「生」で軍艦島を感じに行ってきた話
旅のテーマは「歴史を感じる」
なかなかコロナで行くことができなかった旅行。
やや落ち着いたので、とにかくどっか行きたい!ということで、旅行に行った。
ただ、漠然といったじゃつまらない。
テーマを決めよう…
ということで、今回の旅のテーマは「歴史」。
ぼぼ、そんな感じになるんですがね。
これまで訪れたことのない遺産・神社などなどに生で触れ、圧倒されちゃおうということで、行ってた。
最初に言っておくと…
やっぱり生体験はいい‼︎写真や映像では感じることができない感覚が、超刺激的!
はじめに訪れたのは「軍艦島」。
クレイジージャーニーで佐藤健寿さんの奇怪遺産の回を見てからというもの、ずーっと気になっていた。
というのも、
風化が激しく、いつ見れなくなってしまうとも限らない…
ということらしく、早く行かねば…と焦らさせていたから。おおお、そんな場所についに…!
簡単に軍艦島に行った雰囲気などをInstagramのReelでまとめた。
そもそも「軍艦島」ってどんな場所か、知っている人の方が実は少ないのでは?私も番組を見るまで、存在しか知らず…
「軍艦島」ってなに?
とのこと。
ちなみに、軍艦「土佐」はこれ。小さくてわかりにくいですが…
たしかに似てる⁉︎
2015年に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録された端島=軍艦島。
今回は残念ながら、風が強く、入島することはできませんでしたが、軍艦島の周りを周遊するだけでもものすごい迫力…と歴史の香りが…!(物理的には海の匂いだけです)
僕が行ったり、聞いたりして驚いた3つのポイントがこちら!
①日本最古の鉄筋コンクリート高層アパートがあった!
今や当たり前となっている鉄筋コンクリートのマンション。日本で初めて建てられたのは、なんとこの軍艦島!しかもまだ実際に見ることができるんです。僕もRCのマンションじゃなきゃ嫌です…
1916(大正5)年に建てられた30号アパート。鉱員社宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と会談があり、地下には売店もあったようです。31号棟鉱員社宅には、共同入浴場、1F には郵便局・理髪店も設置されていたんだそうです。
昭和時代に、今のマンションくらい便利施設を内包していたんですね…!
文化的に成熟度が高いとされた島であるというのも納得です。
②東京都の9倍!世界一の人口密度!
当時の日本のエネルギーをささえた石炭。最盛期となる1950年代後半には約5,300人もの人々がこの島に住んでいたそうです。人口密度としては、当時の東京都の9倍…!
給料がめちゃくちゃ良かった鉱員であり、さらに家族も住めるなんて場所はありがたかったんですね。
ただ、その仕事は命がけ。海面下1,000m以上、気温30℃、湿度95%という悪条件に、ガス爆発。
鉱内で交わされる「ご安全に」という挨拶には、「絶対に事故を起こさない」という気持ちが込められていたんだそう。ちょっと僕にはできそうにないな…
③荒波を超える軍艦のような姿!
島がかっこいい!そんな場所はあまりないのでは!
軍艦島は6回にわたる埋め立てを繰り返し、今の大きさになったようです。もとは現在の3分の1の大きさでした。
南北に480m(陸上トラック1周分とちょっと)、東西に160mなので、島で言えばとっても小さいです。そう考えると、あの人口密度も納得ですね。
そんな小さな島の脅威…高波。周遊ツアーの日は、船が出せるくらいの波の高さでしたが、島に突撃していく波が激しいこと…!
あれじゃあ、天気の悪い日はもっときついんだろうな。風もきつくて、風化も激しそうです。
こんな端島=軍艦島。いつ生で見れなくなってしまうとも限らないので、ぜひ早めに訪れることをおすすめします!
これ見ちゃえば、行った気にもなれそうですが…生の迫力はやっぱり行かないとわからないと思います。
ただ1点!行くときの注意としては…
「冬に行くのはおすすめしません!!」
とにかく寒いし、島に上陸できる確率が超下がります。僕も島に入れなかったので。
そして、寒いうえに、風が強いと船が揺れて酔う…酔いやすい方は、酔い止め必須。ツアーに集中できません。
それはほんとにもったいないです…(僕もその点はほんとに後悔です)
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