦三年(1567)の内「南山皇胤譜」

「徳川光圀」編纂の『大日本史』明暦三年(1567)の内「南山皇胤譜」の「尊慶王」と「尊秀王」自天王の記述を原文のまま掲載。

尊慶王

御母大納言經泰郷ノ女 御誕辰年月日不明 
大和國吉野郡二住シ時宗ト改名 落飾シテ大空上人ト號ス 紀伊國北山荘興泉寺創建住篤トァルモ事蹟不詳

尊秀王

御母武内ノ胤山邦ノ女 永亨十二年庚申二

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新刊! 📚『車僧禅師 〜南朝の血脈 謎に満ちた聖僧〜 その壱』歴史ミステリー小説のご紹介

新刊! 📚『車僧禅師 〜南朝の血脈 謎に満ちた聖僧〜 その壱』歴史ミステリー小説のご紹介

知っていますか?

室町時代の「もう一つの朝廷」の存在を。

足利幕府の支配下、表向きは統一された日本。

しかし1470年、突如として起こった後南朝の反乱。

なぜ60年以上の時を経て、南朝の血を引く者たちは立ち上がったのか?

その答えは、ある一人の謎の僧侶に隠されていた—

七百歳を生きたという伝説の聖僧、車僧禅師。

表の顔は禅僧、その血管には南朝の血が流れる。

紀伊国の山奥に建てられた

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新刊! 📚『車僧禅師 〜南朝の血脈 謎に満ちた聖僧〜 その弐』歴史ミステリー小説のご紹介

新刊! 📚『車僧禅師 〜南朝の血脈 謎に満ちた聖僧〜 その弐』歴史ミステリー小説のご紹介

📜 【歴史の闇に葬られた衝撃の真実、ついに明かされる—】 🏯

南北朝時代末期、後亀山天皇の血を引きながら仏道を選んだ深山正虎。

彼が臨済宗の教えに従い僧侶として歩んだその道の裏には、

果たしてどのような使命が隠されていたのか…?

深山正虎は、なぜ「車僧禅師」として知られる存在となったのか?

南朝再興への思いを抱き、

密かに真実を継承しようとするその決意の源は何だったのか?

表向き

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【衝撃の最終章✨】南朝の真実に迫る歴史小説が遂に完結!

【衝撃の最終章✨】南朝の真実に迫る歴史小説が遂に完結!

「車僧禅師 ~南朝の血派 謎に満ちた聖僧~ その参」の紹介みなさん、こんにちわ! 📖 歴史好き必見!壮絶な運命を生きた 車僧禅師(尊慶王)の物語が完結しました!
長禄二年(一四五七年)、紀伊の山奥でひっそりとその生涯を閉じた彼。その真の姿は、南朝の皇孫――。
なぜ皇族の血を引きながら仏僧として生きる道を選んだのか?そして、その想いはどのように未来に受け継がれていったのか?
この物語を読めば、あな

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車僧禅師の小説創作の秘話

車僧禅師の小説創作の秘話

自天王や忠義王に関する小説は既に世に出ているものの・・・

地元である川上村では著作を発表している方がいる一方で、上北山村では著作を発表された例を見つけることができませんでした。

また、自天王にまつわる情報も、圧倒的に川上村のほうが多いのが現状です。

そんな中で、後南朝に関する情報を掘り下げるうえで唯一と言える手がかりが、車僧禅師にまつわる話でした。

しかし、これに関する資料は極めて少なく、

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