“アスク”の思い出
サークルの友達の家で、友達と後輩とで呑んでいた3回生の11月後半、通知がきました。
見れば同期の大石くん。
内容は「卒業制作で制作部を手伝って欲しい」というもの。
当時自身のドキュメンタリーで忙しくなるから一度断っていましたが「なんか断ったら後悔する気がする」という直感が出てしまい、制作部を受けることにしました。
それともう一つ、当時彼はその年の映画制作で“ポシャって”しまい、かなり大きく凹んでいた時期でした。あの時は「大学辞めるんじゃないか?」と思っていたほどです。そういう時なので触れたくないなぁ、と思っていても「助けを求めている」なんて思ってしまい、なんやかんや後日スタッフの打ち合わせに行ってしまったものです。
これこいつのことじゃね?
打ち合わせの日、富田林の公民館で台本を読みました。タイトルは『アスク・フォー・ザ・ムーン』。
当時細かなことは大石くんには聞きませんでしたが、本人のやるせない気持ちと、思い通りに行かない映画作りへの感情を代弁したかのような作品。脚本は堤という同期が書いてましたが、心の中で「これ大石くんのことじゃねぇか?」なんて思ったのが第一印象でした。
登場人物のキャラクター性はひとりひとり、大石の思考や感情をすり込ませたような…
そんな印象だったのを覚えてます。
所々の参加だけど楽しかった。
私は前にも書いているように自身の作品と他に掛け持ちしている作品(約7つ、これはまた別で書きます。)で忙しく、スポット的な参戦になりましたが、思い出のある楽しかった現場です。
駅前のシーンで朝までやって、そのままドキュメンタリーの現場行ったり、喫茶店のシーンではご飯作りまくったり、撮影後にカメラマンのお母さんからそうめんもらったり…。その中で1番記憶にあるのは録音部を“やせられた事”。
担当の録音部がコロナになってしまい、急ピッチで私が録音部になったのです。授業も受けていましたし、なんとかいけるけど終始ハラハラしたのを覚えています。
それと同時に録音部のありがたみもよーーーくわかりました。
思い返すとそんなに現場には多くは行ってないんです。だから偉そうな事は語れません。私の想像以上に監督の大石くんは苦労したでしょうし、支えたスタッフは努力したと思います。
それでも私の中で思い出に残る現場には変わりはないですし、楽しかった現場でした。
完成後、数々の賞を受賞!
そんな『アスク・フォー・ザ・ムーン』はなんと、卒業制作では学科賞を受賞!
さらには卒業後でも多くの評価を受けており、国内でも、ドイツでも、韓国でも評価をされたそうです。ちなみに、韓国で賞を受賞したと大石くんから連絡が来て、嬉しくなってしまい何か残せないかなぁと思い、せっかくだと思い書いてみました。3回生の時に企画が潰れ、どん底からまさかここまで良い作品を生み出すなんて、当時大石くんに言うたらなんて言うだろ。
私自身も正直「このスタッフでやっていけるんかな?」なんて思ってましたが、見事に栄冠を取ったわけですから、ほんと何が起こるかわからんものです。
おまけの話
こうやって書いてると面白いですね。
ほかの思い出話もこんな感じで書いていこうかしら。…次はどいつの話にしたらかしら。
アスクの撮影後に大石くんと、別の組で活動してた同期の島村と大学の近くの居酒屋に飲みに行った事があるんです。その時に「良い現場だった」なんて話をしたら大石くん泣いてました。
…と言う話を今年の7月に2人で飲みに行った時にしたんですけど、今でも嬉しいそうです。
そりゃ監督だから、あんまり行ってない私でも心に残るんだから、あんたはその100倍思い出深いわな。ちなみに彼は新しい企画も考えてるそうで、制作部でなんでも良いから手伝いたいものです。
この文章書いてる時彼は韓国でマッコリ飲みながらニヤニヤしてるんかな。
まぁでも、おめでとう大石!
『アスク』がさらに受賞されることを願う!