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履歴を並べます。
気温が下がってきた新月の夜、唐突に略歴と職歴を並べてみます。
今まで何してきたかを洗い出して、これから何していくのかをクッキリさせていく作業。
【ざっくり略歴】
幼少の頃から転勤族の親のもと2年ごとに引越しと転校を繰り返す。
最終学歴は留学先アメリカの大学(これは転勤ではなく自分の意思)。
社会に出てからも出張や転勤そして転職と、「移動」の多い人生である。
(兵庫→千葉→岡山→大阪→奈良→アメリカ→兵庫→山梨→東京→京都→大阪→そしてまた兵庫)
各地方の方言を使いこなすがキホン関西圏に居心地のよさを感じる。
アパレル関連の仕事に多くの時間とパッションを費やしてきた(以下参照)。
職歴はざっと以下の流れです。
4年のアメリカ留学生活から帰国後まずは英会話スクール運営会社2社でマネジメントと営業とたまに講師
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英語関連から一転して兼ねてから興味があり勉強もしていた「色」を使える仕事を見つけ応募した京都の呉服屋に転職しカラーコーディネーターとして着物展示会の企画構成/販売
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布地や素材自体に強い興味を持ちはじめ特殊生地を扱う会社に転職し商品企画/販売
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前職の上司に勧められるがままに20代ラストの年に独立(ブティック@大阪)して失敗
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ブティックで仕入れ先だった伊ハンドメイドバッグを扱う商社に拾われ就職し新店舗立ち上げ企画運営/接客販売全般の職に就くも会社が不渡りを出し倒産し失職(したがその直前にボーナス代わりに工場見学と称して単身フィレンツェへ行かせてもらったのは良かった)
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ひとまず派遣会社に登録し百貨店アパレル接客販売
それと同時期に知人に誘われアパレル個人買付け(伊,仏,香港)と卸業を2年ほど経験
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先輩バイヤーに誘われブティック1軒のオープンから運営までを任されマネジメントするも1年経たないうちに不動産トラブルに見舞われ裁判沙汰&閉店
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生地を扱う貿易会社の敏腕海外営業マン(別の先輩バイヤーの旦那さん)に誘われ就職し海外営業アシスタント(主にアジア担当)
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その生地の流通を活かしたオーダーメイドスーツ店のマネジメント業に移るも会社の事業縮小により閉店
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アパレル接客販売に戻り百貨店でのハイブランド数店の店長職を経て今ココ。
こうして掘り起こしてみて気づくのは、誘われて流されてボードからボードへ乗りかえ乗りかえサーフィンしてきた感が強いってこと。
興味の対象は多かったし、誘われればやってみて学んだし、必要とされる場で期待に応えるのが仕事なんだと思ってた。
新しいことを受け入れ、何でもあまり抵抗なく挑戦し、どの仕事もそれなりに面白かった。
常にオープンに構えていたので、失職してもすぐにチャンスが現れて仕事には困らなかったし、新しいトライを繰り返してバラエティ豊かな経験を積んできたことは貴重。
その点で私はとてもラッキーな人間だと感じていたし、転職の度にキホン的には収入も上がっていった。
(ブティック失敗した29才で大きな借金をつくったがその話は後日別枠で。)
中でもやはり語学力や環境の変化と移動に強い性質を活かせてる時はとくに充実していた。職歴でいうと生地の貿易会社。
あと京都の呉服屋さんも、国内各地に出向いての仕事だったのが小旅行的で楽しかった。
派遣会社とバイヤーをかけ持ちし、フリーランスに近い働き方をしていた時期もあり、リスクも冒したし大きな失敗もしたし、借金背負って窮地に立った時期もあったけど、「あれは辞めとけばよかった」と思う体験は、ほぼない。
ただ…
社会に出て30年弱、今ここへ来て、何も、これまでの流れに流れて経験してきたことを、有意義に統合できていないという、コンプレックスに似た感覚をずっと持ちつづけてる。
軽い失望というか。
目の前のことにかまけて向き合って来なかったことに、向き合う2020年、年の瀬です。
長くなってるので続きは明日。
おやすみなさい💤