「決められない」シャープの迷走を笑えない理由
注)この記事は2016年2月21日の別のブログの記事を加筆・修正したものです
シャープの経営が迷走している。産業革新機構による支援でほぼ決まりとなっていた状況から、鴻海が7,000億円と機構案を大きく上回る金額を提示し、一点鴻海案が有力と噂されている。こうした事態に対して多くの人がシャープの経営の「稚拙」さを指摘(揶揄)し、決断できない経営陣を批判している。
しかし、このシャープのケースは、個別企業の経営陣の稚拙さ、という観点でなく、日本企業がはまりがちな構造的な観点から捉えるべき課題と考えている。
その点で、「戦略不全の因果」などの著作で有名な三品和広氏(神戸大学大学院教授)の論考が参考になる。三品氏は液晶技術で栄華を誇った「かつてのシャープ」と企業価値が大きく毀損してしまった「いまのシャープ」をみな混同していると指摘する。そして、「いまのシャープ」は既に技術的にも守るべきものはなく、現実は直視すべきと断言する。そして、雇用を守るため、といったお題目で経営破綻を国や銀行が救済する構造を「モラルハザード」として批判している。
この指摘は重要だ。JALや三洋電機といった過去の事例、そして今回のシャープの事例においても、国や銀行が延命策を図るだろうという「予期」のもとに経営者が意思決定してしまう(もしくは、しなくなってしまう)構造こそが日本の企業統治における大きな課題だからだ。
この「モラルハザード」の構造の問題は、経営陣が明確な意思決定をせずにずるずると結論を先延ばしすることにある。最終的に国や銀行による救済が予期されているから、状況が悪化し続けていても、リストラや資産売却を含む抜本的な構造改革やコア事業への集中・強化などの必要な施策を「短期間」で一気に進めるインセンティブが失われる。結果として、構造改革らしきものはなされるものの、それは長期にかつ小出しにして行われるため、抜本的な課題の解決には繋がらない。
こうした「モラルハザード」の状況とあわせてポイントとなるのは「企業は永続させなければならない」という日本のビジネス界に特に強く共有されている信念だろう。日本には操業100年を超える企業が26,000社あり、200年を超える企業も3,146社。世界の200年を超える企業の半数以上が日本にあることになる。こうした歴史が「企業はずっと続いていくもの」という文化を生み出し、さらにそれを補完する形で、終身雇用モデルが依然として多くの日本企業で維持されている。
こうした信念は必ずしも悪いわけではなく、その企業存続への強い意志が老舗企業を支えている例も多い。一方で、それは危機下において経営陣が「フリーズ」してしまう状況を生み出すことがある。それはどういうことか?
危機下における再建は当然ながら不確定要素が多く、一歩打ち手を間違えれば企業が倒産したり、他社に吸収されるリスクを伴う。再建をリードする経営陣はこうした倒産や事業譲渡のリスクを正しく捉えながらも、手を止めること無くアクションし続ける必要があるが、企業の「永続」を強く意識してしまうと、その不確定要素の大きさと企業を自分の代で「潰してしまう」かもしれないという恐怖が彼等の足を止める。シャープに限らず過去にも外野からすると「なぜ決断できないんだ」と感じる事例は日本で多く見られてきたが、その背景にこうした構造を見るのは不自然ではないだろう。
シャープがこれだけ苦境に陥りながらも「決定できない」経営陣を安易に批判する論者はとても多いが、彼等は経営の意思決定というものが常に「主体的」になされうるという素朴な前提を信じすぎているように思う。しかし、上述したように経営の意思決定は構造や慣習(文化)にかなりの部分を規定されている。なので「決定したくても決定できない」という構造に不振企業ほどはまっていく、という視点は改めて重要と言えよう。社外取締役の導入をはじめ日本でも企業統治の変革は続けられているが、こうした「構造」に対する意識がもう少し強まらないと抜本的な解決には繋がらないのではと考えている。
例えば、アメリカでは取締役会の構成メンバーは社内からはCEO一人のみで、あとは全て社外からという企業が大半を占める。これは上記したような、経営陣が「決定できない」構造を回避するための一つの知恵と言えるのではと思う。少し長くなったので、この点はまた別の記事で論じてみたい。
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