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バチって忘れた頃に当人に戻る

昔、結構な立場の方に「セクハラ」を受けたことがある。ある日、みんなと集まるからと呼ばれて駅に行ったら車が待っていた。
店にいるのかと思ったら、私と彼しかいない。
開き直りご馳走してもらい、近くの駅まで送ってもらおうとしたが、車でかなり連れまわされ、触られたり、大変なことで、若い心にしこりが残った。ふつうを装ったけど、怖かった。後日先輩に話したら、被害は私だけではなかった。

私は立場のあるその方には愛想も振らなくなったが、仕事上で行く手を邪魔されたこともあった。権力の下で無力な自分に心から泣いたことを覚えている。

その方には深夜に自宅に部下を呼んでも、黙ってご馳走の支度をするような、素晴らしい奥様がおられたと聞いていたし、立場あれ、裕福でも、本人や家族のもつ因果のようで、可哀想に感じた。

そして、もうその方のこともとっくに忘れたころ、ニュースが飛び込んできた。
「○○さん、会社の派遣の秘書にセクハラして首だって」と。私が恨まなくても、きっと沢山の人の無念が天には見えていたんだろう。

しかしバチって不思議と、ふつふつと思っている最中には当たらないもので。「バチは自分が忘れたころ、隕石のように当人にふりかかるもの」かもしれない。

地の時代を経て、たくさんの人の心を、利害や権力のため蹂躙した人は「天にツバを吐いた」のとまさに同じ。

忘れたころに風の力をかりて、こ〜んと当人さんに戻ってくるんでしょう。風の時代ってそんなこと。

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