考察の時間です 街の散歩 -1-

今日は3月14日、ホワイトディのお返しはクロネコが熟女の元へ届けてくれるよう手配をしたので1人で街の散歩に出かけます。

美術館では岡本太郎展の最終日です、ちょっと寄り道。
娘を誘ったのですが

「すごいとは思うけど全く興味なし」

だそうです。

私の世代だと強烈な印象を植え付けられた太陽の塔です、もう半世紀も前の話です。

この展覧会は撮影し放題、なんだか嬉しくなって写しまくってしまいました。

偉大な建築家、丹下健三と半裸の岡本太郎です、都庁に設置される壁画の現場視察に来た二人、67年前のいずれ日本が誇る建築家と芸術家の揃い踏みです。

建築家丹下もいい感じですが半裸の芸術家岡本太郎の方が存在感があるのが面白い、ショートパンツもいいがスニーカーがおしゃれで目を引いた。
さすがパリ帰り、ジョンレノンが愛用していたスプリングフィールドのスニーカーだろうか、どことなくフォルムが似ている。

敗戦から10年たらずで復興に目星がついたのだろうか、二人の表現者は時代の寵児となる自信と野心がみなぎっている気がします。ここから14年後には大阪万博で2人は世界へ羽ばたいて行きました。

枠にはまらず、いろんな表現に挑戦するファイターのような芸術家でした。
絵画も彫刻も文章も家具インテリアも建築までも挑戦する一流の芸術家です。
枠がなさすぎてどの作品も素晴らしいのですがまだ評価、賛美できる美意識を持たない社会の中で異端児扱いされましたが今でも超える人は出て来ません。

1971年頃から1980年末まで名古屋市の中心地にあったデパートの壁面を飾っていた岡本太郎の壁画のレプリカ。
幅32メートル高さ14メートルの巨大な壁画でした、夜になるとライトアップされて夜の都会を楽しい不思議な世界に変えていました。
日本はバブル経済へ向かってまっしぐらの活気に溢れる頃です。

netより拝借 「天に星 地に花 人に愛」

天に星 地に花 人に愛 という百貨店のコンセプトを表現して作成されましたが1980年に解体され廃棄されました。
そのころは日本はアメリカに次ぐ経済大国と言われていました、これだけの大作を移設して保存をすることも簡単に出来たはずですが経営者が変わったことでとっとと壊されて廃棄されてしまいました。

数年後、設計事務所で修行していた私にとある企業の広報課長がこんな話をしてくれました。

経営者が変わった百貨店から頼まれて作者に取り壊し廃棄のお伺いをして来てくれと頼まれたそうです、その企業が作者と関係があったので上手くやってくれるだろうとの頼まれごとです。

課長は封筒に○百万を入れ作者のアトリエを訪れ了承を得て戻って来たそうです。
世界的作家の作品取り壊し廃棄のお願いってそんなものなの?と思えるようなお代です。

作品に対してお金を出したのでそれの権利は購入者のものだ、壊そうが捨てようが私の権利である、ということでしょうか。

この作品はデカすぎて転売できないので投資価値が無いということでしょうか?
日本は経済ばかりに目が行き、まだ文化や美意識は稚拙だった時代です。

私は芸術作品の誕生に力を貸せたことを誇りに思う

という芸術的概念に至るのにはもう少し時間が必要でしたが、そこに至る前にバブルは崩壊し、さらに時間が必要となりました。

そして40年も経った新国立競技場建設に至っても国際コンペで天才的建築家ザハディットの素晴らしい作品に決定したにも関わらず利権絡みのゴタゴタで決定を反故にして、とんでもない建築費をかけて凡庸なものを作ってお茶を濁してしまいまいました。

違約金を払ったからいいだろうということでしょうか?

もしザハディットの作品が完成していれば、国立競技場は素晴らしい姿を現し、さらに彼女の遺作となり世界中から注目を集め人々が訪れたでしょう。
さらに40年前にザハディットのデザインで造られた最初の建物が札幌にありました(素敵な噂で真意は定かではありません)。
彼女の最初と最後の作品を持つ国になれたのにね。

私は芸術作品の誕生に力を貸せたことを誇りに思う。

という考え方になるのにさらに40年もかかっていますがもう少し必要なようです、もうぼちぼち精神的に豊になって変わらないといけませんよね。

岡本太郎氏が亡くなったのが1996年でした、それから27年経って膨大な量と膨大な熱量の作品の中を歩く街の散歩でした。

外に出るといい天気です、少し歩いて咲き始めているコブシの花を観て帰りましょう。

久しぶりに観るコブシの花、今年もきれいに咲いていました。
向こうに見える黄色い壁の建物は二十数年前に私が設計した建物です。

きれいでよかった、白いコブシの花がお似合いだよ。


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