『いい匂い』『臭い』『無臭』…
私は茨城県水戸市に住んでいます。
水戸の名産といえば、納豆が思い出されるのではないでしょうか?
水戸の人だからというわけではありませんが、
今朝は何となく納豆ご飯…
納豆は臭くて苦手の声をよく耳にします。
何でしょう…水戸っ子魂からなのか、残念な気持ちと申し訳ない
気持ちが押し寄せてくる瞬間です。
でも、美味しいんですよ(笑)
そんなことを考えていながら箸をすすめていたんです…
これを臭いと決めた最初の人は誰だ?という疑問から
臭いって何?となって、じゃぁ…無臭って?
いい匂いって?と…
この時点でもう朝ごはんどころではないのですよ、私。
集中していない納豆ご飯に大変申し訳ない気持ちにもなりつつ、今日はこのことが頭から離れないのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは臭いも無臭もいい匂いもわからないはずです、これは言葉として。
だけど、ドリアンを嗅がせたら泣き出す赤ちゃんはいるはずで…
ママのおっぱいの匂いを嗅がせたら喜ぶのでしょうね…
多分。
言葉ではまだ言い表せない感じたこと、本能とでもいうのでしょうかね、ある程度成長して言葉を覚える段階になってくると、いちばん身近な存在から
(ここでは親ということにしておきます)
これは○○と言うのだよを教えられるのでしょう。
そこにはたくさんたくさん親の感じている表現ワードが盛りだくさんだということに気づかされます。
主観というヤツですかね。
もしかしたら、お子さんは納豆の匂いをいい匂いだとずっと思っていたのに、親に「臭い」と教えられたからこれは臭いのだと頭の中で書き換えがされてしまうように思えるのです。
自分は足の匂いが好きなのに、友達に
「おまえの足、臭っ!」と言われたことで自分は
変態なのだとショックを受けるかもしれませんよね。
大半の人が○○だと言うから…
みんながこう感じているから…etc.
自分の感じていることがおかしいことなのではないか?と思ってしまう。
思うだけであればいいのだけど、
感覚を書き換えてしまうことがあるように思えるのです。
先日のダンスレッスン後、いつものように談笑をしながら各自ストレッチを行っていたんです。
シューズを履いたままの人もいれば、靴下を脱いで足裏をマッサージしている方も…
ひとりのメンバーさんが
「先生、私…レッスン後の足の匂いが好きなんです。
この指と指のあいだの臭さがたまらないんです!」とにこやかに仰っていました。
その場は大爆笑!私もそういうカミングアウトが大好物。
ステキな人だなぁ~正直な人だなぁ~と思うのです。
こんなこと言ったら…が彼女にはないのです。
ま、何年もお通いになっている安心ベースが
あるのでしょうけど…
タイトル 『いい匂い』『臭い』『無臭』…
まるで良い子・悪い子・フツーの子に見えてしまう。
匂いの表現としては良い悪いがありますが、
それは個人個人の主観であって、
正しいor正しくないではないということ。
どこかしら自分の中にあったジャッジなのかも
しれません…
昔、まだ子ども達が赤ちゃんの頃…私は
靴下を脱がせて、その靴下の匂いを嗅ぎながら
「くちゃい、くちゃい!」とふざけて子ども達に
言ってました(笑)
※実際、めっちゃ臭いんですが💧
これも親からの刷り込みにしてしまっていたのかな?と考えてしまうところもありますが、
子ども達は私の表情が面白いらしく、いつも
「キャッ キャッ♡」と手足をバタバタとさせながら喜んでいたので、ま…よし!とします。
感じ方は人それぞれで、これは匂いに限ったことではないのです。
あなたもいい、わたしもいい。どちらもいい。
どうでもいい…な世界じゃ寂しいもんね♡
Share the love♡ Nori