エッセイを書いてみたいんです。
端的に、わかりやすいタイトル。同じ素人さんが書いているとは思えない、綺麗な文。
私は、そんな世界に憧れました。
きっかけはTwitter。バズったnoteを何気なく眺めて、私は何も分からないまま、ひたすらに泣いていた。「共感」できる世界の話だった訳ではないのだけど、よく練られたその美しい一文一文にガツンとやられた、そんな感覚。度重なる色んな感情に、多分私は疲れていた。
鬱になるとか、病むとかヘラるとか。そういう気持ちになったことはない。インスタにアリのような文字で愚痴を綴ったり、LINEのアイコンを真っ黒にしたり。そんな人々を私は元気で結構と鼻で笑っていたものだが、闇というのは存外近くにあるらしくて、私はそれを人の文章を読んでようやく自覚した。理由は多々あったのだと思う。まだ高校生だった頃に、今の短大の奨学生入試に落っこちたり、祖母が癌になったり、コロナ禍で家から出られなくなったり、妹が何もしなかったり、オンライン授業が続いていたり。多分タイミングだったのだ。そのエッセイを読んで、「推し活」で誤魔化していたはずのそれら全てがどばっと、はみ出てしまったのである。
疲れた。しんどい。わけわかんない。ネガティブな涙ばっかりが滂沱と溢れて、誰もいない部屋で前後不覚になるほど泣いた。拭っても拭っても止まらなくって、そのエッセイに描かれたとある人を思って、「私はこんなふうになれるかなぁ」と、また泣いた。
……その日、私は初めて名前も知らなかった書き手さんにDMを送った。ただの自己満足に、少しの──否、たっぷりの承認欲求を乗せて。そこからだろうか。多分私は自分のことを書いてみたかった。
私は文章を書くのが好きだ。いわゆる一次創作やら、二次創作やら、そういうものはそれなりに書いてきた。無論それなりだ。ものすごくバズったことはないし、完結させた作品になれば本当にひと握り。物書きと名乗るにも恥ずかしいレベルで、だけどずっとそう名乗ってきた。だったら私は、ステップアップのひとつとして、私のことを書いてみたい。私の好きなことを、私の考えたお話を、日常を、思うことを、少しずつ毎日。
自己紹介には長く、下手で、ダルい文をつらつら書いてしまった。もしこんなものでも読んでくれた人がいるなら、私はあなたに心からありがとうと伝えたい。それから良かったら、暇な時にでもまた読んで欲しいなと。底辺の底辺を這う物書きもどきでも、贅沢なことに、誰かに自分を読んでもらう喜びを知ってしまっているから。
……私はながたにえん。エッセイを書いてみたいだけの、普通のオタクな十八歳。
あなたにまたどこかで会えるように、願わくばあのnoteのように、誰かを救えるように。筆を取って、ものを書いていたい。
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