一服しながら夜伽話ピンヒールでチィアーズ


粉引の白碗

この粉引の白碗の作者は新潟出身の陶芸家、子供の頃の風景が故郷を遠く離れても忘れられなくてねと幸少なかった幼少の風景を語ってくれた。
抹茶の緑を引き立たせる柔らかい粉引の白が美しいなとよく使っていました。

20年ほど前にこの陶芸家が主催した小さな個人美術館を作るプロジェクトに建築家として参加していました。

その画家は戦後間もなくして、絵を描きたいという情熱だけで単身アメリカに渡ります、アメリカの若い画家たちと創作活動に明け暮れたそうです。
その仲間の一人がサムフランシスでいつしか愛し合うようになり、子供を一人もうけるのですが、同じクリエイターなのでいつしか作風、目指す方向性の違いか、一人でスイスに向い、そこでも創作活動を始めます。

そしてスイス画壇が認めた唯一の日本人画家となり作家活動を続けてて行きます。
縁あって彼女の美術館を日本で作ることになり、陶芸家が中心になりプロジェクトが始まりました。

私は建物を建築家として設計を担当するのでした、山の斜面を利用して100年前の棚田を再現して、100年前の板倉を二つ移築して美術館にするというプロジェクトです。

工事が始まると時々スイスから現場にやってきます、戦後一人でアメリカに渡り画家として活躍し、その後スイス画壇に入り活躍する日本女性です、私があった時は80近いはずですが棚田を走るように登ってきて、そこはこうです、あそこはこうしなさいと指示を出します、それはちょっと難しいですと言おうものなら、地団駄を踏んで、なんとかするんです、と譲りません。

大工さんは大弱り、庭を担当した若い女性ガーデナーは泣いていました。私はとっとと山の上に隠れて画家の指示を考えるのですが、確かに画家の指示通りにした方が私の設計より美しいのです、ガーデナーの植えた植物より自然なのです、画家に言われて泣いても仕方ないな、逃げててよかったと胸を撫で下ろします。

いやー、一人で海外へ行って戦って養って来た美意識は澱みのないバランスを造るものだと感心しました。

数ヶ月して美術館は完成しレセプションの始まりです。

美術館は100年前の風景がアップデートされた風景になり、建物も100年からの記憶を受け継いだ自信を持った美術館になっています。
画家の絵が、そこに100年前から掛かっていたかように馴染んでいました。

画家は美術館が完成したことが本当に嬉しかったのでしょう、ドレスアップしてピンヒールを履いて、シャンパングラスを片手に

チィアーズ、チィアーズと笑顔で言いながら、参加者一人一人とグラスを合わせて回って行きます
おばあさんなんだけど、なんとも可愛らしい、

棚田の美術館は秋空の下で気持ちのいい風に吹かれていました。

美意識の高さとそれを顕在させる意志の強さと行動する力、
美しいものは強いなあと感心していました。

美しいや可愛いが判断基準になる世界に向かわないとね、
愚かな争いや忌まわしいワクチン騒動に関わっている暇はないな。


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