いつも誰が替えてくれてたんだろう -2024年8月7日の日記
□8月7日
蛍光灯の製造が、2027年には完全に中止になるらしい。
きれかけた蛍光灯がちかちかと点滅して団地の通路をホラーテイストにしてくれるようすも、もう見られなくなるかと思うと切ない。
LED照明って、きれかかってもちかちかしないよな?私の経験上見たことが無いのでしないと思っていたが、もしするならしてほしい。
こういうときの切なさってなんだろう。
自分が体験してきたこと、それに伴う情緒のようなものを、今後生まれてくる子供たちが体験することなく成長していく事に対する感情だと思うのだが。
蛍光灯がちかちかしていて少し怖いようなわくわくするような気持ちを、他の何かで代えられるのならそれでいい。なんだろう、台風かも。蛍光灯のちかちかは台風の日のかんじに近いかもしれない。
とはいえ、私も世代的には体験していないが存在は知っているレトロなものに対するエモーショナルはあるので、蛍光灯のちかちかもきっと未来の子供たちに伝わってくれるだろうと期待している。
黒電話とか?電報とか?ポケベル?
ごめんやっぱちょっとわからない。きれかけた蛍光灯に対するそれとは比べられないほど気持ちが薄い。特にポケベルに対しては何も感じなかった。ただシュタインズ・ゲートのワンシーンを思い出すだけ。
実際に体験したことが無いものに対するエモーショナルは、自分の中にある近い感情をムリヤリ引っ張り出して強引に抒情的にしている感じがある。やはり、そのものから感じられるエモはそのものでなければ完璧には味わえないのだろう。
自分でも蛍光灯に対してここまで好意があったとは思わなかった。何者にも ”かえられない” んですね、蛍光灯だけに..…..…!
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